musikquellchen28

日時: 2023年8月13日(日)
会場: 杉並公会堂 大ホール
曲目:
  • シューマン: マンフレッド序曲
  • ブルックナー: 交響曲第6番 指揮者によるプレトーク付き
指揮: 征矢健之介

 MUSIKQUELLCHEN(発音がわからん)とは「音楽の小さい泉」という意味だそう。
 指揮者の登場にちょっと驚いた。
 折り曲げた動かない左腕を脇腹につけながら、えっちらおっちら、オケの間をゆっくりすり抜けて来た征矢健之介(そやけんのすけ)。
 プロフィールによれば、もともとヴァイオリン奏者だったというからには、元来の障害ではあるまい。
 高齢者介護施設で8年間働いた人間の見立てとして、脳梗塞による半身麻痺の回復途上にあるのではなかろうか。
 指揮台には、腰かけて振れるよう、ピアノ椅子が用意されてあった。
 こういった状態で指揮する人を見るのははじめて。
 なんだか初っ端から掴まれてしまった。
 
 さらには、開始早々、ホールにびんびん共鳴するオケのクリアな響き、高らかに鳴る弦。
 「巧いじゃん!」と感心しきり。
 プログラムで確かめたら、このオケは早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団(早稲フィル)のOB、OG中心に結成されたという。
 征矢は早稲フィルのトレーナー兼相談役を務めているようだから、学生時代から築かれた信頼関係が安定した音を生み出しているのかもしれない。

林檎の花

 一曲目の「マンフレッド序曲」は初めて聴く。
 印象としては、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』終幕を思わせる。
 プログラムによると、バイロン原作の劇詩『マンフレッド』上演ために書き下ろされた曲とのことで、「道ならぬ恋」で恋人を永遠に失った青年マンフレッドの苦悩を描いた物語とか。
 奔放なる性愛の果てに地獄へ落ちたドン・ジョヴァンニと似ているのも無理からぬ。
 シューマンって情熱家なのね・・・・。

 このあと珍しく、指揮者によるプレトークがあった。
 後半のブルックナー交響曲第6番の各楽章の聴きどころを、実際にオケに音を出させながら解説してくれた。
 やっぱり、ブルックナーって補助線を引かないとなかなか理解の難しい作曲家なのかしらん?
 が、障害を負った征矢が、不器用な仕草と口調とで、不器用なブルックナーを語るところに、なんとも云えない深く心地良い味わいがあった。
 そのせいだろうか、ブルックナーライブ4回目にしてソルティは半眼開いた。

 まず、ブルックナーは映画監督で言えば、小津安二郎に似ている。
 性格とか扱うテーマとかの問題ではなくて、「決まりきったスタイルで、同じ狭いテーマを繰り返し語り、深みに達しようとする」芸術スタイルが似ていると思った。
 で、小津の映画を繰り返し観ていると、その常に変わらぬ特有のリズムやトーンがいつの間にか心地よく感じられてきて“癖になる”。
 それと同様、ブルックナーの音楽も“癖になる”性質を持っているように感じた。
 つまり、「ブルックナーリズム、ブルックナー休止、ブルックナー開始(トレモロ)、ブルックナーゼグエンツ等々」の決まりきった形式は、あたかも小津の「ローポジション、固定カメラ、切り返し対話、空ショット、童謡使用」といったものと同じ“お約束”の感があり、それにさえ慣れ親しんで身を任せてしまえるなら、オリジナルな小宇宙が開け、快感を手に入れられる。
 ソルティもどうやら、“癖になりそ”な予感がしている。
 
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小津の代名詞、ローポジション撮影

 小津安二郎が決まりきったスタイルで描き出そうとしたテーマは、家族であり、無常であった。
 その意味で、現在観ることができる小津の作品は、『おはよう』のような子供を主役とする喜劇をのぞけば、どことなく暗くて、さびしい。
 一方、プレトークで征矢が指摘していたように、敬虔なカトリック信者で教会のオルガニストだったブルックナーの場合、やはり神への信仰が主要なテーマとなる。
 なので、基本的に暗くはない。
 深刻さや悲壮感、神を失った人間が抱く絶望や虚無感は見られない。
 悲しみと苦しみの谷間にいる人間が、はるか高みにいる偉大なる神に憧れて、神に少しでも近づこうと、何度も何度もジャンプする。
 そのトライアル&エラーこそが、ブルックナーにとっての喜びであり、音楽スタイルだったのではあるまいか。
 到達することもなく、叶えられることもない、簡単に手に入らない対象だからこそ、愛し、讃美し、信じるに値する。
 それを希求する振る舞いこそが、日々の生きがいとも喜びともなる。
 基本、幸せな男なのだ。

 ブルックナーは十代の少女が好きで、晩年に至るまで何十回と少女たちにプロポーズしては撃沈するを繰り返した。
 性懲りもなく・・・。
 それはまさに、ブルックナーの神に対する上記のような関係性とも、彼の音楽スタイルともよく似ているように思われる。
 つまるところ、人のセクシュアリティは、その人のスピリチュアリティと通底している。
 ブルックナーの音楽を聴いていると、小野道風の見守る中、柳に飛びつこうと頑張る無邪気な蛙を思い起こす。
 憎めない・・・・。

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それ、がんばれ!