1939年松竹
124分、白黒
20歳の高峰三枝子の無双のクールビューティぶりが記録された伝説的名画。
吉村監督は『安城家の舞踏会』で20代の原節子の神秘的な美も記録している。
ありがたいというか、うらやましいというか。
なにぶん戦前の映画である。
荒い画質の白黒映像で、音声にはつねに雑音が混じっている。
が、この頃の日本映画はまだ1/3が無声映画だったというから、トーキーであるだけでもありがたいというべきだろう。病院長の娘を演じる高峰三枝子の典雅な「ごめんあそばせ」「ごきげんよう」が聞けるのだから。高峰自身、高名な邦楽家(高峰筑風)の娘で、雅子皇后と同じ雙葉学園高校出身のお嬢様であった。
画像や音声は悪くても、良い映画はやっぱり良い。
『安城家』でも発揮された吉村監督の品格と洗練されたメロドラマセンスは、令和の映画やTVドラマには望めないものである。
マレーネ・デートリッヒの『モロッコ』を彷彿とする砂浜でのラストシーンなぞ、実に美しく、感動的である。
ソルティは他の作品を見ていないのだけれど、おそらく、本作を超えるものはないのではないか?
増村保造監督の1957年版も、岩下志麻主演の1966年版も非常に気になるけれど、物語の舞台となる昭和10年代の日本のくっきりしたジェンダー規範(男は男らしく、女は女らしく)が背景にあってこそ、この物語は生きるのだと思う。
あくまでも男らしくパタナリスト的な日疋祐三(佐分利信)が求める理想の妻像に合うのは、いかにも女らしく「いい奥さんになれるよ」タイプの石渡ぎん(水戸光子)であって、プライドが高く、男と同じ目線で口論できる志摩啓子(高峰三枝子)ではない。
心の中では愛し合っている祐三と啓子だけれど、やはりこの組み合わせはうまくいかないだろう。
今の人が観れば、「なんで啓子は祐三のプロポーズを断るの? ぎんに譲ってしまうの? 最後に泣きべそをかくくらいなら、好きって告白して相手の胸に飛び込めばいいじゃん」と思うだろうけれど、ジェンダー規範だとか階級格差だと家制度だとか、いろんなものに縛られている時代の結婚は、愛だけで一点突破できなかったのである。
佐分利信と高峰三枝子のコンビは、まさにそうした時代を生きる男女を体現するオーラを放っている。“礼節”と言う名のオーラを。
それは後世の名優が頑張っても、演技では醸し出しようのないものであろう。
それは後世の名優が頑張っても、演技では醸し出しようのないものであろう。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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