1995年光文社刊行
2000年文庫化

 現在の政局、3年前には想像つかなかった。
 いや、昨年7月に安倍元首相が暗殺された直後ですら、ここまで元安倍派(清和会)や自民党が危機的状況(=ABE NO CRISIS)に陥ることになるとは思わなかった。
 世の中は分からないものである。
 希望を失ってはいけない。
 これが一発の銃弾からでなく、一票の力によるものだったら、良かったのに・・・・。

 安倍晋三のやってきたことを一言で言えば、「戦後民主主義の破壊」である。
 それを確信犯的におこなった。
 集団的自衛権容認による「戦争のできる国」への移行だけでなく、大日本帝国のような全体主義国家体制への道を開こうとしていた。
 少なからぬ日本人がそれに賛同し、安倍政権を支持していることに、ソルティは絶望しか感じなかった。
 2013年からの10年間の日本はソルティにとって暗黒の時代であったが、旧統一教会との癒着やこのたびの組織主導による裏金づくりの暴露を通じて、ついに安倍派の正体が白日の下に晒され、民主国家に生きる誰にとっても暗黒の10年であったことが証明されようとしている。
 もちろん、安倍元首相の国葬が憲政史上の汚点であったことも・・・・。
 
 一方、安倍晋三が自らの信じる「日本の進むべき姿(国家像)」をどの政治家よりも明確に描き、国民に提唱し、その実現に向かって行動していたのは確かであろう。
 迷いのないその姿勢と実行力、そして人を味方につける魅力は、政治家として評価すべき点かもしれない。
 田中角栄、中曽根康弘、小泉純一郎をのぞけば、日本の歴代の首相になかなか見られないカリスマ性に、心酔する人も多かったのだろう。
 あたかも、自分たちがどんなところに連れて行かれるか分からぬままに、心地良い笛の調べに乗せられて、得体の知れない男のあとをついていく、おとぎ話の子供たちのように。

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 元安倍派の崩壊が現実味を増しているいま、早急に求められるべきは安倍晋三が説いたのとは異なる、多くの国民が賛同できる「日本の進むべき姿(国家像)」の創出であろう。
 それを打ち出せないと、第2、第3の安倍晋三が現れて、大日本帝国へと続く同じ道に国民を引きずり込むだけである。
 日本会議や神社本庁や創価学会や保守系マスメディアなど、安倍政権を支えた反動系ステークホルダーが再び集結し、倒れた神輿を立て直し、同じ曳き回しを繰り返すばかりである。
 
 自分はどんな国に住みたいのか。
 刻々と移り変わる先の見えない世界情勢の中で、所与の条件を踏まえながら、日本はどう振舞うべきか。
 この二つの問いの最適の共通解となるような新しい国家像を考えなければならない。

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 本書はその意味で、新しい社会のあり方を自分なりに考えようとする者にとって、固定観念を打ち破り、思考の枠を広げ、想像力と創造力を励起し、自由な発想を可能ならしめるブレインストーミングの役割を果たすような、一つの国家論の提起である。
 いや、正確には国家論ではない。脱・国家論である。
 国家民営化の意味するところは、国家の仕事をすべて市場に解消し、最終的には国家を解体してしまおうというのだから。

 社会主義の崩壊以後の時代であるからこそ、新しい社会批判の原理を探究することが、切実に求められているのではないか。

 リベラリズムでも新保守主義でも、社会民主主義の新形態としての「第三の道」でもない、独立生産者の自由な連合という方向で、人類の21世紀社会を展望すること。グローバル経済の潜勢力を歴史的前提に、可能なかぎり国民国家の敷居を低くすることから出発し、今後数世紀という時間的射程で、世界国家の君臨なき世界社会の形成をめざすこと。

 笠井はそれを「ラディカルな自由社会」と名付けている。
 2022年刊行の『新・戦争論 「世界内戦」の時代』(言視舎)において、笠井が目指しているものが「世界国家なき世界社会」であること、そしてそれを実現する手段は「自治・自律・自己権力を有する無数の集団を下から組織し、近代的な主権国家を解体していくこと」であると説かれていた。
 ソルティが知らなかっただけで、ソ連崩壊(1991年)直後から、笠井はすでに自分なりの理想の社会像を追究し、描き出し、唱えていたのである。

 どんな国を作るか――ではなくて、国は要らない。当然、国民もいない。
 社会主義でも共産主義でも保守主義でも権威主義でも全体主義でもない。
 左でも右でもない。
 重要なのは、国のような権力(=暴力装置)による支配から個人を解放すること。
 経済的にも思想的にも個人の自由を最大限保障すること。
 アナキズム(無政府主義)と言っていいだろう。

 笠井の構想する「ラディカルな自由社会」とは、具体的にどのようなものなのか。
 国家民営化の意味するところはなにか。
 以下のような具体案が挙げられている。
  • 遺産相続の廃止と家制度の解体
  • 育児費用の社会負担
  • 教育の民営化
  • 売春の自由化
  • 安楽死、自殺の権利
  • 警察、刑務所の民営化
  • 裁判の民営化
  • 死刑の廃止
  • 企業寿命制の導入
  • 天皇制の民営化(宗教組織にする)
  • 個人的武装自衛権と決闘権の保障
  • 市民軍の結成
e.t.c.

 上記の内、いくつか補足する。

 ●教育について
 むろん、文部省は廃止される。教科書の検定などは不要である。教育サーヴィスを提供する企業は、どんな教科書を利用しようと、どんな教え方をしようと自由である。ただし社会は、その教育企業が生徒に、最低限度の教育サーヴィスを提供しているかどうか、なんらかのかたちで確認しなければならない。そのためには社会が生徒に、定期的に簡単なテストを実施すればよい。しかし、その場合でも、テストされるのは生徒ではないことに注意する必要がある。テストの対象は、企業が提供している教育サーヴィスの質なのである。

 ●売春について
 組織的な強制労働が根絶され、女性から多様な就業機会を奪う社会的差別のシステムが解体されたとき、売春は消滅するだろうか。消滅してもかまわないが、自由な意思で性サーヴィス労働を選択する女性が存在する場合には、売春の権利は擁護されなければならない。

 ●安楽死と自殺について
 ラディカルな自由主義は、安楽死の権利を、ひいては自殺の権利を主張する。人間には自殺する権利がある。自殺するために、より肉体的に苦痛の少ない方法を求める権利がある。国家の究極的な犯罪性は、ハイエクやフリードマンが考えたように、個人の経済的自由を侵害するところにあるのではない。生および死の自己決定の権利を侵害するところに、国家というリヴァイアサンの最大の抑圧性がある。

 ●天皇制について
 天皇制は民営化され、市場化されなければならない。そのうち打倒される運命の君主や、改選されるのが原則の元首などを曖昧に擬態しないで、宗教的主体として自己徹底化するのがよい。どのような「新しい神」と競争をしても、「日本最古」の神が宗教市場で最終的な勝利をおさめうると確信する以上は。

 ――といった調子である。
 ずっと読んでいると、“過激(ラディカル)”というより、“トンデモ”本、あるいはSF小説のアイデア帳のような気がしてくる。 
 やはり、プロの小説家の想像力&創作力ってすごい。

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Emmanuel CATEAUによるPixabayからの画像

 ソルティはこれまで真面目にアナキズム(無政府主義)について考えたことがない。その必要性を思ったこともない。
 生まれた時から日本という国はあって、インフラも法律も制度もある程度整っていて、衣食住に困ることなく、大過なく60年を過ごしてきたからである。
 靖国神社に行くような愛国主義者ではないが、日本国民であることに満足している。
 これだけ物質的に豊かで安全で平和な国はないと思う。
 ひょっとしたら、「戦後80年間の日本は世界人類史におけるプライムタイムであった」と、後年の歴史学者が記す日が来るやもしれない。
 
 国家というものが、たとえ、対外戦争や死刑制度にみるように「暴力装置」であるとしても、それは必要悪なのではないか。
 国家のような上位権力のないところで、人と人とが必要な物を分け合って平和裡に暮らしていけるだろうか。
 トマス・ホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」になるだけではないか。
 弱肉強食のキリングフィールドが待っているだけではないか。
 富の偏在を調整する機能も、集約して配分する機能もなかったら、「持てる者(勝ち組)」と「持てない者(負け組)」の差は広がる一方で、最終的には古代バビロニアの奴隷制のような社会に戻るだけではないか。
 勝ち組同士が、より多くの利得、より多くの権力を求めてシノギを削る、群雄割拠の戦国時代が現出するだけではないか。

 アナキズムを唱える人は、性善説に立っている“オメデタイ”人なのだろうと、ソルティは思ってしまうのだ。  
 悲観主義? 現実主義?
 そう、仏教徒であるソルティは、人類が「欲、怒り、無知」の三毒から卒業することはないと思っている。
 ある朝、人類がいっせいに悟りでもしない限り。

 本書の価値は、「おまえにとって国とは何か?」「日本とは何か?」という問いを、読者ひとりひとりに突きつけるところにあると思う。

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国破れてサンガあり



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損