2012年原著刊行
2014年紀伊國屋書店(訳・高橋洋)

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 SNSにおける「ネトウヨ V.S. パヨク」の中傷合戦に象徴されるように、右翼(保守)と左翼(革新)の分断と対立が、国内でも国外でも先鋭化しているように思われる。
 アメリカの場合とくに顕著で、共和党陣営と民主党陣営の二極化は、国を分断し、民主主義の危機が叫ばれるまでになっている。
 いったい、人はなぜ右翼になったり、左翼になったりするのか?
 両者の違いはどこにあるのか?
 対立は乗り超えられないものなのか?
 
 そうした疑問に答えんとするのが、「対立を超えるための道徳心理学」という副題をもつ本書である。
 原題は、The Righteous Mind――Why Good People Are Divided by Politics and Religion  『正義心――なぜ善良な人々が政治と宗教によって分断するのか』
 著者のジョナサン・ハイトは、1963年アメリカ生まれの社会心理学者でユダヤ人。
 もともとはガチガチの民主党支持のリベラル(左翼)だったのだが、アメリカとはまったく異なる文化を持つインドで数年暮らしたり、心理人類学者で多元主義者のリチャード・シュウィーダーや歴史学者のジェリー・ミュラーの影響を受けたり、道徳に関する様々な調査研究を重ねたりするうちに、自らがWEIRD社会のマトリックス(枠組み)に囚われていたことに気づき、自らを相対化するのに成功し、それまで理解するのが困難だった保守側の主張にも耳を傾けられるようになったのだという。
 WEIRDというのは、Western(欧米の)、Educated(啓蒙され)、Industrialized(産業化され)、Rich(裕福で)、Democratic(民主主義的な)人々、という意味である。
 WEIRD文化に属するのは、世界でも限られた人々であり、そこでのものの考え方や世界の見方を世界標準とするのは、当然片寄っている。

 WEIRD文化の特異性の一つは、「WEIRDであればあるほど、世界を関係の網の目でなく、個々の物の集まりとして見るようになる」という単純な一般化によってうまく説明できる。これまで長いあいだ、欧米人は東アジア人に比べて、自己をより自立的で独立した存在と見なすとされてきた。たとえば、「私は・・・」で始まる文を20あげさせると、アメリカ人は自己の内面の状態を表現しようとする(「幸せだ」「社交的だ」「ジャズに興味がある」など)。それに対し、東アジア人は役割や関係をあげようとする(「一人息子だ」「妻帯者だ」「富士通の社員だ」など)。

 日本人はもちろん東アジア人であるけれど、戦後GHQによる民主化政策を受け、資本主義陣営に取り込まれて以来、WEIRDの一員になったと自負(錯覚?)しているところがある。
 東アジア的心性とWEIRD的心性のあいだで分裂しているのが、現代日本人なのかもしれない。

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 本書は、読みやすく、わかりやすく、面白い。
 論旨が明確で、文章は簡潔にして平易。
 著者が仲間たちとおこなった道徳に関するユニークなアンケート調査の数々が紹介されていて、その結果分析には興味をそそられる。
 論述の一つ一つは、可能なかぎり科学的な裏付けが施されているので、説得力がある。(科学妄信もまたWEIRDの“悪い”癖なのかもしれないが)
 各章の末尾には「まとめ」があり、全部を読むのがめんどくさい人は、「まとめ」ページだけ拾って読めば、本書の要点を理解できるようになっている。
 「左・右」どちらの立場の読者も引き込み、最後まで飽きさせず、知らぬ間に著者の説を受け入れさせる叙述テクニックは、さすが多元主義の心理学者だなあと思った。

 内容に入る前に、右翼(保守)と左翼(革新)の定義を確認しておきたい。
 言葉の起源が、フランス革命時の国民議会における保守派と革新派の座席の位置関係にあることはよく知られている。
 右翼席に陣取った保守派が国王(ルイ16世)や貴族に寛容な姿勢をとったのに対し、左翼席の革新派は不寛容であった。
 そこから、

 右翼=保守、伝統や権威を尊重、急な変革を嫌う、体制維持
 左翼=革新、伝統や権威を重視せず、変革を好む、反体制


という性格付けが生じた。(ここで留意したいのは、アンシャンレジーム〈絶対王政〉打倒という点では、どちらもすこぶる“革新”だったという点である)
 しかるに、今では西洋資本主義社会の多くの人が、「左翼=社会主義、共産主義」というイメージを持っていて、元来の語義に訂正が必要となっている。
 というのも、旧ソ連や今の中国のような共産主義国家においては、右翼(保守)であることはすなわち共産主義体制維持を意味し、左翼(革新)であることは「欧米化」を意味するからだ。
 現代日本においてもそれは言えることで、79年間続いてきた日本国憲法下における戦後民主主義体制はもはや「日本の伝統」「正統な体制」と言ってもよく、それを変えて「大日本帝国」化を目指さんとする自民党をはじめとする改憲勢力こそが、「革新」すなわち左翼なのではないかとすら、ソルティは思うのである。(大日本帝国の寿命は78年)
 そんなわけで、右翼と左翼の定義は混乱している。
 〈右翼―左翼〉二元論にとって代わる、現代世界の政治思想を説明する、多くの人が納得できるマトリックスはないものか?
 ソルティがもっともすんなり受け入れられる説明は、アメリカの政治家であるデイヴィッド・フレイザー・ノーラン(1943-2010)が考案した下図のノーランチャートである。

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 これは、「思想や行動の自由度」と「経済活動の自由度」の二つの側面から、個人と国家の関係を分類したものと言える。
 上に行くほど、右に行くほど、個人(民間)に対する国家の統制や束縛が弱まる。自由が増加する。
 このチャートに則れば、日本や欧米の資本主義国における“伝統的”右翼は下半分の「権威主義から保守」に入り、“伝統的”左翼は上半分の「リベラルからリバタリアン」に含まれる。
 現代アメリカの政治思想状況を取り上げている本書における右翼と左翼の定義も、これに準じている。(本書では、右翼を「保守」と、左翼を「リベラル」と表記している)
 また、国際的視点をとれば、日本や欧米の国々は「リベラルからリバタリアン」に、ロシアや中国や北朝鮮やイスラム教国は「権威主義から保守」に入るだろう。

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 さて、The Righteous Mind (正義心)とは何か?
 著者はそれを The Moral Mind(道徳心)と区別している。
 後者が「普遍的な正義を求める心」だとすれば、前者は「道学的、批判的、判断的な本性を持つ心」であり、しいて言えば「偏狭な正義感」である。
 この「偏狭な正義感」=「正義心」が、人類には普遍的かつ生得的に備わっているということが、本書の基盤となる命題である。  
 論理はざっと以下のように展開する。
  1.  人間は〈理性〉より〈直観〉によって動く。→換言すれば、〈意識〉よりも〈無意識〉によってコントロールされているということで、「自由意志」の存在を否定する最近の遺伝生物学や脳科学の知見に依っている。
  2.  生存競争に打ち勝ち現代まで生き残ってきた人類(ホモ・サピエンス)の遺伝子や脳内には、生き残りに役立った道徳が植え付けられている。それが「正義心」であり、人類の〈直観〉を成している。→ここでは、進化生物学や進化心理学、とくに集団選択(集団レベルで作用する自然選択)の理論などが援用されている。
  3. 「正義心」は5つの基盤から成る。それは、〈ケア〉、〈公正〉、〈忠誠〉、〈権威〉、〈神聖〉である。(道徳基盤理論)→のちに補修され、6つに増えている。
  4. 5つの基盤のうち何を重視するかが、その人の思想傾向(保守的or革新的)に影響を及ぼす。→生育環境や人生上の体験によって、比重は変わり得る。
  5. 左翼(革新)の人は5つの基盤のうち、〈ケア〉、〈公正〉の2つだけを重視する。対して、右翼(保守)の人は5つの基盤すべてを平等に重視する。→したがって、有権者により多くアピールできるのは、右翼(保守)のほうである。 
  6. 人類史において、自集団の生き残りに役立ってきた「正義心」は、必然的に自集団中心の郷党的なものにならざるを得ない。→かくして、「正義心」は人々を結びつけると同時に盲目にする。
 5つの基盤について簡単にまとめると、
  • 〈ケア〉・・・・人を害から守りケアすることへの関心。キーワード「介護、親切」
  • 〈公正〉・・・・双方向の協力関係の恩恵を得る。キーワード「公正、正義、信頼性」
  • 〈忠誠〉・・・・結束力の強い連合体を形成する。キーワード「忠誠、愛国心、自己犠牲」
  • 〈権威〉・・・・階層制のもとで有益な関係を結ぶ。キーワード「服従、敬意」
  • 〈神聖〉・・・・汚染を避ける。キーワード「節制、貞節、敬虔、清潔さ」
 また、極右(非常に保守的)から極左(非常にリベラル)まで、それぞれの政治思想を持つ人が、5つの基盤のうち、どれにどのくらい重点を置いたかを示すグラフが以下である。

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(本書256ページより転載)

 なるほど、明らかに保守のほうがまんべんなく基盤を押さえている。つまり、人々の「直観」に訴えかけるスイッチを持っている。
 ただ、5つの道徳基盤すべてに重点を置いている保守の集票的有利を語ることで、著者が右翼の味方をしていると思った人がいるなら、それは誤解である。
 著者は今でもリベラルには違いないようで、民主党を応援するために民主党支部に出かけて、本書の内容をレクチャーしている。
 また、5つの道徳基盤は、左右問わず誰の脳内にも組み込まれているものであり、どれがどれより重要だということもなく、時と場合により比重が入れ替わることを著者は示唆している。
 たとえば、同じ一つの国でも、戦時には〈権威〉や〈忠誠〉がほかの要素よりクローズアップされ、自然災害後や不況時には〈ケア〉や〈公正〉が求められてくるであろうことは、想像に難くない。同じ一人の人でも、若くて独身のときは〈権威〉や〈忠誠〉を嫌って〈自由〉や〈公正〉を求める闘士たらんとハッスルし、結婚して守るべき家庭を持ち会社で重い立場を与えられたら、自然と〈権威〉や〈忠誠〉に重きを置くようになるだろう。子供や孫を持てば、あるいは自らの老化が進行すれば、〈ケア〉の価値に目覚めることにもなろう。
 さらに言えば、著者が記しているように、「遺伝子の進化が過去5万年のあいだに著しく加速していた」ことが事実ならば、今後その加速度がさらに高まり、5つの道徳基盤が数世代のうちに変貌する可能性も想定されよう。

 本書の一番の価値は、5つの道徳基盤とそれが形成された人類史的背景を知ることによって、読者が自らの道徳マトリックスに気づき、さらに、それが形成された個人史的背景を顧みることによって、著者がやったように自らを相対化し、多元的視野のもとに、対立陣営に属する人たちと向き合うことを提言しているところにある。

 本書では、なぜ人々は政治や宗教をめぐって対立するのかを考察してきた。その答えは、「善人と悪人がいるから」というマニ教的なものではなく、「私たちの心は、自集団に資する正義を志向するよう設計されているから」である。直観が戦略的な思考を衝き動かす。これが私たち人間の本性だ。この事実は、自分たちとは異なる道徳マトリックス(それは通常6つの道徳基盤の異なる組み合わせで構成されている)のもとで生きている人々と理解し合うことを、不可能とは言わずとも恐ろしく困難にしている。
 したがって、異なる道徳マトリックスを持つ人と出会ったなら、次のことを心がけるようにしよう。即断してはならない。いくつかの共通点を見つけるか、あるいはそれ以外の方法でわずかでも信頼関係を築けるようになるまでは、道徳の話を持ち出さないようにしよう。また、持ち出すときには、相手に対する称賛の気持ちや誠実な関心の表明を忘れないようにしよう。

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Nino Souza NinoによるPixabayからの画像

 著者グループが10万を超える人々を対象に実施した「道徳に関するネットアンケート」は現在も継続中であり、以下のアドレスから参加することができる。

 ソルティもアカウント登録してアンケートに回答した。
 結果は正直びっくりするものであった。

ソルティはかた道徳マトリックス

注:2024年現在、5つの道徳基盤の中の〈公正〉が、〈平等〉と〈比例配分〉の2つに分かれ、
全部で6つの道徳基盤となっている。〈比例配分〉とは「各自の努力に見合った報酬を
手に入れるべき」という「正義心」のことで、結果の平等を重視する〈平等〉と異なる。

 傾向としては間違いなく「リベラル」な人間であるが、〈ケア〉をのぞくすべての要素において、平均値を下回っていた。
 〈忠誠〉や〈権威〉をたいして重視していないのは若い頃から自覚していたが、〈平等〉がこんなに低いとは・・・・!
 また、30歳くらいから福祉関係の仕事やボランティアをしていたので、〈ケア〉がもっと高い点を採ると思っていた。世界標準からすると「まだまだ」なのね~。
 すべての点数が低いのは、非社会的人間ということなのか、それとも遺伝子のコントロールから比較的逃れていることを意味しているのか・・・・。
 やってみて図らずも自覚したのだが、いままでずっと自分を「左翼(リベラル)」と思っていたけれど、思想的にはもはや「左」でも「右」でもなく、単なる「仏教徒」なのだ。
 ソルティが「守らなければ」と思っている道徳は、八正道なのである。 






おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損