2023年幻冬舎新書
イスラムと上手に付き合っていくための方法を説いた本。
著者は1956年生まれの多文化共生論、現代イスラム地域研究を専門とする学者。
著者は1956年生まれの多文化共生論、現代イスラム地域研究を専門とする学者。
結論は明白であって、イスラム教を信仰する人々(ムスリムという)の価値観や考え方を理解するというのが大前提。
イスラム社会のパラダイムは、キリスト教を基盤とする西洋社会のそれとも、仏教や儒教を基盤とするアジア社会のそれとも異なるからである。
そこを学び理解した上で、NGとなる言動を避けることが肝要である。
――と、言葉でいうのは簡単だが、実践は難しい。
というのも、相手のことを理解するには、自分のことを理解することが必要だからである。
自分のアイデンティティがどういったパラダイムのもとに形成されたかを自覚していないと、自分と異なった価値観や考え方の相手と接触したときに、機械的(反射的)に反応してしまい、衝突が避けられないからである。
人は誰でも自らのアイデンティティを守りたいものだから。
たとえば、『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の中でジョナサン・ハイトが述べているように、西洋のリベラルな民主主義の価値観は、WEIRDと呼ばれる「Western(欧米の)、Educated(啓蒙され)、Industrialized(産業化され)、Rich(裕福で)、Democratic(民主主義的な)」人々に特有のものであって、それを世界標準とするのは間違いであるし、ましてやそれが「唯一正しい」とか「人類のゴールだ」などと言うのは、フランシス・フクヤマがなんと言おうが、WEIRD以外の人々から見れば独善的思考には違いない。
西欧にせよ、イスラムにせよ、文明というものは巨大な力を内包しています。規範性の力です。ただ、両者のあいだには、その力の表し方に決定的な違いがあります。西欧は、じぶんたちの規範が生み出してきた諸価値観は絶対的に優れているのだから、それに従うべきだと考えます。そして、その考えを態度に表します。イスラムも、自分たちの規範が至高のものであり、そこから導かれる諸価値観が優れていると信じていますが、異教徒がそれについてくるかこないかには関心がありません。
この違いはおそらく、キリスト教のパラダイムの中に「福音伝道」の思想があるからではないだろうか。
自ら獲得した優れた教えを、それをいまだ知らない無知で可哀想な人々に伝えなければ、という親切心(別名:おせっかい)である。
日本の歴史を鑑みるに、遠い西洋からはフランシスコ・ザビエルはじめキリスト教の伝道師はたくさん来たのに、もっと近い中近東からイスラム教の伝道師が一人も来ていないというのは、そのあたりの事情をよく表している。
「あなたがたの文化は野蛮で遅れているから、わたしたちが啓蒙してあげましょう」と言って近づいてくる人に、心からの感謝を抱くことはまずなかろう。
一方、「西欧はもっとイスラムを理解しようと努めるべき」と著者が述べるのに異論はないが、では逆に、「イスラムは西欧を理解しようと努めているのか」が、はなはだ疑問である。
たとえば、イスラム教徒の多い国で、『分断を乗り越えるためのWEIRD入門』とか『共生社会を築くための仏教入門』なんてタイトルの本が発行されているのだろうか?
「ムスリムは西欧文明には関心がない」と著者は書いている。
共生が可能となるためには、相互理解(あるいは理解しようという意志の表明)が必要なのであって、一方だけが理解を強いられるというのでは、両者の「棲み分け」はできても、共生は難しいだろう。(男と女の関係に似る)
ムスリムのモスク(神殿)
ekremによるPixabayからの画像
ekremによるPixabayからの画像
それにしても、世界人口の4人に1人はムスリムで、近いうちに3人に1人になるという。
世界はイスラム化しているのである。
個人主義の傾向が強く少子化が進んでいる西欧や日本に対し、家族を大切にし子どもをアッラーからの贈り物とするイスラム社会は、少子化の心配がない。
「男女平等、個人主義」のリベラルな民主主義は、どうしたって少子化につながるのだ。
すると、より多くの子孫を残す遺伝子戦略として、最終的な勝利はムスリムに輝くのではなかろうか?
「歴史の終わり」は世界イスラム化という可能性も否定できない。
以下引用。
イスラムとは「アッラーに全面的に従うこと」を意味していますから、コーランに記されている命令を後の世の人間が変えることは不可能なのです。アッラーの言葉は、使徒ムハンマドを介して人類に伝えられたので、彼の言葉や行動も「無謬」です。したがって、これを後の世になって変更することはできません。
食欲も、性欲も、金銭欲も、正しく行えば善い行いということになる。これがイスラムという宗教の人間観における一大特徴ではないかと思っています。キリスト教のように、禁欲を説きません。人間は、欲望に弱い存在だということを前提としているからこそ、欲望を満たしていい、ただし、ルールを守れと説くのです。イスラムという宗教の特徴として、日本人が知らないことの一つに、商業的性格があります。先にも述べましたが、商売はすべての経済活動の基本。公正な商売をすることはイスラム的道徳の基本です。お金を稼ぐことには何の問題もありません。儲けの一部を喜捨として差し出すことはムスリムの義務ですから、そのお金を稼ぐための商売は善行の基盤です。性の多様性について、欧米の、あるいは私たちの、ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)はムスリムには通じません。通じないものを、無理に通じるようにさせることもできません。彼らは「遅れている」から理解できないのではなく、「神の道に従っている」から理解しないのです。ここはイスラムを知るうえで大切な点ですが、イスラムには時代が後になるほど人間社会が進歩するという発想がありません。イスラムでは、この世界はいつか滅亡するという終末思想があります。そして、終末を迎えるとき、アッラーが死者を一人ずつ呼び出して、生前の善行と悪行を天秤にかけ、善行が重ければ楽園(天国)に行き、悪行が重ければ火獄(地獄)行きとなります。これが最後の審判です。
日本人だってつい最近まで同じような終末観を持っていた
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損