1938年原著刊行
2015年創元推理文庫(訳・高沢 治)

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 『三つの棺』『火刑法廷』など、このところカーター・ディクスンまたはジョン・ディクスン・カーの代表作をさらっている。
 いまのところ文句なしのベストワンはこの『ユダの窓』である。
 トリックの巧みさといい、謎解きの妙といい、サスペンスといい、物語の面白さといい、探偵の魅力といい、伏線の仕込みと回収といい、緊密な構成といい、オールマイティの出来栄え。
 これほどの傑作を読んでいなかったのが不思議。
 つくづくカーとは縁がなかった。

 ジェームズ・アンズウェル青年は、ある晩、婚約者の父親エイヴォリーにはじめて会うため、ロンドンに出かけた。二人の婚約はエイヴォリーに祝福されていた。
 しかし、緊張しつつ通された書斎で、ジェームズはエイヴォリーの敵対的な対応を受け、面食らう。
 「お嬢さんを僕にください」
 意を決して口にし、供されたウイスキーソーダに口をつけた途端、ジェームズの意識は朦朧としていく。
 気がつけば、目の前には胸に矢がつき刺さったエイヴォリーの死体があり、窓もドアも内側から鍵の掛かった完全な密室に、ジェイムズと死体だけが取り残されていた。
 誰がどう考えても犯人はジェイムズしかいない。
 ジェイムズの無実を信じる法廷弁護士メルヴィル卿が立ち上がる。

 密室殺人物として巧くできていて、奇抜なトリックにはそれなりの(試してみたくなる)リアリティがある。圧倒的に不利な状況のもと殺人容疑で捕らえられた男をめぐっての検察側と弁護側の息詰まるやりとりが、読む者をとりこにして離さない。
 ソルティは、仕事が休みの日に、JR一筆書き関東大回りをして本書を読み上げたのだが、本書に夢中になるあまり、今自分が何県のどこらあたりを走っているのか分からなくなった。
 カーやクリスティの筆力や発想力に比べられ得る本邦の推理作家は、結局、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張だけなんじゃないかなあ。
 単発では素晴らしい作品を書く人はいるが、何十作も続けてある程度の水準で、しかも亡くなったあとも人気が衰えず・・・・となると、なかなかいないように思う。
 特に、人間を生き生きと書く力ってのは天賦の才であろう。

 ユダの窓とは、独房のドアに付いている四角い覗き窓のことじゃ。蓋があって、看守が自分の姿を見られずに囚人を観察できるようになっておる。(本書中の探偵ヘンリ・メルヴェール卿のセリフ)

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Frank BeckerによるPixabayからの画像

 “ユダの窓”を使った密室トリックも画期的で面白いし、ジェイムズ青年が陥った死刑必至の危機的状況――気がつけば密室の中に死体と2人きり――を作り出すプロットの精緻さもすごい。
 が、ソルティがなにより感心した(見抜けなかった)のは、名前を利用したトリックであった。
 詳しい説明はしないでおく。

 ときに、犯罪動機に絡んで、ある未婚女性が別れた恋人から恐喝される話が出てくる。
 恐喝のネタは、つき合っている間に撮影した女性のヌード写真。
 いわゆるネットで話題のリベンジポルノ。
 そんなことが20世紀初頭のカーの時代からあったわけだ。
 というより、1826年に世界最初の写真が生まれてからというもの、写真の歴史はそのままヌード写真の歴史であった。リベンジポルノという犯罪もそのとき産声を上げたのである。
 一度は愛し合い、信じ合い、一糸まとわぬ裸体をさらけ出し、写真撮影まで許した男に、別れた後で仕返しされる。
 裏切ったのは男か女か・・・・。
 ユダの窓とは、カメラのファインダーの謂いなのかもしれない。
 
 
 
おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損