「目黒のらかんさん」として知られる五百羅漢寺には行ったことがなかった。
 どうせなら、桜並木で有名な目黒川沿いを歩いて行こうと思い、東急東横線の中目黒駅で下車した。
 ここで降りたのは実に40年ぶりくらい。
 駅前のそば屋で軽く腹ごしらえし、東横線のガード下から品川方面に目黒川を下向した。
 炎天下で直射日光はきびしかったが、川沿いの道は木陰続きで、ときに風が抜けて、心地良かった。

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東急東横線・中目黒駅
学生時代、テニスのサークルでここで飲んで潰れたような記憶が・・・

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「吉そば中目黒」店の冷しかき揚げそば
かき揚げは大きく、そばは喉ごし良く、美味だった

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東急線ガード下より品川方向を見やる
目黒川は世田谷区三宿を起点とし、東京湾に注ぐ
全長およそ8km

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このようなベンチがところどころにあるのがうれしい。
超高齢化時代には欠かせない施設である。

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河岸には美術館や公園、モダンなマンションや小粋なレストランが並ぶ。
なかなかハイブロウな感じ。

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モダンでメタリックな外観にもどこか昭和クラシカルな風情が漂う。

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柊(ヒイラギ)庚申講
地域の古い信仰が垣間見られる
柊は古くから邪鬼の侵入を防ぐと信じられ、庭木に使われてきた。家の庭には表鬼門(北東)にヒイラギ、裏鬼門(南西)にナンテンの木を植えると良いとされている(鬼門除け)。また、節分の夜にはヒイラギの枝に鰯の頭を門戸に飾って邪鬼払いとする風習(柊鰯)が全国的に見られる。(ウィキペディア「柊」より抜粋)

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目黒区民センター
裏手に目黒美術館がある

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ふれあい橋より上流(渋谷方向)を振り返る
清掃工場の煙突がひときわ高い

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下流(品川方向)
桜の季節の賑わいが目に浮かぶ

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散歩やジョギングに恰好の道

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目黒の名を一躍有名にしたのは「さんま」と「エンペラー」
目黒エンペラーは1973年(昭和48年)12月創業のラブホテル
ラグジュアリーな装飾で一世を風靡した
このお城が見えれば目黒駅は近い
羅漢寺も近い

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天恩山五百羅漢寺
元禄8年(1695)建立、開基は松雲元慶(1648-1710)

 松雲は40歳の時に五百羅漢を彫ろうと発願し、江戸に出て托鉢により資金を集めた。
 時の将軍徳川綱吉などの援助を受けながら独力で彫像し、完成に近づいたところで、像を納めるために堂宇を建てた。
 当初は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)にあったのだが、明治41年(1908)に現在地に移転した。
 現在、305体が残っているという。(堂内は撮影禁止)

 五百羅漢とはその名の通り、五百人の阿羅漢(完全な悟りに達した人)の謂いである。
 お釈迦様が亡くなったあとその教えを守り伝えるために、500人の阿羅漢が集い、マハー・カッサパとアナンダが中心となって教えの確認作業を行った。
 いわゆる第一結集である。
 そこに参加した比丘たちを称え敬うことから、五百羅漢像が作られるようになった。
 ソルティもこれまでにいろんな場所で五百羅漢像を見てきたが、とくに印象に残っているのは、秩父の羅漢山と四国遍路第66番雲辺寺のそれである。
 概して、通常の仏像(如来や菩薩や明王など)が生真面目で厳かな顔、あるいは聖人らしい穏やかで慈悲深い顔をしているのにくらべ、五百羅漢は表情も姿恰好も持ち物も非常にヴァリエーションに富み、ユニークで人間らしく、見て面白いのが特徴である。
 それゆえ、庶民に親しまれやすいのだ。

羅漢山1
秩父の羅漢山の羅漢さん

羅漢山2
こんなのもある

雲辺寺羅漢1
四国66番札所雲辺寺の羅漢さん

 目黒五百羅漢寺の羅漢さまにはお一人お一人に名前(〇〇尊者)が付けられ、それぞれ教訓のような「おことば」が付与されていた。
 たとえば、
  • 仲良く睦みあう(衆和合尊者)
  • 道は山のごとく登ればますます高し(山頂竜衆尊者)
  • わけへだてのない心(心平等尊者)
  • 仏も昔は凡夫なり(没特伽尊者)
  • 苦しみから逃げると楽しみも遠ざかる(雷光尊者)
  • 仕事にうちこむ美しい顔(勇精進尊者)
 鑑賞する人は、たくさんの羅漢さんの中から自分が惹きつけられた顔や言葉と出会って、わが身を振り返ったり、心の拠り所にしたり、今後の人生の指針を得たりすることができよう。
 本堂には、羅漢さんのほかに釈迦如来と十代弟子、達磨大師、観音菩薩、地蔵菩薩などの像が所狭しと並んでいた。
 ほどよい室内の暗さ、インド音楽に合わせて流される住職の説法テープ、心を落ち着けたいときには恰好の空間である。
 まろやかでやさしいお顔のお釈迦様の左右に立つ、頭陀第一のマハー・カッサパと多聞第一のアナンダの表情や姿恰好の違いが対照的で面白い。
 カッサパは骨皮筋衛門に、アナンダは上品な美男子に彫られている。

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本堂
本堂に納まりきらない羅漢像は別に羅漢堂に納められている

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再起地蔵

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五百羅漢寺のパンフレットより
ここの羅漢さまは総じて真面目な顔、厳しい顔が多かった。
にしても、500体の修復は大変な仕事だ。

 羅漢寺から路地を通って、目黒不動尊に抜けることができる。
 大同3年(808)慈覚大師・円仁(天台座主第三祖)によって開かれた関東最古の不動霊場である。
 そもそも目黒という土地の名の由来がここであった。
 江戸五色不動と称され、江戸城を中心に5つの方角に5つの不動尊――目黄(東)・目赤(西)・目白(南)・目黒(北)・目青(中央)――があったのだが、現在地名として残っているのは目黒と目白だけである。
 
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目黒不動尊(天台宗 泰叡山 瀧泉寺)

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庶民のアイドル・水かけ不動尊
ヒシャクで狙い撃ちされた顔がすっかり美白化
鈴木その子みたいになっている(えッ、知らない?)

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本堂
円仁が彫ったという本尊の不動明王像は12年に一度、酉年に開帳される。

 帰りはJR目黒駅から列車に乗ろうと思い、目黒雅叙園の横の急な行人坂を登っていたら、途中にある寺にふと惹きつけられた。
 天台宗大円寺とあった。
 山門をくぐって境内に足を踏み入れたら、なんとびっくり、ここにも五百羅漢がいた。
 羅漢寺のヒノキ造りの(かつては金箔で覆われた)ご立派な尊者たちとは違い、野ざらしの石仏である。

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大円寺
寛永年間(1624-1644)湯殿山修験道の行者大海が創建したのに始まると伝えられる。
羅漢寺より開基は古い。
本尊の木造釈迦如来立像は特定の日にご開帳。

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五百羅漢像
明和9年(1772)江戸市中を焼く大火事があった。
そのとき火元と見られたのが大円寺であった。
五百羅漢像はこの火事で亡くなった人々を供養するために建てられたという。

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こちらの羅漢さんたちはユニークな表情で親しみやすい。

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釈迦如来像が手にしているのは背中を掻くツール――ではなくておそらく蓮の茎だろう。
周囲を菩薩、十大弟子らが囲んでいる配置は羅漢寺本堂と同様。

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マハー・カッサパ尊者
口元のしわが写実的

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大黒様を祀っている七福神のお寺でもある。

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境内にはちょっと変わった石仏があった。
胴体はどこにいったのだろう?

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道祖神
夕日を浴びて照れくさそうな2人。
「もうすぐ夜だね」
「そうね、あなた・・・」

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個人的にはこちらの五百羅漢のほうが「目黒のらかんさん」の愛称に添うような気がした。
説教臭くない、天衣無縫なたたずまいに癒された。

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目黒駅周辺もすっかり開発されたなあ~

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JR目黒駅到着
約4時間の散策、汗をしぼられた。
目黒という街は、古い庶民信仰の上に、昭和バブルの猥雑さと平成のソフィストケイトされた空間が積み重なっている、現代日本の都市の特徴がよく映し出されている。

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羅怙羅(らごら)尊者はお釈迦様の息子
世に言うラーフラである