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日時 2023年8月31日(木)18:15~
会場 文京シビック大ホール(東京都文京区)

 高麗博物館で開催中の特別展『関東大震災100年 隠蔽された朝鮮人虐殺』を見に行き、四谷区民ホールでの講演会『関東大震災から100年の今を問う』を聴きに行き、ついに犠牲者追悼会に参加する運びとなった。

 思えば、渡辺延志著『関東大震災「虐殺否定」の真相』(2021年ちくま新書)を読んでからというもの、ここ2年ばかり、このテーマを追ってきた。
 やはり関東大震災時に千葉県福田村で起きた、香川の被差別部落から来た行商一行虐殺事件とともに。(こちらは現在、森達也監督の映画『福田村事件』上映中である)
 本を読んで、現地に行って、絵巻を見て、講演を聴いて、虐殺事件のあらましは頭に入ったけれど、知識を身につけるだけでは意味がない。
 亡くなった人たちを追悼するとともに、このような残虐な事件が起こった原因を探り、同じようなことが二度と起こらないようにするという決意がなければ、知識にはなんの価値もない。
 そう思って、満月の夜の集会に参加した。

 シビックホールは後楽園ドームの近くにあり、大ホールの席数は1800あまり。
 ざっと見たところ、1200~1300人くらいの参加があった。
 長らく地域で犠牲者追悼の活動をしてきた人、最近知って興味を抱いた人、共産党や社民党の政治家たち・・・・100年経った今も、この問題に関心を持つ人がこんなにたくさんいるという事実に、なにか心強いものを感じた。

 舞台の上も、客席も、非常に熱い感情に満ちていた。
 それは、虐殺された朝鮮人・中国人犠牲者の遺族(孫など)による怒りと慟哭と告発の叫びであり、その叫びを言葉の壁を越えて受け止めた日本人参加者たちの恥と共感の波であり、ヘイトスピーチやネット上のコメントに見るようにいまなお続く在日朝鮮人・中国人への差別や恫喝に対する当事者の怯えと救いを求める声であり、なにより、虐殺事件をあたかもなかったことのように扱おうとする昨今の日本政府や東京都に対する全会場の怒りと闘いへの連帯意志であった。
 義憤にかられ声を上げる日本人同志がこれだけいることに感動した。
 と同時に、100年経ってもこれだけの抗議集会を開催せざるを得なくしてしまった日本という国の厚顔無恥ぶりに暗澹たる思いを持った。
 1923年9月初めに数千人規模の虐殺があったのは事実であり、その虐殺を政府が扇動したのも事実である。公式な記録に残っている。
 事実を事実として認め、反省や謝罪や償いができない国家が、他国から尊敬を受けられるべくもない。
 国民同士の信頼に基づいた国家間の友好関係を築けるはずもない。
 安部元首相が語った「世界に誇れる美しい国、日本」の内実とは、こんなものなのである。

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李政美氏と紫金草合唱団のみなさん
 
 プログラムには、在日韓国人3世のピアニストである崔善愛(チェ・ソンエ)氏によるショパンの『革命』と『別れの歌』、アリランの演奏があった。
 また、やはり在日韓国人2世の歌手である李政美(イ・ジョンミ)氏と紫金草合唱団による関東大震災時の虐殺をテーマにした歌曲なども披露された。
 魂のこもった演奏や歌声は、人種や国籍や言葉の壁を超える力がある。
 「我々は同じ人間なのだ」と、あたりまえの原点に立ち返らせてくれる。

 本集会実行委員会の共同代表をつとめた田中宏氏(一橋大学名誉教授)の発言にあったのだが、関東大震災のあと、東京帝国大学に学ぶ朝鮮人留学生は『帝国大学新聞』にこう寄稿したという。
 「日本の教育は、人間となるよりもまづ国民になれと云ふ。・・・朝鮮人を殺すことを以て、日本国家に対する大いなる功績と思って居たやうに見える」

 人間たることを止めたとき、人は狼にも鬼にもなりうるのだ。

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Peace,love,happinessによるPixabayからの画像