1959年大映
105分、白黒
脚本 和田夏十
音楽 芥川也寸志

 大岡昇平の原作を読んだのは高校生の時。
 テーマを受け止めるには重すぎた。
 カニバリズム(食人)の衝撃だけがあとに残った。
 読後まもなく、佐川一政のパリ人肉事件(1981年)が起こった。
 実際にそういうことがあるのだとびっくりした。
 佐川の場合、飢えからでなく、性愛からの行為だったと記憶する。
 猟奇殺人として世間を騒がした。

 市川の映画で描かれるのは、カニバリズムの猟奇性より、恐怖と飢えという極限状態に置かれた人間のありさまである。
 太平洋戦争末期のフィリピンのレイテ島で、米軍に敗れ、ジャングルの中をばらばらになって遁走する日本兵たち。
 米軍の爆撃や銃弾も怖い。米軍に協力する現地住民の反乱も怖い。
 鬱陶しい雨季のジャングルも、ぬかるみもしんどい。
 しかし、一番の問題は飢えである。
 芋が尽き、塩が尽き、ヒルや草を食べる日々。
 極度の空腹から幻覚を見る兵士。
 力尽きて倒れる兵士。
 主人公である田村(船越英二)も米軍への投降を考える。
 そんななかで出会った永松(ミッキー・カーチス)と安田(滝沢修)は、猿を撃ち殺して、その肉を食べているという。

 ほとんどが野外ロケである。
 ボロ靴のごとく草臥れた敗残兵たちの恰好や爆撃シーンなど、迫力あるリアルな映像は、さすが大映、さすが市川崑。
 某大河ドラマとはレベルが違う。
 CGでは出せない即物性がある。
 芥川也寸志の音楽もよい。
 芥川はマーラーの影響をかなり受けているように思う。
 マーラー風の不安と狂気を映像に結びつけている。 

 船越英二は、どの映画出演作でもあまり強い印象を与えない役者であるが、この一作は素晴らしい。
 どことなくハーフめいた彫りの深い顔立ちと恬淡として虚ろな眼差しが、牧師のように世俗離れした雰囲気を醸して、むごい運命に流され、周囲の欲深な兵隊たちに馬鹿にされる、受動的な兵士像を造り出している。
 この役者の生涯の一本と言っていいだろう。(水谷豊主演『熱中時代』の校長先生も捨てがたいが・・・)
 海千山千のあこぎな上官下官コンビを演じる滝沢修とミッキー・カーチスも素晴らしい。
 ミッキー・カーチスが上官の滝沢を撃ち殺して、その肉にしゃぶりつくシーンは実にグロテスクで、貴志祐介の『クリムゾンの迷宮』を想起した。
 ここはカラーでなく白黒映画で良かったと思った。

野火 (2)
左から2人措いて、3人目が船越英二、滝沢修、ミッキー・カーチス

 食人と言えば、スターリン時代のウクライナで大飢饉が起こり、数百万人が亡くなった。
 飢えに苦しむ人々は、鳥や家畜や雑草はもちろん、病死した馬や人の死体を掘り起こして食べたり、時には、我が子の一人を殺して他の家族に食べさせることもあったと言う。
 なんともひどいのは、この飢饉がソ連政府による人為的かつ計画的なものであった可能性が示唆されていることだ。
 ナチスによるユダヤ人大虐殺であるホロコーストに倣って、ホロドモールと呼ばれている。
 ウクライナとロシアの間には深い因縁があるのだ。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損