2016年河出文庫
1938年生まれ。もとは河出書房新社に勤めていたらしい。
本書は、先立って刊行された『被差別小説傑作集』の姉妹編で、明治維新以降に発表された11の作品を収録している。小説だけでなく、エッセイや論文や落語もある。
被差別部落をテーマにしたものが中心ではあるが、それ以外にも、栃木の山奥に住むサンカ(山窩)夫婦の話、蛇使いの娘の切ない恋の話、川端康成のエッセイ『葬式の名人』なども収録され、形式的にも内容的にもバラエティに富んでいる。
もっとも古いのが明治24年(1892)頃に書かれた泉鏡花の『蛇くい』、もっとも新しいのが昭和32年(1957)に発表された福田蘭堂の『ダイナマイトを食う山窩』。
高名な民俗学者である柳田國男の『唱門師の話』や喜田貞吉の『特殊部落と寺院』といった論文が読めるのもうれしい。
収録されている小説は5編だが、被差別というテーマ性は別として、文学の力といった観点からすれば、やはり正岡子規『曼殊沙華』と泉鏡花『蛇くい』の2編が圧倒的である。
文体の個性的魅力、現実と虚構の狭間を描き出す筆力、読者を独特の世界に引きずり込む詩的創造力。
明治の文豪はやっぱり凄い。
とくに正岡子規は短歌で有名なので、こんな見事な小説を書ける人とは知らなかった。
文学には元来暴力的なところがあると思う。
その時代その土地の“まっとうな”倫理や価値観を超越し、また破壊してこそ、文学の文学たるゆえんがある。
その暴力が、物理的なものでもなく、左翼的運動によるものでもなく、一本のペンから生み出される“まっとうな”世界へのアジテーション(懐疑や反抗や否定)であるところが、作家の本懐である。
それはつまり、発表された作品が“まっとうな”世界において非難され、糾弾を受け、物議を醸す可能性が高いということである。人を傷つけることも否めない。
昨今は、糾弾(炎上)を身に受ける覚悟をもつほどの文学者がいない、あるいはそれだけの思想が出てこない点が、文学の衰退している原因ではないかと思う。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損