1979年原著刊行
1995年創元推理文庫

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 笠井潔のデビュー作にして、『サマー・アポカリプス』、『薔薇の女』、『哲学者の密室』、『オイディプス症候群』へと続く探偵・矢吹駆シリーズの第一作。
 
 所はパリの中心街。
 ある冬の朝、裕福で男好きな中年女性が自らのアパートメントで殺された。
 現場の状況から、彼女が外出する直前、訪ねてきた顔見知りに襲われたと推定される。 
 死体のそばの壁には、血で書かれた A の文字。
 玄関のドアには、姦通をテーマにしたナサニエル・ホーソンの小説『緋文字』が挟まれていた。
 痴情のもつれが原因なのか?
 それとも金目当てか?
 なによりショッキングだったのは、死体には首がなかったのである。

 まったくもって、本格ミステリーファンの魂を鷲づかみにするような設定。
 そこに修行者の如くストイックでニヒリスティックな日本人の青年が、現象学という素人には耳慣れない学問を武器に、犯人探しに乗り出す。
 これで熱中しない本格ミステリーファンがいるだろうか?
 舞台をフランスに設定したことで、日本的な因習や文化やしがらみから切り離された、ドライで個人主義な人間模様が用意されていることが、ますます「本格探偵小説」的色合いを濃くするのに役立っている。
 つまり、江戸川乱歩や横溝正史や松本清張よりも、アガサ・クリスティやエラリー・クイーンやディクスン・カーに近い装いを呈している。
 トリックの奇抜さや登場人物たちの推理合戦の面白さ、魅力ある探偵とワトスン役女子の存在など、「本格ミステリーここにあり!」と思わず叫びたくなる小説なのである。
 ちなみに、ソルティは女性殺しの下手人と首が持ち去られた理由を、早いうちに見抜きました 

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VictoriaによるPixabayからの画像

 日本のいわゆる新本格ミステリームーブメントが、1987年発表の綾辻行人『十角館の殺人』に始まったことはよく言われるところだけれど、本作を読むと、「いや、その前に笠井潔がいたじゃないか!」という思いにかられる。
 新本格ミステリーの定義というか特徴が、「横溝正史に代表される日本的土俗や情念から切り離されていながらも、松本清張に代表される社会派ミステリーの世俗的陳腐を排し、純粋にトリックと謎解きの面白さに焦点を置く清潔さ」というところにあるのなら、矢吹駆シリーズはまさに新本格ミステリーじゃないかと思うのである。
 しかるに、なぜ後出の綾辻行人に栄冠を譲ってしまったのか?

 理由はいろいろあるのだろうけれど、やはり、笠井潔作品の“難しさ”が一番の因なのではないかという気がする。
 矢吹駆が推理の方法として採用する現象学というものも一般読者には理解困難な代物であるし、そこを大目に見るとしても、本作のクライマックスで矢吹と連続殺人の黒幕的存在との間で交わされる議論の応酬は、とんでもなく高レベルで、大方の読者はそこで置いてきぼりにされてしまうだろう。
 それは、現実に起きた殺人事件の真相をめぐって、追及する探偵と否認する犯人との息詰まる対決という次元を大きく超えて、一種の哲学討論、思想対決の様相を見せているのである。

矢吹: 抽象的なもののみに向かって自己燃焼する、真空放電の紫の火花にも似た情念。それは、過酷で破滅的な極限への意志、眼を灼きつくすほどの鮮烈なものへの意志、そして全宇宙を素手で掴みとりたいという狂気じみた論理的なものへの意志です。そしてそれは、なによりもぎりぎりと全身を締めあげる間断ない自己脅迫です。

黒幕: 政治こそが革命の本質を露わに体現する場所です。組織は革命が棲まう肉体です。私たちは、最後の、決定的な蜂起を準備するための武装した秘密政治結社なのです。社会を全的な破滅へと駆りたてる武装蜂起こそ、観念の激烈な輝きが世界を灼きつくす黙示録の瞬間の実現なのです。


 ――てな調子である。
 このような思想バトルの描写が、学生運動家だった笠井潔の若き日の苦い挫折体験やその後の思想形成にもとづいているのは、笠井がその後に書いたものを読めば納得できる。
 あさま山荘事件に象徴される連合赤軍の酸鼻極まる結末により新左翼運動は瓦解したわけだが、何が一番間違っていたかと言えば、佐藤優が池上彰との対談の中で述べているように、

理想だけでは世の中は動かないし、理屈だけで割り切ることもできない。人間には理屈で割り切れないドロドロした部分が絶対にあるのに、それらすべて捨象しても社会は構築しうると考えてしまうこと、そしてその不完全さを自覚できないことが左翼の弱さの根本部分だと思うのです。(『激動 日本本左翼史』講談社現代新書)

 本作中の矢吹駆のセリフを用いれば、「普通に生きられない自分をもてあました果てに、観念で自分を正当化してしまう」ことであり、もっと単純に言えば、「世間知らずの頭でっかち」ということである。(実はソルティは、令和コンプライアンスの背景の一部に、この種の「観念の徹底化」の匂いを感じている)
 連合赤軍的な心性と思考で秘密結社を作り武装蜂起を企図する黒幕に矢吹が対峙する時、それはおそらく、左翼活動に打ち込んでいた過去の自分に向けて、その後転向した笠井自らが説教しているのであろう。(「バイバイ、エンジェル」とは、笠井流「グッバイ、青春」なんじゃなかろうか?)
 その意味で、本作はきわめて自伝的色合いの濃い作品であると思うし、推理小説でありながらも思想小説の域に達している。
 思想派ミステリーとでも言おうか。
 (左翼風ミステリーと言いたいところだが、笠井は自分を「左翼」と捉えていないようだ)
 
 このような小難しい思想的・政治的要素を取り除いて、「痴情のもつれ」や「遺産目当て」のような凡庸な動機を犯人に持たせたならば、本作はずっと大衆受けしたはずと思うし、笠井は新本格の旗手になったのではないかと想像するが、それではやはり笠井潔は笠井潔足り得なかったであろう。
 いったい笠井以降、思想派ミステリーの系譜はつながっているのかどうか、寡聞にして知らず。





おすすめ度 :★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損