2015年誠信書房
2023年文春文庫

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 著者は、白金高輪という都内有数の高級住宅地(白金マダムという用語さえある)でカウンセリングルームを開設している1983年生まれの臨床心理士。
 大学院を卒業し晴れて臨床心理士資格を取ったあと、沖縄の精神科デイケアで4年間働いた。その間の体験を書いたのが、2019年刊行『居るのはつらいよ』(医学書院)である。
 東畑の「心のケア」に対する問題意識の高さ、フットワークの軽さ、諧謔精神を感じさせる好著であった。
 本書は、沖縄滞在の間に別におこなっていた興味深いフィールドワークについてのレポートである。

 デイケアの仕事をしながら、こんなこともしていたのか!
 ブラックな職場環境にめげてプータローに転落(?)しながら、こんな面白いことに足を突っ込んでいたのか!
 転んでもただは起きない東畑のスライムのような柔軟性に感心した。
 「こんなこと」とは、野の医者のフィールドワークであり、有態に言えば、沖縄の地に跳梁跋扈する有象無象の「怪しい」スピリチュアルカウンセラーたちの研究である。
 タロット占い、アロマセラピー、前世療法、オーラソマー、マインドブロックバスター、パワーストーン、マヤ暦、高酸素カプセル、デトックス、レイキ療法、クリスタルヒーリング、瀉血、バッチフラワーレメディ、チャクラ開放、自己流箱庭セラピー、自己流ゲシュタルトセラピー、守護天使とのチャネリング・・・・・e.t.c.

 私たちの日常は実は怪しい治療者に取り囲まれているのではないか。彼らを「野の医者」と呼んでみたらどうだろう。近代医学の外側で活動している治療者たちを「野の医者」と呼んで、彼らの謎の治療を見て回ったらどうだろう?

 思いついたが吉日。東畑はさっそく研究の企画書を書き上げて、トヨタ財団の研究助成プログラムに応募する。
 これが見事にパスしてしまうのだから、すでにミラクルは始まっている。
 というか、トヨタはふところが深い。
 もっとも、ただ怪しい治療を体験しまわってレポートするだけでは研究にならない。
 目的は「心の治療とは何か」を問うことにある。
 「野の医者たちを鏡にすることで、現代の医療や心理学を問い直してみる」、つまり、臨床心理学の相対化をはかる。
 
 たしかにこれは興味深い研究だ。
 最近は公認心理士という国家資格ができて、アカデミックな世界における正当性と正統性を獲得したかに見える臨床心理学。それが、実際はどういうものなのか、「野の医者」たちの治療にまさる効果をほんとうに生み出しているのか、プラセボ―(偽薬)効果やピグマリオン効果が高い点では江原某に代表されるスピリチュアルカウンセリングと変わりないのではないか、そもそも「心のケア」とは何なのか・・・・。
 臨床心理業界に身を置く東畑自身が、自らにそういった問いをぶつけるその姿勢が、まさにセルフモニタリング(自己理解)を重視する臨床心理学的である。
 一方、好奇心の赴くままに行動するフットワークの軽さ、ノリの良さ、どんなところにも「笑い」を見つけようとする落語的感性は、アカデミズムに染まりようのない著者の個性が爆発している。
 
 高邁なる研究目的あるいは研究結果はひとまず措いといて、本書の一等の面白さは、沖縄のスピリチュアル業界の現場ルポにある。
 もともと沖縄は、ニライカナイやシーサーなど本土と違った独自の信仰や神話をもち、島の各地に残る祭祀場である御嶽(ウタキ)や今も多数存在する霊媒師ユタなど、スピリチュアル性の濃い風土ではある。
 しかし本書によると、現在の沖縄スピリチュアルシーンを席巻しているのは、90年代半ばに始まった一連の精神世界系ムーブメントの流れだという。
 沖縄で最初のヒーリングショップ「アトリエかふう」ができたのは1996年。
 そのきっかけがなんと、シャーリー・マクレーン著『アウト・オン・ア・リム』に感動した二人の若い女性が、翻訳者である山川紘矢・亜希子夫妻を沖縄に招いて講演会を主催したことだという。
 思わず出てきた懐かしい名前に、歳月を30年近く巻き戻した。

シーサー
シーサー

 ソルティは当時仙台にいた。
 仙台でもまさに山川夫妻の人気爆発で、有志が招いて開催した講演会では当時仙台で一番広いホールが満席になった。もちろんソルティもその中にいた。
 ただ、夫妻の人気に火をつけたのは『アウト・オン・ア・リム』ではなくて、ジェームズ・レッドフィールド著『聖なる予言』の翻訳だった。
 日本において、いわゆる“スピリチュアル”が、雑誌『ムー』周辺に群がる一部のオタクたちから、若い女性を中心とする一般社会に広まるトリガーとなったのは、『聖なる予言』のヒットだったと思う。
 それ以降、95年のオウム真理教地下鉄サリン事件によって、“常識人が近寄ってはいけない危険なもの”とされてしまった宗教にかわって、日本人の霊性を良くも悪くも先導してきたのが“精神世界”というサブカルチャーであった。
 ソルティも仙台にいた90年代後半にはずいぶんいろいろな“精神世界”系イベントに参加したし、嬉々として関連グッズを購入した。アロマテラピーの資格をとったのもその頃である。
 なので、“精神世界”なり“スピリチュアル”なりに拒否感は全然ないのだが、どっぷり嵌まり込むことはなく、そのうち飽きて“卒業?”してしまった。
 ここ20年くらいのスピ業界の動向はまったく蚊帳の外だったので、本書に書かれているような“百花繚乱、玉石混交、奇々怪々、変態百出、換骨奪胎、抱腹絶倒”の沖縄スピリチュアルシーンの現状を知って、「こんなことになっていたのか!」と驚いた。
 同業者が一堂に会して治療ブースを並べる年に一度の大イベント、コミケならぬヒーパラ(=沖縄ヒーリングパラダイス)なるものがあったとは知らなかった。(2016年で終了したらしい)

 東畑は自身が実験台になって、さまざまな“怪しい”治療を受け、施術者へのインタビューを試みる。
 施術者の人となりや来歴、ヒーリングを始めた動機、ヒーリングの方法などを調査する。
 フィールドワークには違いないが、研究というよりギャグ漫画風体験エッセイのような趣きがあって楽しい。
 
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 肝心の「心の治療とは何か?」に関して、東畑は次のようにポイントを列記している。

 心の治療は時代の子である。・・・(中略)・・・心の治療は時代の生んだ病いに対処し、時代に合わせた癒やしを提供するものなのである。その時代その時代の価値観に合わせて姿を変えていかざるを得ない。
 だから、心の治療は時代を映す鏡でもある。

 治療とはある生き方のことなのだ。心の治療は生き方を与える。そしてその生き方はひとつではない。

 心の治療とは、クライエントをそれぞれの治療法の価値観へと巻き込んでいく営みである。

 臨床心理学と野の医者が呈示する生き方は違う。野の医者が思考によって現実が変わることを目指すのに対して、臨床心理学は現実を現実として受け止め、生きていくことを目指す。

 ここで仏教、もといテーラワーダ仏教における「心の治療とは何か?」、「そもそも心とは何か?」という観点を提出し、臨床心理学と比較しつつ論述展開できれば面白いのだけれど、荷が重すぎる――というより力不足。やめておく。
 ただ、仏教における心の治療方法だけは明確である。
 ヴィパッサナ瞑想による智慧の開発がそれである。

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 最後に本書を読んで気になった点を二つばかり。
 一つは、東畑がフィールドワークにより発見・確認したように、「心の病から癒された人がヒーラーになる(なりたがる)」という現象について。

 病者は治療者という生き方をすることで癒やしを得る。だけど、それで病者じゃなくなるわけではない。病者であるがゆえ人を癒やせるわけだし、人を癒やすことが自分を癒やすことなのだ。それは病むことと癒やすことが「生き方」になるということだ。

 これは野の医者に限らず、臨床心理士業界でも、さらに広くたとえば「いのちの電話」のような民間の心のケアに関わる相談業界でも同様だろう。
 いわゆる「ミイラがミイラ取りになる」。
 その現象自体は別に珍しくもないし、良くも悪くもない。
 それこそ同じ問題に直面し苦しんだ者同士が会って語り合うことで心の回復につながるピア(peer)カウンセリングの効果は良く知られている。
 気になったのは、東畑の場合はどうなのか?――という点である。
 東畑がそもそも臨床心理士になろうと思った動機は何だったのか?
 本書には書かれていないし、『居るのがつらいよ』にも書かれてなかったように思う。
 別に、志望動機を著書でカミングアウトする必要はないけれど、気にはなった。

 また、沖縄に野の医者が多い理由について東畑は次のように記している。

 それは沖縄シャーマニズムが自由な伝統をもっているからだ。沖縄の神様は自由自在のプリコラージュを許容する。堅苦しいことを言わない。だから、病んだ人は目の前の怪しい治療に飛びつき、治療者になっていくことができる。沖縄にはそういう文化がある。

 なぜ沖縄には野の医者が多いのか。それは沖縄が貧しいからではなかったか。 
 沖縄には産業が少なくて、多くの職が熟練を期待されない接客業だ。一握りの人しか、キャリアを築くことが難しく、時給も安い。・・・(中略)・・・お金を稼ぐことに追われ、そしていつお金が無くなるかわからない不安に付きまとわれ、近未来すらどうなっているかわからない不安定さの中では、人間関係はひどく壊れやすくなる。
 特に女性はそのようなリスクにさらされやすい。それもあって、野の医者には女性が多いのではないか

 伝統的な沖縄シャーマニズムの許容性および沖縄の貧困が、たくさんの野の医者を生み出し、現在の沖縄スピリチュアル業界の活況につながっているという。
 おそらく、その通りであろう。
 文化・民俗学的視点と、社会・経済学的視点とりわけジェンダー視点は欠かせない。
 と同時に、ソルティは思う。

 戦後、沖縄という土地が癒され浄化されるのに、十分な時間と社会的サポートが果たしてあっただろうか?
 
 太平洋戦争において唯一の本土決戦があった沖縄で、1972年まで米国の占領下にあった沖縄で、本土復帰しても米軍基地に悩まされ続けている沖縄で、いまも本土の人身御供にされている沖縄で、癒しはどこまで可能だったのだろう?
 ヒーパラに集う戦後生まれのヒーラーたちは、もちろん、自身が戦時中や戦後のきびしく悲惨な時代を身をもって知るわけではなかろうが、彼らの無意識に、あるいは、親世代・祖父母世代・曾祖父母世代の記憶やトラウマが世代間連鎖によって受け継がれ、簡単には解かれようのない因縁(=心のブロック)があるとしても、別に不思議ではないように思う。

 無意識とかトラウマとか世代間連鎖とか言っている時点で、自分もずいぶんフロイトやユングに毒されているなあ、しかし。

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那覇にある波上宮(なみのうえぐう)

 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損