1937年原著刊行
2011早川ミステリー文庫(加賀山卓朗・新訳版)

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 ディクスン・カーは、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンに並ぶ、言わずと知れた本格ミステリー黄金時代の大御所の一人で、早川ミステリー文庫(緑色の背表紙)や創元推理文庫などで数多くの作品が翻訳されている人気作家である。
 いやしくもミステリーファンを自称するなら、その生涯に書き残した80冊以上の全作品とは言わないまでも、一般に評価の高い20冊くらいは読んでおくべき古典作家である。
 
 しかしながら、ミステリーファンを自称するソルティ、『夜歩く』『皇帝のかぎ煙草入れ』『蝋人形館の恐怖』『殺人者と恐喝者』くらいしか読んでおらず、カー作品の読者投票すれば必ずベスト10に入れられる『ユダの窓』『三つの棺』『ビロードの悪魔』そして本作『火刑法廷』は読んでいなかった。
 自分にしてみればそれ自体がミステリーで、「いったいなんでカーを読んでいなかったのだろう?」と不思議千万な今日この頃。

 思い当たる理由の一つは、ディクスン・カーの本が書店や図書館になぜか見当たらないことが多いこと。
 早川ミステリー文庫で言えば、クリスティの赤やクイーンの青は書店や図書館の棚にずらりと並んでいるのに、カーの緑はなぜか目に入らない。(本作を普段は利用しない都内の図書館で見つけた時は思わず驚きの声が出た)
 また、カーの作品は本格ミステリーとは言い条、オカルティックな装いのものが多く、そこがミステリー小説に明晰で日常的な論理を求めるソルティの意に添わなかったこともあろう。(とはいえ、乱歩や横溝正史の怪奇趣味は好き)
 ともあれ、いまだ読んでいない黄金時代の傑作ミステリーを発見できる楽しみが残されているのは、幸いである。

ジョーカー

 本作は題名からして、カーには珍しい法廷サスペンスかと思っていた。
 殺人罪をなすりつけられた若き青年と真相究明の依頼を受けた探偵の孤軍奮闘、あるいは夫殺しの容疑で捕まった美しき妻と彼女を支える敏腕弁護士の世間を敵に回した共闘――って予想であった。
 目次にある章題をみても、「起訴」「証拠」「弁論」「説示」「評決」という法廷用語が並んでいるので、証拠や証人の信憑性をめぐる弁護士と検事との激しいバトルが展開されることを期待したとても無理はあるまい。
 しかるにページをめくると、すでに第1章の第1節からオカルティックな気配濃厚で、「タイトルに偽りあり」という印象が迫ってくる。
 殺伐とし日常的な法廷の光景がかき消され、おどろどろしい中世ゴシック調の洋館が浮かび上がる。
 ただ、そこに失望や落胆はみじんも起らず、一気に好奇心が高まって、小説世界に引きずり込まれてしまい、ページが進んでしまうところが、さすが巨匠の筆力である。

 殺人現場から煙と消えた貴婦人の謎。
 堅牢な霊廟の棺から消えた死体の謎。
 2つの完璧な密室と完璧なアリバイによる不可能犯罪は、秘密の通路や魔女の復活を信じる以外に説明しようがなく・・・・。
 謎が謎を呼び、怪奇が怪奇を生み、興奮が興奮を焚きつける。
 語り口の上手さと怪奇な雰囲気の醸成、緊迫のサスペンスは比類ない。
 これは推理小説なのか? それともオカルト小説なのか?
 いったいどういう結着がつくんだろう?
 真夜中を超えて、もはやページをめくる手がとまらない。

 結末は書かないのがルール。
 が、ディクスン・カー作品ベストテン入りも納得のあざやかな論理的解決が(一応)待っている。
 『火刑法廷』というタイトルも「偽り」でなく、事実に則った本作の内容にふさわしいものであることが分かる。
 傑作の名に恥じない。

 しかしソルティは、本小説の最後5ページが気に入らなかった。
 この5ページさえなければ、黄金時代本格ミステリーの十指に入れたいくらいなのに・・・。
 
 オカルティックな推理小説であっても全然かまわない。
 怪奇色が謎を深め、探偵の推理を混乱させ、雰囲気を盛り上げるのに使われる限りは。
 本作はそこを逸脱している。
 オカルトが論理を、非日常が日常を凌駕してしまっている。
 推理小説のオカルト的解決――ソルティにしてみれば、それは『アクロイド殺し』どころでないアンフェアな結末であり、残念なオチである。
 これをやったら、せっかくの推理が水の泡。
 なんでもありの世界が現出し、推理小説を支える日常的物理法則の根幹が崩れてしまう。
 解説を書いている豊崎由美(書評家)は、逆にそこ(最後の5ページ)が傑作たるゆえんと褒めたたえている。
 見解の相違というものだ。 




おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損