劇場 新国立劇場(東京)
キャスト
ノルマ: フィオレンツァ・チェドリンス(ソプラノ)
ポリオーネ: ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ(テノール)
アダルジーザ: ニディア・パラシオス(メゾソプラノ)
オロヴェーゾ: ジョルオ・スーリアン(バス)
指揮: ブルーノ・カンパネッラ
演奏: 東京フィルハーモニー交響楽団
合唱: 藤原歌劇団合唱部
演出: ウーゴ・デ・アナ
作曲: ヴィンチェンツォ・ベッリーニ
エディタ・グルベローヴァの『ノルマ』を視聴して以来、ノルマにはまっている。
youtube で過去・現在の偉大なソプラノたちの『ノルマ』の部分映像を視聴し、マリア・カラスの2つのスタジオ録音(1954年と1961年)とミラノ・スカラ座ライヴ(1955年)のCDを聴き返し、ブックオフで見つけたこのDVDを購入した。
世界中の歌劇場を席巻したプリマドンナたちの歌や演技や風格の素晴らしさもさることながら、つくづく感じ入ったのは、作曲家ヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)の天才である。
34歳で亡くなったこのイタリアのオペラ作曲家の生み出した数々のメロディの美しさ、劇的効果抜群の作曲技法、聴く者の心をつかんで離さないあまりに人間的な感情表現の深み。
齢34歳にして、生きることのすべてを、人間の抱く感情のすべてを知ったかのよう。
モーツァルトやシューベルトにも言えることだが、年齢を重ね経験と努力を積み上げることの虚しさを、凡人の胸に叩きつけてやまない。
主役のフィオレンツァ・チェドリンスはイタリア生まれの世界的ソプラノ。
1989年デビューというから、現在60歳近いはずだ。
2003年東京で収録されたこのライブは、2004年イタリアのアレーナ・ディ・ヴェローナで収録されたゼッフィレッリ演出の『蝶々夫人』と並んで、彼女の最盛期の声の記録と言うことができる。
実際、ノルマが舞台に登場して放つ第一声 “Sedizio voci(扇動する声)”から始まって、ソプラノアリア随一の名曲『カスタ・ディーヴァ(清き女神)』が終わるまでのシーン、劇場全体が金縛りにあったように息を詰めているのがモニターを通して伝わってくる。
その声は、ノルマの女王然とした威厳と感情の激しさを表現するに十分な力強さに満ち、月の女神の宣託を受ける巫女の侵しがたい気品と神秘を表現するにふさわしい豊麗な響きを湛え、失った愛や嫉妬に揺れ動く女性の内面を表現するに効果的なアジリタ(コロラトゥーラ)の技法も兼ね備えている。
値千金の声。
そのうえに、主役をやる以外は考えられない華やかな美貌と、観客を圧倒する眼力、舞台映えする堂々とした体格。
そのうえに、主役をやる以外は考えられない華やかな美貌と、観客を圧倒する眼力、舞台映えする堂々とした体格。
演技もまた申し分ない。
最初から最後まで持続するパワーと集中力は、パスタと牛肉とワインの力であろうか。
これほどノルマを歌う条件を兼ね備えた、ミューズ(芸術の女神)に愛された歌手も珍しい。
フィオレンツァ・チェドリンス
声の質とルックスと体力だけから言えば、ノルマを歌うのに適しているのは、グルベローヴァよりチェドリンスであるのは間違いない。
グルベローヴァの凄さは、もともと自分に適した役ではないノルマに果敢にチャレンジし、余人の追随を許さない圧倒的な歌唱テクニックと、極めて知的な楽譜の読みと、人生経験を投入した深い滋味ある演技によって、唯一無二のノルマ像を創造したところにある。
芸術性という観点で、ソルティはグルベローヴァを推す。
チェドリンスのディクション(発音法)の見事さも言い落してはならない。
母国語だから上手なのは当然と言えば当然なのだが、イタリアオペラがイタリア語で歌われることの重要性を実に鮮やかに教えてくれる。
ひとつひとつの単語が明瞭に聴きとれるのはもちろん、巻き舌「r」や破裂音の強調、あるいは適切なトロンカメント(語尾の省略)を行うことによって、場面場面にふさわしい感情を巧みに表現し、ドラマを盛り立てていく。
その効果には燦然たるものがある。
こればかりは、イタリア語を母国語としない歌手ではどう頑張っても太刀打ちできまい。
とりわけ、巻き舌「r」の震動が、喜怒哀楽、不安、恐れ、戸惑いなど様々な感情を表現するやり方には、驚くほかない。
巻き舌「r」を持たない日本人は、西洋の声楽において最初から不利が生じていると、つくづく思った。
とにかく、チェドリンスの圧倒的存在感と実力にひれ伏すライブである。
ほかの歌手陣も指揮も、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏も、藤原歌劇団の合唱も文句のつけようない出来栄えだが、すべてチェドリンスの陰に隠れてしまっている。
まさに『ノルマ』がプリマドンナオペラの典型であることを証明してあまりない。
まさに『ノルマ』がプリマドンナオペラの典型であることを証明してあまりない。
日本でこれだけの舞台が実現したことを誇らしく思う。
あえて難を言えば、ノルマやアダルジーザが属するガリア人(古代ケルト人)の兵士たちのいでたちがまるで中世ヨーロッパの騎士のようで、一瞬、ポリオーネが属するローマ人部隊なのかと思った。
実際のガリア人がどんな格好をしていたのか知らないが、敵方のローマ人との差別化をはかったほうが良かった。