1961年日活
108分、白黒
米軍基地のある街・横須賀の戦後間もない風景をリアルに切り取った社会風俗ドラマ。
今村自身はこれを「重喜劇」と呼んだ。
たしかに、米兵の金に群がるヤクザや娼婦やポン引きが登場し、人殺しやレイプや銃撃戦が繰り広げられるシリアスな「重さ」はあるものの、一方で、黛敏郎のマーチ風音楽に象徴されるテンポの良さと軽快さ、あるいはラスト近くで路地に溢れる豚の大群シーンに見られるような滑稽感もあり、全体として諧謔味に溢れている。
ちょうど、エミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』(1995)のようだ。
パワーあふれる人間喜劇。
その重喜劇的諧謔を体現する主役の若者が、ヤクザのチンピラ欣太。演じるは長門裕之である。
長門は『太陽の季節』(1956)で主役をとったが、あまりいい出来ではなかった。
演技力どうこうの問題ではなく、湘南の不良お坊ちゃま愚連隊である「太陽族」が、長門のイメージにまったく合っていなかった。
長門もまた名のある芸能一族に生まれたお坊ちゃまには違いないのだが、下町の御用聞き風の顔立ち(桑田佳祐そっくり!)や、ニヒリズムやダダイズムとは縁遠い、地に足着いた生活臭の濃さが、石原慎太郎の描く太陽族とはカラーが違いすぎた。
結果的に、脇役の岡田真澄や端役の石原裕次郎の、作品の質と釣り合った存在感に喰われてしまって、代表作にはなり得ていない。
その意味で、今村監督との出会いは長門にとって非常に幸運であったというほかない。(逆もまた然り。長門との出会いは今村にとっても幸運であった)
長門裕之という俳優の特質が、まさに今村作品の質と釣り合ったものであることが、ここに証明されている。
他の役者たちもそれぞれにリアリティある魅力的キャラをふり当てられ、実に人間臭い充実の芝居をしている。
ヤクザの組員で欣太の兄貴分・鉄次を演じる丹波哲郎のふてぶてしくもクールな存在感、その妻を演じる南田洋子の艶々しさ(本作公開の年に長門と結婚した)、欣太の組員仲間を演じる大坂志郎、加藤武、小沢昭一らの滑稽感ある達者なチームワーク(とりわけサイコパス風の加藤武が秀逸!)、貧しい庶民を演じたら右に出るものがないベテラン菅井きんと東野英次郎。
そこに、当時まだ高校2年生だった新人の吉村実子が体当たり演技で加わって、ベテランたちに負けない鮮烈な印象を刻んでいる。(吉村実子は吉村真理の妹だとか)
ソルティは戦後混乱期の風俗や裏社会の仕組みに詳しくないので、物語の筋は実のところあまりよく理解できなかった。
が、徹底的にリアルを追求した骨太の作風のうちに、ありのままの人間の欲や情熱や愚かさや醜さや猥雑さやバイタリティがこれでもかと描き出されて、圧倒された。
が、徹底的にリアルを追求した骨太の作風のうちに、ありのままの人間の欲や情熱や愚かさや醜さや猥雑さやバイタリティがこれでもかと描き出されて、圧倒された。
戦後80年たって、無菌化・無臭化・IT化・孤立化し、政府やメディアや世間によって牙を抜かれ家畜化した日本人が失ってしまったものが、ここには焼き付けられている。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損