1995年日本
112分
脚本 新藤兼人
杉村春子(撮影時88歳)、乙羽信子(70歳)の最後の映画出演作であり、老いをテーマにした代表的な邦画の一つである。
作中で3人の老人が自死(うち2人は心中)するわりには、重くも暗くもなく、鑑賞後はどこかほのぼのした味わいが残るところが不思議。
理由を考えるに、一つには物語の主たる舞台が信州の山間の別荘なので、夏の森の美しさや渓流の輝きがさわやかで明るい印象をもたらすところにある。
また、新藤監督ならではのコミカルな演出も効いている。
留置場からの脱走犯(木場勝己)が別荘に押し入るシーンなどは、リアリティを崩さないぎりぎりの線で、とぼけた風味の滑稽さを生み出すのに成功している。役柄の上とは言え、大先輩である杉村春子に向かって、「ババア」を連呼した木場。勇気が要ったことだろう。
留置場からの脱走犯(木場勝己)が別荘に押し入るシーンなどは、リアリティを崩さないぎりぎりの線で、とぼけた風味の滑稽さを生み出すのに成功している。役柄の上とは言え、大先輩である杉村春子に向かって、「ババア」を連呼した木場。勇気が要ったことだろう。
フラワー・メグの“オールシーン”・ヌードが衝撃的な『鉄輪』で極められた、新藤にとっての主要テーマである「生=性」。
本作でも、若いカップル(瀬尾智美と松重豊!)をめぐる性愛や中高年カップル(乙羽信子と津川雅彦)のやむにやまれぬ不倫を描き、エロの生命力を老いや死と対置させている。
この「老いと死」v.s.「性と生」の綱引きにおいて、最終的に後者の勝利で物語をしめくくらせる立役者は、杉村春子である。
独居老人の首つり自殺も、認知症の妻(朝霧鏡子)とそれを介護する夫(観世栄夫)の入水心中も、杉村春子および彼女が演じる新劇大女優・森本蓉子(杉村の分身と言っていい)の圧倒的存在感の前では、「わたし、ほんとにがっくりしちゃったのよ」の一言と涙の数滴で片付けられる、芝居の傍筋の一つに過ぎないように思えてくる。それこそまさに、小津安二郎監督『晩春』、『東京物語』、『麦秋』で強く刻印された杉村春子という役者のイメージにして本質。すなわち寸分の懐疑も揺らぎもない「生きること(演じること)への飽くなき意欲と全面肯定」である。
このしっかりした核があればこそ、本作は悲観的にも虚無的にも刹那的にもなることなく、多くの観客、とくに老いの最中にある者たちを力づけるのだろう。
本作のテーマは「杉村春子」で、杉村春子は「杉村春子」を演じているのだ。
認知症の妻を演じる朝霧鏡子は、テレビのない時代の銀幕スターで、本作が45年ぶりの出演となった。
介護施設で8年間働いたソルティの目からして、彼女の認知症の演技は実に見事である。顔つきからして、レビー小体型認知症でも脳血管性認知症でもなく、アルツハイマー型認知症と分かるのが凄い。
共演の杉村や乙羽が本作でいろんな女優賞をもらっているのにひきくらべ、朝霧があまり評価されなかったようなのは、当時の映画関係者が認知症をよく知らなかったからとしか思えない。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損