1934年原著刊行
2013年創元推理文庫(訳・厚木 淳)
本作もカーター・ディクスン、またの名をジョン・ディクスン・カーのベスト10に上げられる名作。
雪と凍った湖に囲まれた屋敷で、ある朝、一人の有名な女優の他殺死体が発見された。
死亡時刻には雪はやんでおり、その後は降っていなかった。
屋敷に向かうただ一つの足跡は、最初の発見者のもので、真新しい足跡におかしなところはない。
屋敷から出る足跡はついていない。
むろん、犯人は屋敷の中に隠れているのでもなく、屋敷に秘密の抜け穴のようなものがあるのでもない。
いったい、犯人はどうやって現場から逃げたのか?
密室物の変形と言える。
このトリックは秀逸で、ソルティにも思いつかなかった。
ただし、現在の科捜研の目をごまかすことは到底できないレベルのトリックなので、思いつかなかったというのもある。
クリスティやカーがミステリー黄金時代を築けたのは、科学的犯罪捜査が端緒を開いたばかりで未熟だった20世紀初頭という時代のおかげもあろう。
いろんな奇想天外なトリックが考案できる余地があったのである。
令和のいまなら、科捜研マリコは現場に残された遺留品や血痕やなにやから、ただちに本作のトリックを見破るであろう。
主要トリック自体が秀逸なのは間違いないが、カーの作風もまた、ある種のトリックというか隠れ蓑を成している点も指摘できよう。
それは怪奇趣味を仕込んだり、登場人物たちの冗長な会話で読者を煙に巻いたり、という点である。
フェアなミステリーを標榜したいのであれば、本来読者に伝えるべき客観的な事実を、登場人物たちの主観的な会話の中に潜り込ませ、小出しに提出したりする。
たとえば、この物語であれば、時間がとても重要な要素になるのであるが、夜間のどの時刻に、容疑者たちがそれぞれどこにいて何をしていたかが、整理整頓されていない。
通常の推理小説なら、探偵役が容疑者一人一人に尋問し、本人や第三者の証言からそこを明らかにし、探偵の助手役が(読者の便宜をはかって)時系列で一覧表にでもするだろう。
そうあってこそ、読者は犯人当て推理ゲームに参加する楽しみが得られる。
本作は、そこのところが非常に不親切で、時系列をわざと曖昧にしている。
その結果、読者は簡単に真相に近付かないよう誘導される。
“公明正大”を謳うエラリー・クイーンの国名シリーズとは対照的と言える。
若い頃のソルティは、それを作家の狡さと受け取って、カーがあまり好きでなかった。
今は逆に、読者の鼻面を引きずり回して迷路に陥れるカーの叙述の巧みさを、「天晴れ!」と思えるようになったが・・・。
ちなみに、本記事の冒頭の解説文も、注意が凝らしてある。
本作のトリックを知る人なら、ソルティの巧みさを評価してくれよう。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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