2019年幻冬舎
40代後半で高齢者介護施設に就職したソルティが、数ヶ月働いてつくづく思ったのは、「年を取るってたいへんなんだなあ~」であった。
それまで一度も祖父母と一緒に暮らしたことがなかったし、当時は一人暮らしで、70代の両親の姿も盆正月に帰省する時しか見なかった。
自分自身、記憶力の減退や体力の低下こそ感じていたが、老眼や抜け毛やイ×ポはまだ来ておらず、老いを問題に感じるまでに至らなかった。
つまり、自分事としても他人事としても、老いの現実を知らなかった。
80~90代が大半を占める介護施設で、身体の故障や認知力の衰退からくるADL(日常生活動作)低下に苦しむ人々に接したことで、遅まきながらはじめて「老い」の大変さを知ったのだった。
しかしながら、現代日本ではかなりの人が、施設で働く前のソルティと同じ状況に置かれているのではなかろうか。
サザエさん一家のような三世代同居が珍しくなり、人生の最後を施設で過ごし病院で死ぬのが当たり前になった現在、人間の老いと死を間近に見て当事者の生の声を聞く機会は少なくなっている。親の介護を女房まかせにしてきた男たちはとくに。
まだしもソルティは、40代後半で介護の世界に飛び込んだので、同世代の男たちにくらべれば老いを学ぶ機会が持てた。
日々職場で介護という実践を通して施設入所者から学び、その間に受けたたくさんの研修を通して学び、また介護福祉士や介護支援専門員(ケアマネ)の資格試験の勉強を通して学び・・・。振り返ってみれば自分の50代は「老いと死」を学んだ10年間であった。
ソルティが今や80代になった同居の両親の老いてゆく姿にさして戸惑うことがないのも、60代に突入した自らの老化を「仕方ない」とそれなりに受け入れられるのも、この10年間の介護者としての学び――および仏道修行のおかげ、かもしれない。言うまでもなく、諸行無常はブッダの教えの核心である。
ふつう50代と言ったら、仕事も遊びも現役バリバリ、恋もグルメも酒も趣味もまだまだ楽しみたい、老いや死を考えるなどまだ早いってのが相場であろう。とくにバブル時代に青春を過ごした我々“新人類”世代は・・・・・。
しかしながら、不確実なこの世で唯一100%確実なことがあるとすれば、それは誰にでも平等にやってくる老いと死である。
この二つは避けることができない点では共通しているが、大きな違いがある。
死は経験することができないが、老いは経験することができる。
死を学ぶことはできないが、老いを学ぶことはできる。
つまり、死は一瞬のことであり、それを経験し学ぶ主体は消滅してしまうので、結局、経験者や学習者はいない。(生まれ変わりがなければ)
一方、老いはおおむね長期にわたり、人は自らの老いの進行を実感し、経験し、そこから学ぶことができる。老いの終点である死への準備を始めることができる。
一方、老いはおおむね長期にわたり、人は自らの老いの進行を実感し、経験し、そこから学ぶことができる。老いの終点である死への準備を始めることができる。
そう思うと、老いを学ぶ機会というのが現代日本社会に用意されていないことに思い当たる。
むろん、テレビや雑誌を見れば、老いを遠ざけ、いつまでも若々しく健康でいるための様々な断片的な知識はいくらでも得ることができる。
が、自らの老いと向き合い、その仕組みを知り、ありのままに受け入れ、老いる自分とどうつきあっていくか、その先に訪れる死をどう受け入れていくか、という一大事を学ぶ機会がない。
介護施設で働いている時、ソルティは冗談がてら、「定年退職した人に、介護施設での短期間ボランティアを義務付けたらどうだろう?」なんて思ったものだ。
自分の老後や最期を考える最高のショック療法になるし、施設にとっては人手不足解消になる・・・。
最近、医療介護現場ではACP(Advance Care Planning)という言葉が盛んに飛びかっている。
これは、「将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのこと」で、日本語では「人生会議」と呼ばれている。
最近、医療介護現場ではACP(Advance Care Planning)という言葉が盛んに飛びかっている。
これは、「将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援する取り組みのこと」で、日本語では「人生会議」と呼ばれている。
端的に言えば、「どんな死に方をしたいか、元気な今のうちに決めておいてください」ということなのであるが、なかなか浸透が進まない様子である。
死のタブーは強い。
死のタブーは強い。
本コミックは、誰にでも訪れる老いについて、最新の医学的見地、解剖学的見地、リハビリ学的見地、脳科学的見地から、その仕組みを解き明かし、老いを忌避することなく、上手に心地良く付き合っていく方法を教えてくれる。
食事や運動や歩き方などの具体的なコツもイラストを通してわかりやすく伝授してくれる。
「いくら昔たくさん動いて筋肉を鍛えたとしても、筋肉の貯金はできない」という一文にはドキッとした。「若い頃よく山登りして歩いたから」は保証にならないのだ。
逆に、筋肉はいくつになっても鍛えられるというのは朗報である。
かつてのオリンピック金メダルのアスリートで今は運動していない人よりも、今毎日少しでも運動している凡人の方が、長く健康を保てる。
なによりも素晴らしいのは、タイトルが示すように、老いを否定せず、むしろ人間だけに与えられた有意義な時間として、前向きにとらえている点であろう。
そう、ソルティが介護の仕事を通じて知った“老いの苦しみ”の震源は、肉体的な苦痛より、むしろ精神的な苦痛であった。
酸いも甘いも噛み分けて、いい加減悟っていてもいいのではないかと思える齢80、90の爺ちゃん婆ちゃんの心の中が、中2坊主のように疾風怒濤の混乱を来たしているのを目の前に見た時、「いや、これは一筋縄ではいかんぞ。老後のための資金形成も大切だが、それ以上に心の持ち方を学ばなければつらいぞ」とつくづく思った。
精神的な苦痛をもたらす要因は、様々なことに対する“執着”である。
自分の中にある“執着”とどう付き合っていくか、どう解消し手放していくか。
還暦後のソルティの課題である。
還暦後のソルティの課題である。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損


