2005年新風舎
ひかりごけ事件?
聞いたことない。
そもそもヒカリゴケって?
ヒカリゴケ科ヒカリゴケ属のコケで、1科1属1種の原始的かつ貴重なコケ植物である。その名が示すように、洞窟のような暗所においては、わずかな光をよく反射するため金緑色(エメラルド色)に光るように見える(発光生物ではない)。(ウィキペディア『ヒカリゴケ』より抜粋)
ヒカリゴケ(『四季の山野草』より)
『ひかりごけ』は、昭和作家の武田泰淳(1912-1976)が昭和29年(1954)に発表した小説である。
“実際の事件”を題材に創作されたこの作品は、世間の話題を集めロングセラーとなり、文学作品としても高く評価され、武田の代表作の一つとなった。
劇団四季はじめ数度の舞台化、オペラ化、熊井啓監督×三國連太郎主演で映画化(1992)もされている。
知らなかった。
“実際の事件”とは、副題にあるように、難破船の船長が乗組員である18歳の少年の屍肉を食って生き延びたというものである。
昭和19年(1944)1月、すなわち敗戦間際のことであった。
1943年、陸軍所属の徴用船が厳冬の北海道・知床岬で難破。生き残った船長と乗組員の少年の二人は、氷雪に閉ざされた飢餓地獄を体験するが、やがて少年は力尽きて餓死、極限状況のなか、船長はついに少年の屍を解体して「食人」する。遭難から二か月、一人生還した船長は、「奇跡の神兵」として歓呼されるが、事件が発覚すると、世界で初めて「食人」の罪で投獄された――。(本書裏表紙の紹介文より)
この事件に衝撃を受けた武田泰淳は、北海道に取材し作品化したのであるが、もともとの事件にヒカリゴケは出てこない。
船長と少年が猛吹雪のなか命からがら避難したのは――すなわち事件の現場となったのは、知床半島の突端に近いペキンノ鼻の浜辺に立つ番屋(夏場にウニや昆布を獲るため漁師が泊まり込む小屋)であった。
武田は事件現場を番屋から洞窟の中へと置き換えた。そこに繁茂していたのがヒカリゴケであった。
武田はヒカリゴケに象徴的な意味合いを与え、作品タイトルにした。
この小説が有名になってしまったゆえ、「ひかりごけ」事件という名で語られるようになったのである。
武田の作品は、もともとの事件を題材にはしているが、あくまでフィクションであって、事実からかけ離れている。
ソルティ未読だが、本書によれば一番異なるのは、「船長が少年を殺して肉を食った」、つまり「食うために少年を殺した」という筋立てになっているところ。
この改変により、一番被害を受けたのはほかならぬ元船長だった。
『ひかりごけ』を読んだ人、舞台を観た人の多くは、それをそのまま事実として受け取った。
結果、元船長は、「食人」の罪に加え、殺人者の烙印まで負わされるはめになった。
いくら文学のためとはいえ、非道なことをしたものである。
服役し罪を償った一人の男のその後の人生を狂わせてしまったのだから。
執筆にあたって武田は、元船長に話を聞くどころか、会ってもいないという。
モデル代くらいは印税から支払って然るべきだ。
本書は、ジャーナリストで北海道新聞編集委員(本著刊行当時)をつとめる合田が、元船長との15年の交流を通してやっとのこと聞き出した事件の真相や、丹念な取材調査によってあぶり出した周辺事情をまとめている。
第一部『裂けた岬』(ペキンノの語源はアイヌ語の「裂けた岬」)では、元船長の独白という形で事件の全容が語られる。
持ち船と共に軍の徴用を受けての出航、北千島(いわゆる北方領土)への輸送の仕事、知床沖での遭難から番屋への決死の避難、飢餓地獄と少年の死、食人に至る経緯、自力での脱出からの救出劇、「奇跡の神兵」の栄誉から食人鬼への転落、逮捕と裁判、獄中生活、世間から身を隠すようなその後の暮らし、消えることない罪障感・・・。
実際の体験者でなければ出てこないような言葉、想像では及ばない心身の感覚や意識の様相、余人には決してうかがい知れない心の闇など、リアルなモノローグに引き込まれる。
第二部は、小説『ひかりごけ』誕生の経緯とその影響、一億玉砕の敗戦間際に起きた本事件をめぐる捜査・裁判・報道の歪みの実態、元船長のその後の人生などが描かれる。
事件当時29歳だった元船長は、網走刑務所での約1年間の服役後、残り47年間の人生を重い十字架を背負って生き続け、昭和64年(1989)、昭和の終わりと共に亡くなった。
モレイウシ湾の少し上の海に突き出たところがペキンノ鼻(by google map)
もちろんソルティは元船長に同情的である。
もちろんソルティは元船長に同情的である。
番屋から一番近い民家までは何十キロも離れていて、外は体感気温マイナス30度の氷の壁。
凍死するか、餓死するか。
番屋にもとからあった少ない食べ物を食い尽くしたあとに訪れた飢餓地獄は、たった3日の断食修行で音を上げたソルティには、想像のしようもない。
大岡昇平『野火』に出てくる日本兵のように、生きている人を殺してその肉を食らうのは問題外だが、死んだ人間の肉を食ってなぜ悪い?
魂の抜けた死体は物体に過ぎない。
今の裁定なら間違いなく「緊急避難」にあたり、無罪となるのは確実である。
緊急避難
自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。(刑法37条1項)
そればかりでなく、厳寒の僻地に孤立し助けも呼べない絶望状態に追いやられたうえ、飢餓に陥った元船長は「心神喪失」あるいは「心神耗弱」にあった。
となれば、責任能力が如何され、不起訴あるいは減刑されるのが道理である。
そもそも日本の法律には昔も今も「食人罪」の規定がない。
元船長の犯した行為は、せいぜい「死体遺棄」または「死体損壊」でしか問われない。
本書第二部で合田が明らかにしているが、昭和19年当時も刑法には「緊急避難」の規定はあった。精神障害者の犯した犯行についての不起訴あるいは減刑規定もあった。
釧路区裁判所の判決文には、「氷雪に閉ざされた僻地で食糧も食べ尽くし、飢餓に迫られ、生命の危難を避けようとして犯したことは明らか」とある。つまり、十分「緊急避難」が成り立つ。
なのに、元船長に下った判決は懲役1年、執行猶予なしだった。
その事情を合田は、次のように推断している。
船長が釧路区裁の一審で有罪にならねばならなかったのは、すでに述べた通り、軍部が人骨箱の発見により事件が白日の下に晒されたのに驚き、「なかったことにする」としたいわば無罪判決を自ら破棄して、「天皇の軍隊に隷属する軍属ゆえに、人食いが無罪であってはならない」と方針を急転させたことによる。
そもそも最初に元船長が救出された時点で、軍部は何があったか察知していた。
というのも、太平洋の島々で『野火』のようなことが頻繁に起きているのを軍部は当然知っていたのである。
たとえば、ニューギニア第18軍司令官、安達二十三(はたぞう)中将は、次のような「緊急処断令」を出していたという。
「刑法には規定されていないが、なにびとといえども、人肉をそれと知りながら食したる者は、最も人道に反した者として死刑に処す。(但し敵の人肉はその限りにあらず)」
最後まで国民に実際の戦況を隠していた軍部が、前線の日本兵士のこのような惨状を内地に漏らすわけがない。「天皇の軍隊」が仲間の肉を食うなんてもってのほかだ。
だから、事を荒立てないよう、元船長に対する追求はあえてしなかった。
ところが、番屋の持ち主である地元の漁師が、雪解けとともに小屋を見に行ったところ、人骨が詰まっている木箱や小屋内に多量の血痕を発見し、びっくり仰天、警察に知らせた。
事件は表沙汰になり、元船長は逮捕された。
法廷に引き出された元船長は、食人の事実をあっさり認めてしまった。
困ったのは軍部である。
本来なら「緊急避難」が適用され無罪になるところだが、「天皇の軍隊」という美名を守るため、有罪にせざるを得なかった。
軍部が司法に介入したのである。
戦前・戦中の軍部の力は圧倒的だったから、このくらいの干渉は朝飯前であったろう。
と同時に、ここで「緊急避難」を認めてしまうと、太平洋の島々で今まさに起きている日本兵による食人も許さざるを得なくなる。
軍部としては、さすがにそれはできなかったのではないか。
結果的に、戦地において食人した日本兵はお咎を受けなかった一方、銃後の日本において食人した元船長が罪に問われる、というアンバランスが生じた。
結果的に、戦地において食人した日本兵はお咎を受けなかった一方、銃後の日本において食人した元船長が罪に問われる、というアンバランスが生じた。
SvenKirschによるPixabayからの画像
ソルティは、元船長の食人行為は、命をつなぐため仕方なかったと思うし、無罪であって然るべきと思う。
懲役1年は不当である。
ところが、なんとも傷ましいことに、当の本人は懲役1年を「軽すぎる」と不服とし、「死刑になってもあたりまえ」と思っていたのである。
法律には罰則既定のない「食人」という行為を、元船長はそれこそ殺人以上に許せないものと感じ、生涯自らを責め続けた。
アルコールに溺れ、2度の自殺未遂を起こしてもいる。
15年間の付き合いでもっとも信頼を得たであろう合田が、いくら言を尽くして(仏教譚まで持ち出して)説得しようとも、本人は自らを決して許さなかった。
ここに、「食人」という行為の、法律の範疇にはおさまらない原罪性がある。
人類の根源的なタブーといってもいい。
戦後になって武田泰淳の『ひかりごけ』によってはじめて事件を知った世間が衝撃を受け、話題沸騰したのも、それゆえである。
いつだって、人殺しよりも人食いのほうがスキャンダラスだ。
(元船長が自らを許せなかったのは、「食人」という“罪”だけではなく、おそらく、「自分一人生き残ってしまったこと」の悔恨や、乗組員を守るべき立場にありながらそれができなかったことの罪責感が大きいと思う。)
日本には、穢れを忌む文化や風習が古くからある。
死は穢れの最たるものである。
屍肉を喰らうなど、生涯消えない穢れを身にまとったようなものであろう。
また、日本人には遺体や遺骨に対する強い愛着がある。
日航機123便墜落事故の際の日本人遺族と外国人遺族の違いに見るように、あるいは戦後何十年経っても外地で戦死した遺族の遺骨を探そうとする人々がいることから分かるように、日本人の遺体観・遺骨観には独特なものがあるようだ。
それは日本人の宗教観につながる。
それは日本人の宗教観につながる。
アンデスの聖餐? ああ、アンデス山中に墜落した飛行機の搭乗者が、死んだ人の肉を食べて生きたという話だね。ローマ法王が神の名において許したって話? ありゃ外国のことでしょう? わしのやったこととは一緒にならないよ。なぜ一緒にならないかっていうのかい? 日本人だからさ。日本には日本の道徳思想ってもんがあるんだよ。許されていいもんと、どうしても許されないもんがあるんだよ。あんなことやって許すだなんて、外国人とは違うんだよ。(第一部『裂けた岬』より元船長の語り)
自分だったらどうするだろう?
元船長と同じような状況に置かれたら、十中八九、ソルティも食人すると思う。
相手を殺してまでとはさすがに思わないけれど、実際のところ分からない。
逆に、もし自分が相手より弱ってしまい、先に死ぬことが明らかな場合、「俺が死んだら、この肉を食って生き延びてくれ。決して、あとになって自分を責めるな。俺の分まで生きることをもって供養としてくれ」と言えたらカッコよいけれど、「お前なんか死んでも食いたくねえよ」と言われたら、落胆死するかも・・・。
まあ、そんな状況に置かれないことを祈りつつ、今日の食卓に感謝しよう。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損