2021年原著刊行
2022年中央公論新社

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 ロシア大統領選でウラジーミル・プーチンが高い得票率で5選を決めた。
 予想していたとおりの結果なので驚きはないものの、民主主義の砦である自由選挙制度がこのように悪用されてしまった事実に、慨嘆せざるをえない。
 プーチンは、「正当で民主的な選挙によって多数の国民から信頼と支持を受けた」と世界に向かって豪語するであろうし、ウクライナ侵攻はじめ現在行っている政策を、国民の合意のもと今後もなに憚りなく行っていくことだろう。
 間違いなく、スターリン再来である。

 当初プーチンは、リベラルな民主主義を標榜する欧米諸国や日本における人気者だった。
 ロシア・ソ連政治史において、ペレストロイカを行ったゴルバチョフと並んで「民主化の英雄」に成り得る立場にいた。
 それが、あっというまの闇落ち。
 ダークサイドに引っ張られ、国民も道連れになった。
 ロシア人はいつになったら平和と幸福を手に入れられるのだろう?

 ――と思う一方、プーチンを本気で支持している国民も決して少なくない、という現実がある。
 おそらく彼らの胸で燃え盛っているのは、偉大なるソ連の記憶や誇り、かつての宿敵であった欧米諸国の末席につかなければならない屈辱、リベラルな民主主義の浸透によってロシアの伝統的文化が破壊されることへの苛立ちと不安――といったあたりなのだろう。
 という推測ができるのは、もちろん、この日本という国がまさに、1945年の敗戦後にアメリカ(GHQ)主導の民主化によって国体が変えられるほどの政治的・文化的変革を余儀なくされたからであり、長いこと「アメリカの犬」という屈辱に甘んじてきたからである。そして、戦後60年経って出現した安倍晋三政権こそ、アメリカに“押しつけられた”平和憲法と戦後民主主義を刷新して、戦前の強い日本に回帰しようと企む勢力の旗頭だったのであり、多くの国民が熱狂的に彼を支持していた事実があるからだ。
 安倍氏がよく口にしていた「日本を取り戻す」という標語がまさにその間の事情を表していた。

 プーチンのロシア、安倍政権下の日本、EUを離脱したイギリス、トランプ大統領再登板の悪夢が現実化しそうなアメリカ、ヨーロッパ各国で勢いを強めているナショナリズムと排外主義的ポピュリズム・・・・e.t.c.
 こうした「歴史の終わり」後の世界の動向が示しているのは何か?
 フランシス・フクヤマはこう語る。

 かつては左右のイデオロギー対立が存在し、20世紀の政治を特徴づける産業化された社会で、資本と労働者の相対的な経済力をめぐる諸問題への対処法によってふたつの陣営に分かれていた。しかし、いまではアイデンティティの問題を軸に政治的な立場がつくられるようになりつつあり、その多くは狭い意味での経済よりも文化によって決まる。(ソルティ、ゴチ付す。以下同)

 伝統的な社会民主党は、かつての最大の票田であった古い労働者階級とのつながりを失いはじめています。同じことが多くの左派政党でおしなべて起こっている。社会民主党は多くの国で弱体化して、それらの有権者の多数は右派のアイデンティティ政党に票を投じるようになりました。

 つまり、自由と平等と権利を標榜するリベラルな民主主義になんらかの意味で失望した人々が、宗教・民族・国家といったアイデンティティを重視する政治体制支持に回帰している、というのが現代の潮流なのだ。
 それがポピュリズムと結びつくとかなり危険な様相を帯びることは、前回の大統領選で、トランプ敗北を受け入れられなかった共和党支持者が連邦議会を襲撃した一件を、記憶から引っぱり出すまでもあるまい。
 
 ポピュリズムとは
 大衆からの人気を得ることを第一とする政治思想や活動を指す。本来は大衆の利益の側に立つ思想だが、大衆を扇動するような急進的・非現実的な政策を訴えることが多い。特定の人種など少数者への差別をあおる排外主義と結びつきやすく、対立する勢力に攻撃的になることもある。(『日本経済新聞』2022年4月26日記事より抜粋)

 フクヤマは語る。

 ポピュリスト運動の土台は貧困者ではないと思います。自分は中流階級だと思っていて、その地位を失いつつあると考えている人たちです。これは相対的なものです。

 ポピュリズムの真の危険は、ポピュリスト指導者の多くがみずからの正統性を利用して、決定的に重要な制度を破壊しようとする点にあります。法の支配、独立したメディア、非人格的な官僚制といったものです。彼らはこんなふうに言います。「こうしたいろいろな法律や憲法による制約は、ほんとうに必要なのか? 我々の取り組みの邪魔になっているのに。」

 日本においては、安倍晋三こそ、ポピュリスト指導者の最たるものであった。
 統一教会との癒着は言うに及ばず、日本の民主主義がどんだけ危険な領域にいたか。思い返しても慄然とする。
 もっとも、今もまだ、第2、第3の安倍晋三が登場しないとも限らない状況は続いている。

壺4

 本書は、ノルウェーの経済学者であるマチルデ・ファスティングによるフクヤマへのインタビューをまとめたもので、タイトルどおり(原題『After the End of History』)、1992年にフクヤマが『歴史の終わり』を宣言した後に世界で起きた様々な政治的事件や大衆運動を取り上げ、「フクヤマが現在(2021年時点)の世界情勢をどう見るか」、「リベラルな民主主義こそ歴史の勝者(であるべき)というフクヤマの理論はいまも有効なのか?」を問うたもの、ということができる。
 インタビューの時期は、イスラエルによるガザ地区侵攻はもとより、ロシアによるウクライナ侵攻以前であったようで、フクヤマがウクライナを何度も訪れて、民主主義を推進するプログラムを主宰していることが語られている。
 また、フクヤマの生い立ちや学者としての経歴、影響を受けた本や人物などについても語られ、フランシス・フクヤマという人間をより深く理解するのに役立つ。
 『歴史の終わり』を読んだ限りでは、リベラルな民主主義を全面肯定してはいるものの、同性婚や妊娠中絶には反対の保守的な共和党支持者というイメージがあった。(渡部昇一という名うての頑迷保守オヤジが翻訳したせいもあるかもしれない。gayをホモと訳している)
 実際フクヤマは、ドナルド・レーガンやパパ・ブッシュの時代には、共和党政権の中枢で仕事をしていた。
 が、息子ブッシュのイラク侵攻やオバマ大統領誕生を機に起ったティーパーティー運動をきっかけに、民主党支持に鞍替えしたようで、オバマやヒラリー・クリントンやバイデンに投票したことを述べている。
 現在では、左派言論人の代表と言っても誤ってはいまい。
 本書のなによりの利点は、全編インタビュー形式なので難しくないところ。
 編者による適切な解説も付されているので、『歴史の終わり』を読んだ時のような苦労はなかった。
 
 以下、引用とコメント。

 共和党支持者の多くは、必ずしも共和党に非常に忠実というわけではないのですが、民主党支持者のイメージを嫌っています。彼らにとって民主党支持者はある種の人、つまりフェミニスト、ゲイ、政治的に正しい人(ポリティカリー・コレクト)、自分たちが嫌うありとあらゆる人なので、共和党候補者でさえあればその人に投票するわけです。近代経済学は、すべての人間は合理的に判断して自己の利益を追求するという仮説のうえに成り立っていますが、社会心理学の多くの文献によると、この仮説は正しくありません。人は一定のイデオロギー的あるいは文化的な見解から出発し、知力を総動員してそうした見解を正当化するのです。 

ソルティ:上記の「共和党」を「自民党」に、「民主党」を「左派野党」に変換すれば、見事に日本の状況に重なる。
 ジョナサン・ハイトが『社会はなぜ左と右に分かれるのか』で述べているように、人の行動を根底で支配するのは知識や理性ではなく、人類が生き残るために優位であった直観(=正義心)であり、それを基につくられた個々人の道徳パラダイム(=アイデンティティ)である。
 だから、思想的に対立する相手といくら言葉や理論を尽くして討論しても、相手を折伏することは難しい。
 店頭に老人を集めて健康器具や布団を販売する業者はそのことをよく知っていて、顧客の理性ではなく、感情や見栄に訴える。
 
 インターネットはこの新しいアイデンティティの政治にまさにぴったりの媒体で、そこで人びとはほかの人と話して意見を共有できるからです。自分たちと意見が異なる人の話は聞く必要がありません。インターネットは社会をさまざまなアイデンティティ集団に分割する動きを強める傾向にあって、共通の感覚や市民としての感覚をすべて弱めます。

ソルティ:自分がSNS利用に積極的でない理由の一つがこれである。

 わたしはずっと、世界秩序への最大の長期的脅威はロシアでもジハーディスト(聖戦士)でも中東でもなく中国だと感じてきました。中国はほかよりはるかに強力だからです。中国共産党は大きく豊かで強力な国を支配しています。・・・・大きな障害にぶち当たらなければ、中国は経済面でアメリカよりも大きな国になるでしょう。むこう10年のうちにそうなるはずです。

 わたしはアイデンティティに反感をもっているわけではありません。近代の人間が自分自身について考えるときに、そのあり方を根本から支えている概念なので、それから逃れることはできないのです。・・・・・・ほかの市民となにを共有しているのか、それについての一連の物語と理解がなければ、同胞と交流することはできません。意思疎通をはかれずに、物事も決められないのです。アイデンティティそのものが問題なのではありません。正しい種類のアイデンティティが必要で、現代の民主主義国ではそれは、人種や宗教や民族ではなく政治理念を中心に成立していなければならないとわたしは考えているわけです。

ソルティ:「戦争を放棄する日本国憲法を持っていることが、日本人の一番の誇りでありナショナル・アイデンティティの核である」 そう世界に向けて堂々と宣言できる政治家はいないものか。(なんなら天皇制を加えてくれてもかまわない)

 運よく民主主義国で暮らしていたら、ポピュリズムやさまざまな反民主主義勢力を打ち負かす方法は選挙で勝つことです。どうすればポピュリズムの台頭を防ぐことができるのかと、ほかの国でよくたずねられますが、答えは非常にシンプルです。投票することです。わたしたちの民主主義では、政治権力はいまも投票する人たちのもとにあります。自由主義的でひらかれた民主的秩序を支持したい人を結集させること、その人たちを選挙に行かせて政党を支えること、この種の自由民主主義をもつことが重要である理由をことばにして人びとに伝えられる指導者を得ること、これらができるかどうかにかかっているのです。 

 フランシス・フクヤマはいまも「リベラルの民主主義」の最強の擁護者である。


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Pete LinforthによるPixabayからの画像


おすすめ度 :
★★★


★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損