2011年新潮社
2009年8月、NHKスペシャルで3回にわたって放映されたドキュメンタリーの書籍化。
1980~1991年まで、大日本帝国海軍の中枢にいた元エリート軍人たち約40人が、ほぼ毎月原宿にある水交会に集まって、太平洋戦争の反省会を開いていた。
それを録音した400時間にも及ぶ外部初公開のテープや関係者への取材をもとに、作戦を「命じられた側」でなく「命じた側」から見た太平洋戦争の顛末、日本海軍の姿を浮き彫りにしている。
まさにバブル真っ盛りの時期に、まさにバブリーな人々が行きかう表参道や竹下通りや青山のある原宿で、このような反省会が開かれていたことに驚く。
まさにNHKの目と鼻の先である。
好景気に浮かれ騒ぐ戦後生まれの人間たちの目を盗むように、人生の最盛期を戦争に捧げた70~80代の男たちが、家族以外の者には会の存在を知らせることなく、毎月律儀に原宿に通い、30年以上も昔の体験を語り合い、議論していたのである。
バブルの頃の日本は、日本人の多くは、「戦争なんてもう過去のまぼろし。終わった話」みたいな観念にひたっていた。
国民総浮かれ状態にあった。
太平洋戦争に関しては、陸軍が強硬に開戦を主張し、もともと対米戦に消極的だった海軍が最後には押し切られた、といったイメージがあった。
一方、海軍は、華々しい幕開けを飾った真珠湾攻撃や戦艦ヤマトの雄々しい最期など、いまだにヒロイックに語られることが多く、陸軍との比較で言えば「善玉」待遇に浴している。
事実、戦後の東京裁判ではA級戦犯として処刑された者は、陸軍からは東条英機元首相はじめ6人も出たのに、海軍からは1人も出なかった。
「主犯は陸軍」というイメージは戦後日本人の多くが抱いているところだと思う。
しかるに、本書を読むと、この固定観念が覆される。
「海軍よ、お前もか・・・」
というより、ことに及んで、水も漏らさぬ一致団結ぶりで組織防衛に動き、器用に立ち回って悪玉イメージがつくのを逃れる、海軍のタチの悪さが白日の下にさらされる。
東京裁判において戦犯(救出)対策に奔走した元海軍大佐は、反省会においてこう発言している。
およそ二年半の審理を通じ最も残念に思ったことは、海軍は常に精巧な考えを持ちながら、その信念を国策に反映させる勇を欠き、ついに戦争・敗戦へと国を誤るに至ったことである。陸軍は暴力犯、海軍は知能犯。いずれも陸海軍あるを知って国あるを忘れていた。敗戦の責任は五分五分であると
猪瀬直樹著『昭和16年夏の敗戦』に描かれているように、昭和16年(1941)当時、開戦するか否かで大本営がもめにもめたことはよく知られる。
暴走する陸軍をだれも止められなかった。
アメリカと日本の国力や軍事力の差をよく知っていたはずの海軍も、あえて反対意見を述べなかった。
その裏事情について、開戦時の海軍作戦課参謀だった元大佐がこう発言している。
私が申しあげておきたいのはねえ、私は軍令部におる間はね、感じておったことはですな、海軍が“アメリカと戦えない”というようなことを言ったことがですね、陸軍の耳に入ると、それを利用されてしまうと。どういうことかというと、海軍は今まで、その、軍備拡張のためにずいぶん予算を使ったじゃないかと、それでおりながら戦えないと言うならば“予算を削っちまえ”と。そしてその分を、“陸軍によこせ”ということにでもなればですね、陸軍が今度はもっとその軍備を拡張し、それから言うことを、強く言い出すと。(略)そういうふうになっちゃ困るからと言うんですね、一切言わないと。負けるとか何とか、戦えないというようなことは一切言わないと。こういうことなんですな。
予算獲得のために危機を煽り、事態が予想を超えて深刻化すると、引っ込みがつかなくなってさらに強硬な意見を主張する。その主張を正当化するために、現実をねじ曲げる。できあがったのは「夢みたいな」計画だった。しかしそれは、国民にとっては悪夢でしかなかった。
このくだりを読んでいると、令和の今まさに起こっている事態を憂慮せざるをえない。
中国や北朝鮮の脅威をひたすら煽って軍備拡大をはかる岸田政権。
一度獲得した予算が削られることは、保守派も右翼も自衛隊も防衛省も軍事関連企業も外郭関連団体も、決して許さないだろう。
予算を維持あるいは増加させるためには、さらなる危機を煽るよりない。
その先にはいったい何が待ち受けているのだろうか?
特攻と言えば、零戦による自爆攻撃の神風特攻隊を連想する人が多いと思うが、兵士が乗り込んだ魚雷を敵艦に向けて発射する水中特攻もあった。
ある研究によれば、航空特攻の命中率は11.6%で、これは敵艦まで到達した飛行機のうちの約半数にあたるという。
一方、水中特攻の命中率はわずか2%。50回に1回である。
むろん、敵艦に命中してもしなくても、中に乗っている兵士は死ぬ。(零戦のように帰還することはできない)
ひどい話じゃないか。
これが作戦という名に値するだろうか。
水中棺桶といったほうが正確であろう。
こんな世界戦史上稀に見る愚策を、どこでだれが考えて、決定したのか。
それをめぐっても遂には明確な答えは出されないまま、「やましき沈黙」が反省会を支配する。
元軍令部にいた者はただ、特攻は軍の「命令」ではなく、兵士個々人の「志願」によるものだったとうそぶくばかり。
特攻作戦を生み出した海軍幹部は、戦果を検討することなく、兵士たちを死地に送り込み続け、さらに士気高揚のために特攻隊員の死を利用した。戦後は、特攻作戦が戦争犯罪につながると自覚しながら、自らの責任を覆い隠し、罪を逃れようとしていたのである。
捕虜の扱いについても同様で、海軍も陸軍に負けじと凄惨な捕虜虐殺を各占領地で行っていた。
その一つ「スラバヤ事件」の話が出てくる。
日本軍が占領していたインドネシアのスラバヤで捕虜になったオーストラリア兵およびスパイ容疑の現地住民を、スバラヤの守備にあたっていた部隊が殺害した事件である。
戦後になって事実を知ったオーストラリア兵の遺族が告発したことにより、部隊長の篠原大佐が戦犯裁判にかけられて処刑された。
NHK取材班は、篠原大佐の命令のもと実際に手を下した元日本兵を探し出し、証言をとる。
あのとき、篠原大佐が“自分は命令をしていない”と裁判で主張していたら、私たちは絞首刑になっていた筈です。艦隊司令部は命令を否定したが、篠原大佐は私たち一兵卒を救うために自ら命令をしたことを認めたんだ。あれから58年。いつも篠原さんに感謝しながら生きてきたんです。(ゴチック、ソルティ付す)
現地の隊長が、部下の命を救うためにすべての責を一人で負ったというわけだ。
しかるに、ピラミッド型組織の上意下達の徹底していた日本軍で、上から命令のないことを現場の指揮官が自己判断で勝手に行うなど考えられないという。
しかも現場には司令部に所属していた法務官が立ち会って、捕虜の処刑を見届けていた。
責任を中間管理職に押しつけて自分は逃げる。
現在も続く、政府を筆頭とする日本型組織の十八番――トカゲのシッポ切り。
本書から見えてくるのは、同じNHK取材班が2011年に制作・放映した『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』と同様の結論である。
- 組織の利益や体面を優先し、個人の命を軽視する。
- 国民より国体を重視する。
- 長期的な方針をもたず、楽観的な予測に基づき、その場しのぎの作戦を繰り出す。
- 最前線に無理を強いて、幹部は責任を取らない。
ソルティは日本型組織における以上のような欠陥の根源は、やはり天皇制にあるんじゃないかと感じている。
日本のいちばんの中心にして最高点を「絶対不可侵」という空洞にしていることが、すべての責任を有耶無耶にするブラックホールとして機能しているのではないだろうか。
その“人”は裁かないし裁かれない。
その“人”の為であればすべての行為が正当化される。
そんな絶対的な無化装置を有し続けている日本の歴史に思いをはせる。
Ali Mert BEKTAŞによるPixabayからの画像
それにつけても、本書を読んで思うのは、NHKの取材力の凄さ。
人や資料を探し出す、調べる、読み解く、インタビューを取り付ける、足を使って何度も会いに行く、粘り強く交渉する、撮影・放送の許可をとる、膨大な材料から選定し編集する、わずかな写真の断片から過去を再現し映像化する・・・・。
個々のスタッフの力量も、組織としての力も、半端ない。
NHKが、本作のような良心的で国民目線の番組を制作してくれるぶんには大いに結構だが、逆様に使われると、おっかない組織に転じる可能性大なあとつくづく思う。
本番組の放映は2009年8月。時の政権は民主党だった。
2012年12月に始まった自民党の第2次安倍政権におけるメディアへの圧力の中で、本番組を制作したスタッフたちがどんな思いをしていたか(今もしているか)、気になるところである。
よもや転向しているとは思いたくないが・・・。
いま、私たちが反省会の証言から学び取るべきものは、ただ一つのことではないかと思います。それは、ひとりひとりの「命」にかかわることについては、たとえどんなにやむをえない事情があろうと、決して「やましき沈黙」に陥らないことです。(第2回『特攻 やましき沈黙』放送時のキャスターのラストコメントより)
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損