2020年
119分

なぜ君DVD

 『日本改革原案2050』の政治家・小川淳也の32歳からの17年間を追ったドキュメンタリー。
 最初の新型コロナ緊急事態宣言が解除された直後の2020年6月に都内2館で公開され、ツイッター(現・X)を中心とするクチコミで火がつき、全国に上映館が広がり、6ヶ月のロングランとなった。

 噂に違わず、とても面白く、観る者を熱くさせる、感動的な120分。
 香川県という一地方の選挙戦の様子であるとか、旧態依然とした日本の選挙システムの問題点であるとか、政党政治や派閥政治の限界であるとか、党利党略やしがらみに縛られ振り回される一国会議員の葛藤であるとか、2003年から2020年までの政局の変遷であるとか・・・・そういった、一政治家の奮闘の記録を通して露わにされる「日本の政治および政治家」批評という観点でも興味深い作品なのであるが、それを大きく超えた感動がある。
 いったい自分はこのフィルムの何に感動したんだろう?
 何で感動したんだろう?

 一つは、小川淳也の政治信条がソルティのそれに近いからである。
 右すぎず、左すぎず、中道の庶民派。
 この映画の主人公が、自民党や共産党や公明党のような強い組織力のある政党の人間であったとしたら、あるいは、百田新党や日本維新の会や国民新党のようなマッチョな匂いのする政党の一員であったなら、ソルティはこれほど感動しなかったであろう。
 高松市で美容店を営む主人公の父親は言う。

 政治家が国民に本当のことを言って、この国の大変さと将来の大変さをちゃんと伝えて、土下座してでも、「こういうことやから」と言える政治家が出て来んと、もうこの国は駄目や、と思っているんですよ。それができるのは、ひょっとしたら淳也しかおらんのかなあ。

 この父にしてこの子あり。

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 一つは、主人公のイケメン力である。
 イケメン力とは、顔の造型やスタイルの良さだけを言うのではない。
 清廉さ、明るさ、我欲の無さ、正直、謙虚、熱意、ひたむきさ、率直さ、知性といった資質によって造られる顔立ちであり、人柄であり、オーラである。
 安倍晋三びいきで立場的には政敵とも言える田崎史郎すらをも惹きつけるのは、このイケメン力であろう。
 とくに、スイッチが入ったときの弁舌の磁力は、天下国家を語る維新志士が憑依しているかのごとく。

 一つは、この主人公が持っている“純なるもの”が、台風の目のように周囲の人々を巻き込み、次第に渦が大きくなっていく過程を見せつけられるからである。ドキュメンタリーならではの台本のないドラマと臨場感にワクワクする。
 魑魅魍魎の跳梁跋扈する政治の世界に、お花畑のような理想を掲げ、“小池百合子的したたかさ“とは真逆の正攻法で貫き通そうとする“おバカな”人間がここにいる!
 それが地元香川の市民たちの共感を得て、「地バン、カバン、看バン」揃った自民党公認の平井卓也議員に選挙で勝ってしまうという奇跡。
 現実にはウルトラマンが怪獣に敗けていくこの絶望的な世の中にあって、正義が果たされていく稀なるヒロイック・ファンタジーがここにある。

 一つは、本作が主人公とその家族を登場人物とするホームドラマになっている点である。
 主人公の両親、かつて同級生だった妻、二人の娘。
 官僚としてエリート街道まっしぐらだったはずの主人公の唐突な決断によって、人生を一変せられ、嵐の只中に巻き込まれ、さまざまな犠牲を強いられ、それでも主人公を支え続ける家族たち。
 通学している小学校の前に父親のポスターがデカデカと貼られているのを見て、あまりのきまり悪さに家に逃げ帰って号泣したという娘たちが、十年後には、「娘です」と大きく書かれたタスキを胸にかけて、父親のあとをついて堂々と選挙応援している姿には、これまで父親というものになったことのないソルティも、落涙を禁じえなかった。
 安倍自民党や統一教会が唱えていた“美しい家族”像が、どんだけハリボテな、欺瞞に満ちたものであるかが、よくわかる。
 強制された家族愛など偽りでしかない。

 一つは、やはりこれも家族の絆。父と息子の物語である。 
 ソルティは大島新監督についてなにも知らなかった。
 本作を観終わった後、ネットで検索して、あの大島渚の息子であることを知った。
 その途端、大島渚の撮った『日本の夜と霧』(1960)のラストシーンが浮かんできたのである。
 あれは、1950年代の共産党の右顧左眄と硬直した組織体制を批判し、新左翼の登場を描いた映画であった。
 国家権力を嫌った大島渚は、当然、反自民であったが、共産党シンパでもなかった。
 右でも左でもなく中道。しいて言えば、グローバルな視野を持つ自由主義者。
 それが大島渚であった。
 よくは知らないのだが、大島渚は新左翼に期待するところ大だったのではないか。
 しかるに、『日本の夜と霧』における新左翼の青年(津川雅彦)の華々しい登場は、自民党や共産党の組織的腐敗を打ち破るものにはなり得ず、連合赤軍事件という惨憺たる結果に終わった。テロでは社会は変えられない。
 大島渚は、71年の『儀式』を最後に、政治的映画から離れていった。
 その後、ソ連の崩壊などあって左翼運動が弱体化し、自民党一強時代が長く続いている。
 本作で小川が述べている通り、民主党政権の数年間(2009-2012)のていたらくは、逆に、その後に続く第二次安倍政権の長期化&盤石化を用意してしまった。
 もはや、日本は自民党独裁と右傾化から逃れられないのか?

 そんな絶望のときに、大島渚の息子によって制作されたのが、ほかならぬ本作なのであった。
 この巡り合わせに、ソルティは感動を覚えざるを得なかった。
 むろん、親譲りの芸術性ゆえか、作品としての出来も素晴らしい。
 なにより、2003年時点で、海の者とも山の者ともつかぬ地方の新人候補者をカメラに収めておこうという、勘の良さというか、出会いの才能に驚嘆する。
 あの父にしてこの子あり。

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選挙活動中の小川淳也
丘と畑の連なる風景が讃岐(香川)の遍路を思い出させる

 2020年の公開時にソルティが本作を観られなかったのは、コロナ禍のためもあったが、足を骨折して外出がままならなかったせいだ。
 本作の成功を受けて、大島新は2021年10月に行われた衆議院議員総選挙に焦点を当てた『香川一区』というドキュメンタリーを撮っている。
 香川一区は、小川淳也と平井卓也の選挙区である。
 ソルティはこれも観ていない。
 正直に言えば、安倍政権の専横とそれを許してしまう日本国民に対する絶望感に襲われて、ある種の諦念に陥っていたところもある。(いまもそれは変わりないのであるが)

 しかし、世の中はわからない。
 本作の意味合いは、2022年7月8日を契機に大きく変わってしまった。
 本作中、不透明な政局を前にした小川が、「5年後どうなっているかわからない」とスタッフに呟くシーンがある。2019年9月の収録シーンだ。
 たしかに、未来のことなど予測できないのは分かっている。
 しかし、いくらなんでも、「5年後」のこの2024年の日本の姿は、小川やスタッフや田崎史郎はもとより、日本人の誰ひとりも想像できなかっただろう。
 本作を公開時でなく、「いま」観ることの最大の面白さは、悩み逡巡し苛立ち奮闘し壁にぶつかり、それでもくじけず頑張る映画の中の主人公に向かって、「5年後は状況がまったく違っているから、あきらめるなよ」と、声をかけたくなる点である。
 希望が無くなるのは、自らそれを捨てた時なのだ。 

 小川淳也が総理大臣になれる日は来るのか?
 可能性は低いと思う。
 だが、5年前より確実に高まっている。


壇ノ浦
源平合戦のあった壇之浦(香川県高松市)




おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損