2002年フランス、ドイツ、イギリス、ポーランド
150分
ナチスドイツの行ったホロコーストの生き残りであるユダヤ系ポーランド人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマン(1911-2000)の体験記をもとに作られた作品。
カンヌグランプリや米国アカデミー賞の監督賞、主演男優賞(エイドリアン・ブロディ)を獲っている。
ポランスキー監督の父親もまたユダヤ系ポーランド人であり、一家はゲットーに押し込められたのち、強制収容所送りとなった。
父親の機敏な計らいで、ポランスキー少年だけが強制収容所送りを免れたが、母親はアウシュビッツで殺された。
つまり、本作品の主人公の半生は、ポランスキー監督自身のそれと見事に重なる。
ポランスキーが生涯かけてどうしても撮りたかった映画であったことは間違いない。
それだけに渾身の出来栄えとなっている。
事前知識のなかったソルティは、本作を、反戦メッセージあふれる一人の芸術家の伝記映画と想像していた。反戦映画には違いないが、フィクションを織り交ぜたスピルバーグ風の感動エンターテインメントだろうと。
が、実際にはこれはドキュメンタリー(記録映画)に近い。
ナチスドイツ時代にポーランドに住むユダヤ人が体験した地獄の日々をありのままに追ったもので、観る者の感情をいたずらに揺り動かすような作為的な演出はほとんど見られない。
ナチスドイツ時代にポーランドに住むユダヤ人が体験した地獄の日々をありのままに追ったもので、観る者の感情をいたずらに揺り動かすような作為的な演出はほとんど見られない。
ひとたび戦争が始まるや、日常が非日常に変わるのは、あっという間。
それまで堅固に思えていた常識や法や倫理が崩れ、非常識や理不尽や暴力に取って代わるのは、瞬時のこと。
戦時にあっては、法も人権も正義も権利もSDGsも市民運動もSNSによる抗議もヒューマニズムも、最早なんの役にも立たない絵空事と化し、ただただ暴力を後ろ盾にした権力が大手を振るう。
パワハラやセクハラやジェンダー差別や環境問題や表現の自由を訴えられるような“贅沢”は許されない。
パワハラやセクハラやジェンダー差別や環境問題や表現の自由を訴えられるような“贅沢”は許されない。
映画の最初の方で、ナチスドイツがユダヤ人が持てる資産について制限を加えるシーンがある。一家族2000グロッシュまでと。(正確な単位は覚えてません)
シュピルマン一家は余分の紙幣を家の中のどこに隠すかで口論する。
このとき彼らは、二度と家に帰れなくなることも、家自体が破壊されてなくなることも、一同が集まって顔を合わす日が二度とやって来ないことも、想像していなかったのである。
戦争は、いかなるオセロ名人よりも素早く、白を黒に引っくり返していく。
現在、日本人の日常を支える平和と安全と権利が、どれだけ薄氷の上に築かれていることか!
主演のエイドリアン・ブロディは確かに素晴らしい。
大きな手と長い指、ユダヤ系の顔立ち、それに感受性豊かな表情が、迫害されたピアニストとしてのリアリティを生んでいる。オスカーも当然のはまり役。
助演男優(女優?)賞を与えるべきは、やはりピアノである。
戦火においてシュピルマンの演奏するピアノ曲は、役者より雄弁に様々なことを物語る。
とりわけ、爆撃された廃墟に響くショパンのバラード1番が効いている。
音楽の持つ力をありありと感じるが、比喩でなく実際に、シュピルマンの命を救ったのはピアニストとしての名声と人気と腕前であった。
シュピルマンは2000年に亡くなった。
ポランスキーは90歳になった。
ホロコーストの証言者はどんどん減っていく。
本作は歴史上の事実としての記録的価値があると同時に、人類がどこまで愚かに、残虐に、悪魔的になれるかを物語ってあまりない。
ただ救いがあるとすれば、廃墟の屋根裏に隠れるシュピルマンを見逃したドイツ将校の存在と、本作の制作にドイツが関わっている点であろう。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
