2020年(株)KADOKAWA
2023年文庫化

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 田舎に住む78歳の父親の車の運転をどうにかやめさせようと骨を折る、都会に住む50代の息子の物語。
 帰省するたびに、あちこち凹みや傷をつけている父親の車を見るにつけ、また、父親と同世代の男たちが運転事故を起こしたという近所の話を聞くにつけ、一刻も早く運転をやめさせなければと焦るのだが、当の父親は聞く耳を持たない。 
 言えば言うだけ頑なになる。
「免許を返したら、買い物できなくなるじゃないか」と父親は言う。
 通販の利用をすすめたり、ふた親を都会に呼び寄せる算段をしてみたり、いろいろ試してみるがうまくいかない。
 事故が起きてからでないと、本人を納得させるのは無理なのか・・・・

 介護業界で働いているソルティも、「うちの父が運転をやめません」という娘息子からの相談をたまに受ける。
 免許返納拒否問題。
 当人が持ちだす理由はだいたい同じで、「足が無くなると、買い物や通院に困る。バス便は少ないし、タクシー代は高すぎる」
 もっともなところである。
 だが、多くの場合、根本的な理由は別にある。
 男のプライド――である。
 男にとって、愛車を奪われるのは、去勢されるに等しいものなのだ。
 だから、免許を取り上げるのは酷でもあるし、難しくもある。

車と男

 どういった結末に落ち着くのか、はたして父親は運転をやめるのか――という“引き”はたしかに気になる。
 けれど、読み進めているうちに、本書のほんとうの主人公は、田舎の父親ではなくて都会の息子のほうであり、ほんとうのテーマは、父親の免許返納問題ではなく息子の生き方の問題であることが判明する。
 自然豊かで地縁の根付いた故郷を離れ、憧れの都会に出て就職し家庭を持った息子は、いつのまにか仕事に追われ、夢を失い、妻や子供との食事や会話もままならない、味気ない日々を送っている。
 隣人の顔も名前も知らない、土や雨の匂いもわからないマンションで、定年だけを楽しみに生きている。
 その親父の姿をみている高校生の息子は、将来に希望が持てず、活気を失くしている。
 いったい、どこでどう間違えたのか・・・・。
 
 著者は1959年生まれ。
 ソルティとおなじく、子供時代を高度経済成長期の日本の変貌を見ながら過ごし、青春時代を「一億総中流」の幻想のうちに遊び惚け、就職したらバブルの狂騒に巻き込まれたイケイケ世代。
 豊かさの指標が、国民総生産や所有物の多寡で測られた。
 偏差値の高い大学に入り給料の高い会社で働くこと、そのような高スペックを持つ男と結婚すること、それが幸福と世間は言う。
 その教えにしたがって我武者羅に働いてきて、ふと気づくと、バブルは崩壊、日本経済は失速し続け、所得格差は広がる一方。
 次々と開発される文明の利器はたしかに生活を便利にしてくれたが、余暇が増えるかと思えば、逆に忙しくなるばかり。
 家族はそれぞれが好き勝手なことをし、地縁はとうに消滅し、引きこもりや孤独死が増えた。
 これが、我々が子供時代に夢見ていた21世紀日本の姿なのか。
 日本人はこの半世紀で、より幸福になったのか。
 著者が読者に問いかけているのはそこだと思う。
 その意味で、『パーフェクト・デイズ』と相通じるところがある。

 しばらく前から、昭和懐古ブームが起きている。
 とくに西岸良平の漫画『三丁目の夕日』に描かれた昭和30年代の下町の風景が、多くの人々の郷愁を誘っている。
 「決して裕福ではなかったけれど、あの頃は良かった・・・・」
 一方、現在放映中のTVドラマ『不適切にもほどがある!』で揶揄されているように、セクハラやパワハラや男尊女卑や父権主義やマイノリティ差別や受動喫煙の害など、昭和文化にはいろいろと問題も多かった。
 「昔は良かった」とは一概に言えない。
 本書で著者は、失われた「昭和」の美点を謳いながらも、たんなる懐旧で済まさず、新しい時代の地域像、家族像、男の生き方像を描き出そうとしている。

11番への道(移動スーパー)
移動スーパーは買い物難民の光

 今年87歳になるソルティの父親は、10年以上前に免許返納した。
 駐車場から車を出す際にコンクリートの柱に車をぶつけ、本人は怪我しなかったが、車体はかなり損壊した。
 対人事故でなくてほんとうに良かった。
 さすがに、「免許返納してくれ」という母親の要求に反論する言葉を持たなかった。
 災い転じて福となる、ってところか。



 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損