会場: 東京芸術劇場コンサートホール
曲目:
- ショスタコーヴィチ: バレエ組曲「黄金時代」
- ショスタコーヴィチ: 交響曲第9番
- ショスタコーヴィチ: 交響曲第12番
指揮: 坂入健司郎
ショスタコーヴィチ(1906-1975)の初期、中期、後期の作品から1曲ずつ選んだオール・ショスタコ・プログラム。
「わ~い、ショスタコ祭りだ!」と喜び勇んで。
「わ~い、ショスタコ祭りだ!」と喜び勇んで。
いずれもはじめて聴くものばかり。
社会主義国の国民的作曲家であったショスタコーヴィチの作品は、いつ何年に作られたものなのか知ることが結構重要。
そのときのソ連の政治状況や社会情勢が作品に強く反映しているからだ。
そのときのソ連の政治状況や社会情勢が作品に強く反映しているからだ。
① バレエ音楽『黄金時代』(1930年)
ソ連のサッカーチームが資本主義国の博覧会「黄金時代」に招待され、地元の人々と交流する筋立て。
1930年と言えば、ソ連が誕生して7年。
建国の英雄レーニンは亡くなったが、まだ人々が夢と希望に満ち溢れていた時代と言える。
明るく狂騒的なタッチの曲で、20代のショスタコーヴィチの若々しい活力と無限の可能性が感じられる。
② 交響曲第9番(1945年)
1934年よりスターリンの大粛清が始まった。独裁体制下、芸術には「社会主義的リアリズム」が求められ、いっさいの自由な表現が許されなくなった。
社会主義的リアリズム社会主義を称賛し、革命国家が勝利に向かって進んでいる現状を平易に描き、人民を思想的に固め革命意識を持たせるべく教育する目的を持った芸術。
(ウィキペディア『社会主義的リアリズム』より抜粋)
この方針に従わない芸術家は、党による厳しい処分を受けた。
その様子はソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』に詳しい。
ショスタコーヴィチの場合、交響曲第4番あたりから当局の監視や干渉に悩まされたようである。
党(=スターリン)に気に入られ大成功に終わった第5番からあとの作品は、党の意を汲んだ「社会主義的リアリズム」の形態に準じて一見ソビエト政府を持ちあげながら、密かに独裁者の横暴や全体主義管理社会の狂気をたくし込んで批判している――というのがソルティの見解である。
つまり、表現の両義性、ダブル・ミーニングが、芸術家ショスタコーヴィチの常套手段になった。
第5番や第7番「レニングラード」はそれがもっともうまくいった例ではないかと思う。
この9番は、どちらかと言えばうまくいかなかった例で、当局から批判されることになった。
個人的に、この9番は『山岳遭難交響曲』といったイメージが湧いた。
第1楽章は、山登りする一行の喜びや活気が見える。かぐわしい森の空気、清冽な小川の流れ、小鳥や小動物との楽しい出会い、おしゃべりしながら浮かれ歩く一行。おやおや、歩きながら酒を飲んでいる者もいる。
第2楽章は「遭難」。標識ひとつ見落として、一行は道に迷う。はじめのうちは楽観的でいたものが、歩けど歩けど本道には戻れず、そのうち怪我する者も出てきた。あたりは突如として暗くなり、落雷から豪雨に。もはや完全に遭難してしまった。日が暮れると雨は雪に変わった。雪にまみれ凍えるばかりの一行。
第3楽章は「捜索」。家族から知らせを受けた警察が捜索隊の出動を要請する。大勢のレンジャーたちが山に入り、雪をかき分け、岩場を覗き込み、遭難した者の名を呼びながら、必死の捜索を続ける。空にはヘリコプターが旋回する。
だが、捜索の甲斐むなしく・・・
捜索隊が森の奥に発見したのは、凍え死んだ一行の姿。第4楽章のテーマは「葬送」。亡くなった者の死を悼み、冥福を祈る。山登りを侮ってはならない。決して。
が、のど元過ぎればなんとやら。
第5楽章で曲調は始まりに戻る。またもや、山登りに浮かれ騒ぐ一行の出現。人間はなかなか学ばない。
第5楽章で曲調は始まりに戻る。またもや、山登りに浮かれ騒ぐ一行の出現。人間はなかなか学ばない。
③ 交響曲第12番「1917年」(1961年)
1953年にスターリンが死んだ。「雪解け」が始まった。
とはいえ、体制批判は許されない。
とはいえ、体制批判は許されない。
表題の「1917年」とはもちろんレーニンによる10月革命のこと。
1960年に共産党に入党したショスタコーヴィチは、党の委嘱を受け、共産党大会で発表するためにこれを作曲した。
ショスタコーヴィチが、スターリンを憎んでいたのはまず間違いないと思うが、建国の英雄レーニンについてはどう思っていたのか不明である。
レーニンを否定するということは共産主義を否定するようなもので、体制批判にならざるをない。
ショスタコーヴィチはソ連という国を、自分も党員の一人となった共産主義をどう思っていたのだろう?
本作は一応、「暗」から「明」という形をとり、苦闘を乗り超えて勝ち取った栄光をたたえるような、輝かしい終わり方をしている。
レーニン万歳! 共産党万歳!
そこがこの作品が西側音楽界で長いこと、「体制に迎合して書かれた作品」として低く評価されてきた理由であろう。
しかしながら、ソルティの耳には、やはりダブル・ミーニングが聞こえる。
第4楽章では、ベートーヴェン第9の「歓喜の歌」を思わせる主題が幾度も現れて、レーニン讃歌、共産党讃歌を歌っているように見えながら、その歓喜にはどこか恐怖の影がつきまとっている。
強いられた歓喜と言うか、偽りの歓喜と言うか、ベートーヴェンの達した境地とはまったく異なる、ひどく地上的な、威圧的な歓喜。
強いられた歓喜と言うか、偽りの歓喜と言うか、ベートーヴェンの達した境地とはまったく異なる、ひどく地上的な、威圧的な歓喜。
これは独裁者の歓喜、支配者の凱歌ではなかろうか?
交響曲第9番というのは、作曲家にとっても、音楽ファンにとっても、特別なものである。
人類の至宝と言えるベートーヴェンの「第9」が聳え立ち、そこにあたかも逆ベクトルで肉薄したかのようなマーラーの9番という未曽有の悲劇がある。
ソ連政府も国民も、ショスタコーヴィチの9番に期待するところ大だったという。
「ベートーヴェンもマーラーも超える偉大な第9を、輝かしきソビエト共産党のために作ってくれ」という期待から来るプレッシャーはあったに違いない。
ところが、出来上がったものは全楽章合わせて30分足らずの小曲で、「山岳遭難」をイメージされてしまうくらいの痩せたテーマ性。(山岳遭難が重大なテーマであるのは、山登りを趣味とするソルティ、重々承知している)
つまるところ、ショスタコ―ヴィチはこう言いたかったのであるまいか。
この国で「歓喜の唄」なんて歌えるか!
「ショスタコ祭り」と無邪気に喜べるのは、部外者なればこそ。
日本が今のところ民主主義国家であればこそ。


