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2019年NHK出版新書

 佐々木閑は、おそらく現在最も著名な仏教学者の一人であろう。
 『科学するブッダ』(角川文庫)、『仏教は宇宙をどう見たか アビダルマ仏教の科学的世界観』(化学同人社)はじめ、一般向けの刺激的かつ啓発的な本をたくさん書いているし、NHK『100分で名著』や『こころの時代』などテレビ出演も重ねている。
 仏教学界でなにか論争が持ちあがると、この人が一枚加わっていることも度々。
 『ブッダという男』を書いた清水俊史と、『初期仏教 ブッダの思想をたどる』を書いた馬場紀寿のあいだに勃発した論争(+アカハラ騒動)にも、公正な第三者の立場で介入したようである。
 男気のある人なのだなあ~。

 ソルティはちょっと前に佐々木の講演を聴きに行ったが、仏教に対する深い愛情と揺るぎない信心を感じさせる話しぶりであった。
 基本的には、原始仏教――テーラワーダ仏教(いわゆる小乗仏教)に伝わる『阿含経典』におさめられている釈迦の教え――を拠りどころにする人のようだが、このひと特異のスタンスは、近代科学の実証主義かつ合理的視点をおろそかにしない点と、非仏説であることがもはや否定しようのない大乗仏教を否定しない点であろう。
 これは一見、矛盾しているように思われる。
 近代科学の立場からすれば、『阿含経典』に見られる神秘的記述――神や悪魔の存在、業(カルマ)と輪廻転生、ブッダの示す奇跡の数々など――はNGである。
 中国を通して日本に伝わった大乗仏教の経典には、『阿含経典』をはるかに上回る神秘的記述が盛りだくさん。
 たとえば、56億7千万年後の弥勒菩薩の到来なぞ、人類の寿命どころか、地球の寿命を超えている。
 ありがたくもなんともない。
 科学を重視する人間なら、とうてい受け入れられるものではない。
 「あとがき」で佐々木はこう記している。

 私自身は釈迦の教えを信頼して生きているのですが、釈迦を絶対視するような信者ではありません。つまり、釈迦の教えの中には今の自分にとって必須の、優れた教えがたくさん入っていることは認めても、だからといって釈迦の教えを丸ごと全部、絶対の真理として受け入れるわけではない、という意味です。

 この世界は科学的な法則によって粛々と動いているけれど、その中で暮らす私たちは心の中の煩悩のせいで苦しみ続けなければならない。この状態から抜け出すためには、釈迦の教えのうち、現代の科学的世界観においても通用する部分を抽出して、それを自分の「生きる杖」にするというのは全く当然のことであり、それ以外に自分の心を偽らずに生きる道はないということです。(ゴチはソルティ付す、以下同)

 そしてこのように考えていきますと、「釈迦の仏教」からは大きく逸脱したように見える大乗仏教の様々な教えにも、じつは大きな意義があるということが理解できるようになります。

 本書で紹介したように、同じ大乗とは言っても経典によって様々な世界観があり、それぞれに怪しげな点や信じがたい不自然さを含んでいます。今のわれわれが、それを心底信じるというのはたいへん難しいことです。しかしそこには、生きる苦しみを消してくれるなんらかの作用が含まれていることも事実なのですから、それを正しく見いだして、自分に合ったかたちで取り入れることができれば、「釈迦の仏教」ではなしえないかたちでの救済が可能になるはずです。

 つまり、佐々木個人としては科学的実証性によって濾過したあとの「釈迦の仏教」すなわち原始仏教を「生きる杖」として選ぶけれど、この世には大乗仏教の教えが「生きる杖」になる人もいる以上、それを否定するのは間違っている。生きる苦しみから救い出してくれるものであれば十分な存在価値がある、ということなのだろう。
 要は仏説であるかどうかが問題なのではなく、「生きる杖」として役立つかどうかこそが宗教の存在意義だというわけだ。
 考えてみればあたりまえの話である。
 大乗仏教が「仏説でない」からといって否定するのならば、キリスト教もイスラム教もユダヤ教もヒンズー教も神道も「仏説でない」がゆえに否定しなければならない。
 信仰はあくまで、個々人の心の中に展開するドラマである。
 他人がとやかく言うことではない。

 本書を読む際に押さえておきたいのは、上記のような視点から、佐々木が大乗仏教を語っている点である。
 科学的思考を大切にする学者としての客観性に基づいた発言と、人それぞれの信仰のあり方を尊重するダイバーシティ感覚。このバランスが本書のなによりの特徴であろう。

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 ソルティは、原始仏教により近いテーラワーダ仏教を「生きる杖」にしている。
 このさき大乗仏教のいずれかの宗派にうつることはないだろうし、なんらかの大乗経典を心の支えにすることもないと思う。法事などでよく唱えられる『般若心経』くらいは、便宜上、暗記したいと思っているが。
 とは言え、代表的な大乗経典がどんな成立事情を持ち、どんな内容なのか、およそ知っておきたいと思っていた。
 本書は、紀元前後の大乗仏教の成立事情から始まって、『般若経』、『法華経』、『浄土教』、『華厳経』、『大般涅槃経』といった日本仏教各派で重用されている代表的な経典を解説している。
 佐々木と、佐々木の講義を聴きに来た仏教学者でも僧侶でもない社会人学生との対話形式になっているので、とても読みやすく、わかりやすい。
 新たに知ったこともいろいろあった。
 たとえば、
  • アショーカ王の時代に「破僧」の定義が変更されたことで部派仏教の時代が到来した
  • 日本仏教は実はヒンズー教に近い
  • 奈良時代に鑑真を招いた理由は、授戒儀式によって僧侶を自家生産できるようにするためだった
  • 百年間、未解決だった『大乗起信論』の成立事情に関する問題が、2017年大竹晋によって決着つけられた
 大竹晋、そんなドえらいことをしていたのか!
 『大乗非仏説を超えて』という衝撃的な本の作者だけある。(ソルティの目に狂いはなかったぜ)
 GWに今一度、末木文美士著『日本仏教史』を読み直そうかな。
 
 最後に、佐々木は宗教の未来のカタチについてこう述べている。

 これから時代は、科学的に説明できるか否かがすべての物事の判断基準となるため、仏教はおそらくこの先、どんどん変容を迫られることになるでしょう。それでどんな方向に向かうかと言えば、科学とうまく擦り合わせができないことを「心の問題」に置き換えて解釈するようになっていくはずです。それは仏教にかぎったことでなく、キリスト教やイスラム教も同じです。

 科学と擦り合わせができない教義を掲げても誰も信じないので、絶対神の存在や、輪廻、業、浄土といった神秘的な概念は次第に薄まっていき、最終的には「今をどう生きるか」を示す単純なものになっていくと思われます。

 それを佐々木は「こころ教」と呼んでいる。
 さしずめ教祖は「ココロのボス」か・・・。
おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損