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 ひさァ~しぶりのアンデパンダン展。
 友人の出品作を観るため、そして、3/23(土)に行われた北原恵氏(大阪大学名誉教授・美術史家)の講演『ジェンダーの視点から見た美術(史)』を聴くため。

 アンデパンダン(INDEPENDENT)展は、日本美術会が1947年から開催している自由出品・非審査の美術展で、「芸術に対する権威や制度的意識からの自主・独立・解放を目指す」ことを目的としている。
 いきおい、平和・自由・人権・反体制・反差別・多様性といった左派的な価値を大切にするアーティストたちが集うことになるが、展示作品自体は、プロパガンダ性の強い諷刺画から里山の自然といった風景画や人物画、抽象的な彫刻やインスタレーションアートまで、多彩である。
 ここ十数年は六本木にある国立新美術館で開催されている。
 
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国立新美術館
この会場になってから行くのは初めて

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若尾文子の夫だった黒川紀章の設計

 広い会場に何百点もの作品が飾られ、実に壮観。
 作品の素材も内容も形式も多様性に満ちて、面白かった。
 絵ごころのない、ぶきっちょなソルティは、絵の上手い人、手先の器用な人を見ると感心しきり。
 そのうえ、世界のあちこちで新たな紛争が勃発し、環境破壊の影響が日に日に深刻化し、民主主義の危機が叫ばれる不穏な時代に、自由と平和と民主的価値を守ろうと、自分なりに表現しているアーティストたちの作品に囲まれ、とても力づけられた。
 人間が多様であることは、ひとりひとりが自由に自分を表現することではじめて顕在化し、万人に知らしめられるのだと実感した。

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 昨年に続き特別展示された『高校生が描き・伝える「原爆の絵」』コーナーが衝撃的であった。
 これは、広島の高校生が実際の原爆被災者から体験談を聞き、その話をもとに当時の状況を再現した絵である。(広島平和記念資料館保管)
 戦争を知らない高校生――もちろんソルティ含め、いまや国民の9割が戦後生まれである――が、ここまで生々しく迫真力高い、観る者を震撼とさせる絵が描けることに驚いた。
 目の前にいる体験者からなまの言葉を聞くことの衝撃力、そして若い人たちの感性の柔らかさと想像力の豊かさを感じた。
 戦後80年、被爆体験の語り部がどんどん減っていくときに、文字だけでなく、このような絵によって体験が残され伝えられていく意義は大きい。

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 北原恵氏の講演も興味深かった。
 「ジェンダーの視点から美術および美術史を見る(批判する)」という、フェミニズムの流れを汲んだ運動は、70年代から始まったそうだ。
 北原氏は、この運動が国外および国内でどういった展開をしてきたか、どういった社会の反応を引き起こしてきたか、丁寧に解説してくれた。
 リンダ・ノックリン、イトー・ターリ、ゲリラ・ガールズ、闘う糸の会など運動の担い手となった(なっている)人々について、また、昭和天皇に対する不敬行為と非難された大浦信行『遠近を抱えて』事件など、はじめて知ることばかりで勉強になった。
 ソルティは、現代美術史にもフェミニズム史にもまったく無知。
 『西洋美術史』あたりは学んだ覚えがあるが、それはまさにルネサンスからピカソまでの偉大な男性芸術家(old masters)の系譜であった。
 美術に限らず、文学しかり、音楽しかり、演劇しかり、映画しかり、建築しかり、舞踊しかり、芸術というものは基本、男性というジェンダーに特異的に備わる資質――という思い込みが、自分の中にはある。
 芸術は、子供を産めない男性の代償行為であり、しかも戦争で闘うことのできない弱者男性の精一杯の示威行為というイメージ。
 自分の中に植え付けられている“マチョイズム”思考は結構根深い。
 
 話の中で思わず吹いたのは、ゲリラ・ガールズの活動および作品を紹介したくだり。
 『メトロポリタン美術館の現代美術部門に展示されている作品の制作者は95%以上が男性である。一方、展示されているヌード画の85%は女性』――というメッセージが入ったポスター。
 こうした統計的事実をメッセージにして、「匿名性・複製性・ユーモア」を武器に、作品として表現するのが、ゲリラ・ガールズのスタイルなのである。
 残りの15%は、デヴィッド・ホックニーやロバート・メイプルソープあたりのゲイのアーティストによる男性ヌードなのかなあと思ったら、北原氏の回答は違った。
 「残りは、十字架上のイエス・キリストです」

 講演後の質疑応答では、中高年男性が多く手を挙げ、発言した。
 戸惑いと葛藤の声が多かった。
 「自分たちは被告だ」という声も聞こえた。
 男たち(とくにヘテロの中高年)は、フェミニズムと聞くとどうしても、「自分たちが責められている」という気持ちになってしまうのである。
 北原氏は最後にこうまとめた。

ジェンダー視点から美術史を考えるとは、(これまでの男性中心の美術史に)「女を付け加える」のではなく、インターセクショナルな視点で美術史を書き換えること

 会場の中で、この意味が理解できた者がはたしてどれくらいいたのだろう?
 「女=原告、男=被告」という単純な二項対立のパラダイムの中にいる人にとって、「遠すぎる橋」のような結論と思った。

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帰りは道に迷って「東京ミッドタウン」の中を徘徊
『六本木心中』や『六本木純情』の時代は遠い