2021年幻冬舎新書
副題は「法務省がひた隠す極刑のリアル」。
著者は1972年生まれ。
毎日新聞社、共同通信社での記者活動を経て、現在、共同通信社の編集員兼論説委員を務める。
著者の基本姿勢は死刑廃止なのだと思うが、ここではそれを声高に訴えていない。
むしろ問題としているのは、副題にある通り、日本の死刑制度の実態が法務省によって徹底的に伏せられていて、国民に正確な情報が伝えられていない点である。
- 死刑囚はどのような日常を送っているのか。
- 外部とのやり取りはどの程度許されているのか。
- 日々なにを思って過ごしているのか。
- 誰がどう死刑執行日を決めるのか。
- どのように受刑者に伝えられるのか。
- 死刑がどのように行われ、誰と誰が立ち会っているのか。
- 担当する刑務官はどのような思いを抱えているのか。e.t.c.
死刑制度の是非はいったん別として、米国では情報を公開することで議論が起き、それだけ死刑制度について考えることができる。一方、日本では密行主義で情報はほとんどなく、死刑が行われながらも議論は深まらない。死刑は国家が合法的に命を奪える究極の権力行使であるのにもかかわらず、多くの人々は無関心という状態が日常化している。
我々国民は、死刑に関する十分な情報を与えられないまま、死刑制度の是非を議論する環境に置かれている。
確かにこれはおかしい。
国がどのように一人の国民を監禁し抹殺したかを、他の国民たちが知ることができないのは、殺された対象がどんな人間であるかに関わらず、由々しき事態だ。
国家が一国民に対しどのようなことをなし得るかが不透明にされているからだ。
民主主義の根幹にかかわる問題である。
本書では、死刑囚、元死刑囚の遺族、弁護士、刑務官、死刑囚の世話をする衛生夫、検察官、法務省官僚、牧師や神父や僧侶などの教誨師などへのインタビューやアンケートなどをもとに、日本の死刑囚の置かれている状況や彼らの思い、死刑執行までの具体的な段取りが、でき得る限りに描き出されている。
日本の死刑は絞首刑だが、これは明治6年に作られた法律によるもので、140年変わっていないという。
科学も医学も薬学も進み、もっと穏やかな殺害方法があるだろうに、「絞首刑は苦痛がもっとも少なく、残虐性なし」と結論付けた1828年の学者論文をもとに、いまだに他の手段を検討することなく続けられている。
サディストか。
死刑執行方法見直しの議論は民主党政権時代に持ちあがっていたのだが、2012年末の総選挙で民主党が惨敗し、政権が再び自民党に戻ったことで立ち消えてしまった。
ときの法相は谷垣禎一、首相は安倍晋三であった。
Heinz HummelによるPixabayからの画像
ソルティは基本、死刑廃止論者である。
が、時々、「こいつだけは死刑もやむを得ない」と思わざるをえないような、残虐極まりない卑劣な犯行、個人的に許しがたいと感じる犯罪者が出現し、そのたび心が揺れ動く。
が、時々、「こいつだけは死刑もやむを得ない」と思わざるをえないような、残虐極まりない卑劣な犯行、個人的に許しがたいと感じる犯罪者が出現し、そのたび心が揺れ動く。
すぐに思いつくのが、1988年2月に起きた「名古屋アベック殺人事件」であり、同じ年の11月に東京都足立区で起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」である。
この2つの犯罪の凄惨なまでの残虐さは言語に絶するもので、被害者の受けた恐怖や苦痛や絶望、被害者遺族の受けた打撃や苦痛や喪失感を想像すると、「目には目を、歯には歯を」ではないが、加害者にも同等の苦しみを与えなければ承知できない、「死刑は当然」と当時思った。
個人的にソルティは、女性が男達によって拉致監禁され、暴行され、強姦を繰り返される類いの犯罪が一番嫌いで、許し難く思うのだ。
びっくりしたことに、本書にはなんとこの「名古屋アベック殺人事件」の加害者、それも6人の加害者のうちの主犯格Nが登場する。
一審でNは未成年であったものの死刑判決を受けた。そこまではソルティも知っていた。
その後、二審での6年余りに及ぶ審議の結果、無期懲役が下り、判決が確定した。
その後、二審での6年余りに及ぶ審議の結果、無期懲役が下り、判決が確定した。
現在、無期懲役囚として岡山刑務所に収容されていて、著者は数年前からNと面接や手紙のやり取りを行ってきた。
「そうか。生きていたのか・・・」
驚くとともに、いまや40代になるNという男の変化に戸惑った。
驚くとともに、いまや40代になるNという男の変化に戸惑った。
服役態度の良い模範囚であり、被害者遺族への謝罪や償いを心がけ、更生の途上にあるらしい。
35年前のNと同一人物なのかと思わず疑ってしまった。
それに輪をかけて驚いたのは、被害者女性の父親とNとが文通をしているという事実であった。
一体そんなことが可能なのか!
大切な娘をこれ以上ないほど残酷なやり方で殺されて、自ら復讐することも叶わずに、人生を滅茶苦茶にされ、せめてもの慰みの「死刑判決」すら「無期懲役」に減刑されてしまった。
そんな憎き相手と文通できるこの父親の存在に愕然とした。
もちろん許しているわけではなかろうが、それとは別に、“人と人として”相手と対峙できる度量というか、精神性に恐れ入った。
韓国のドキュメンタリー『赦し――その遥かなる道』(チョウ・ウクフィ監督)を観たとき、妻と子供を殺された父親が、その殺人犯の減刑運動をしているエピソードを知って、ぶったまげた。
韓国のドキュメンタリー『赦し――その遥かなる道』(チョウ・ウクフィ監督)を観たとき、妻と子供を殺された父親が、その殺人犯の減刑運動をしているエピソードを知って、ぶったまげた。
それはキリスト教など宗教的バックボーンのある特別な人の場合と思っていたけれど、日本にも同じような人がいたのである。
この父親がいる以上、ソルティはもはや、「名古屋アベック殺人事件」の犯人を断罪することができなくなった。

世界各国の約7割が死刑を廃止、または事実上廃止しているなかで、日本は少数派に属している。そうした中、米国が連邦レベルでの死刑執行を停止したことから、先進国主体の経済協力開発機構(OECD)加盟国(38ヵ国)で通常犯罪に対する死刑執行を続けているのは、日本だけと言うことができる。
日本には日本独自の文化や風習や価値観がある、外国の目を気にしてそれに合わせる必要はないと言うのは一見カッコよいけれど、意地を張って国際連盟脱退の二の舞のようなことにならなければよいのだが・・・・。
あとからどれだけ高くついたことか。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損