2015年日本
87分

 塚本晋也の作品はこれがはじめてだが、噂通りたいへん才能ある監督と納得した。
 制作、脚本、監督、撮影、編集に加え、なんと主演までやってのけ、いずれも高い水準の出来栄えである。
 とくに演技がこれほど巧いとは意外であった。

 最近観た市川崑による『野火』と自然比較してしまう。
 脚本つまりシーン構成はほぼ同じと言っていい。
 市川作品(105分)よりセリフが刈り込んであるぶん、引き締まってスピーディーな感がある。
 なによりの違いはやはりカラーであるところ。
 南国(レイテ島)の美しさが際立って表現されている。
 透き通った海、鮮やかで幻想的な夕焼け、原色のエロチックな花々、緑濃き森、蒼い闇に飛び交う夜光虫・・・・。
 撮影が素晴らしい。
 「ああ、ここは戦争さえなければ、兵隊さえいなければ、まんま楽園なのだ。」
 日本の兵隊たちは楽園にあって地獄を生きているのだ、と観る者に教えてくれる。
 
 一方、カラーであることは別の部分で容赦ない効果を生む。
 米軍の圧倒的な武力によって虫けらのごとく殺される日本兵たちの死に様が、実にグロテスクで生々しい。
 血しぶきが飛び、千切れた腕や頭部が散乱し、内臓や脳漿がドロドロと流れ出し、びっしりとウジ虫が蝟集する。
 ここまで凄惨なリアリティは市川作品にはなかった。
 欧米なら年齢制限がつくのでなかろうか。

 市川作品が、生き残った主人公が野火に向かって歩き出すシーン、すなわち米軍への投降を暗示することで終わったのにくらべ、塚本作品では帰国した主人公の戦後の姿も描いている。
 この違いも大きい。
 塚本は主人公の職業を物書きと設定し、作家として世過ぎしながらトラウマに苦しむ男の姿を描く。
 いわゆる、PTSD(心的外傷後ストレス障害)だ。
 彼にとって、戦争はまだ終わっていない。地獄は続いている。
 確かにベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争を経た令和の現在、本作を映画化するならそこまで描かなければ意味はなかろう。
 結果、市川作品より悲劇の重厚性は勝っている。

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David MarkによるPixabayからの画像

 楽園と地獄のコントラスト。
 これが市川作品にはない本作のコンセプトであり、一番の仕掛けであろう。
 銃や手榴弾を捨てれば、戦いを止めれば、日本兵たることを捨てれば、「お国や天皇のために戦うことこそ日本男児」という共同幻想から解かれれば、今いる地獄はそのまま楽園に転じる。
 野火を焚いて神に祈る原住民のように、自然とともに生きる平和で豊かでエロチックな暮らしが眼前にある。
 地獄はまさに主人公の頭の中にのみ存在し、戦い殺し合う人間の心のうちにその種を持ち、その根と茎をのばし、その毒々しい花を咲かせる。
 楽園と地獄――それは自然と人間の対峙でもある。
 この世に地獄を作り出すのは、神でも悪魔でも阿修羅でも閻魔大王でもない。
 人間の心なのである。

 本作で主人公が最後まで自らに決して問いかけないセリフがある。
 「なぜ、自分は闘っているのだろう?」
 その問いが奪われたところに、兵士たちの悲劇がある。
 それにくらべれば、カニバリズム(人肉食)なんて、たいしたテーマではない。

 個人的には、市川作品より塚本作品を推したい。



おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損