2018年原著刊行
2022年草思社
この数年で10代の若者の間で、不安症、うつ病、自殺率が急増している。キャンパス文化が思想的に均質化され、研究者が真理を探究する能力や、学生が幅広い思想家から学ぶ能力が低下している。極端な右寄りもしくは左寄りの思想を持つ過激論者が急増し、お互いがこれまでにないほど憎しみ合っている。党派心あらわにした激情がソーシャルメディア(SNS)上で繰り広げられ、〈コールアウト・カルチャー〉をつくり上げている。善意から何か発言しようとも、他の誰かがそれを意地悪く解釈すれば、おおっぴらに恥をかかせられる。
若者があらゆるところに危険が潜んでいると考えるようになっており、それは教室内やプライベートな会話の中にまで及ぶ。万人が絶えず警戒し、脅威があれば当局に通報しなければならない。例えばニューヨーク大学では、2016年、大学職員がトイレ内に貼り紙をし、講演に対して「違和感があれば通報してください」の手法を取るよう促した。貼り紙には、大学コミュニティ内の誰かが「偏見、差別、ハラスメント」を受けた際に匿名で届け出ができる方法が書かれており、その一つが「偏見通報ライン(Bias Response Line)だ。
本書は、アメリカの大学キャンパスで最近起きている驚きの事態を扱っている。
副題は『大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』。
2人の著者のうち、グレッグ・ルキアノフは「キャンパスにおける学問の自由ならびに言論の自由」のために活動している弁護士。ジョナサン・ハイトは大学で教鞭をとってきた社会心理学者で『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の著者である。
グレッグとジョナサンは、おおむね2013年あたりからアメリカの大学生たちに大きな変化が生じたこと、それに伴うようなかたちで大学キャンパスが“おかしく”なっていることに気づき、これを憂慮し、調査や議論を重ね、共著として発表するに至った。
『社会はなぜ~』同様、興味をそそる豊富なエピソード、統計資料、先行研究の知見を散りばめた叙述は、楽しく読み進めるうちに知らず説得されてしまう巧みさ。
各章の終わりにまとめページがついているのも同様で、論旨を整理するのに役立つ。
ちなみに、コールアウト・カルチャー(call-out culture)とは、あるコミュニティの成員が犯した悪事を特定し、その人物を公的に呼び出して、恥じ入らせたり罰したりする行為を指す。(ウィキペディア『コールアウト・カルチャー』参照)
我が国では、ほぼ同意のキャンセル・カルチャーという言葉の方が知られているかもしれない。
日本語にすると「糾弾」がもっとも近いのではなかろうか。
Gerd AltmannによるPixabayからの画像
変化が起こり始めた2013年とは、1995年生まれの若者が大学に入ってきた年である。
いわゆる「インターネット世代」または「Z世代」。
生まれた時からインターネットと携帯電話が存在し、感受性の強い10代でスマホと出会い、人間関係の大きな部分がSNSによって成立している世代である。
この世代以降の若者(2024年現在30歳未満)は、先行する世代と大きな断絶が見られるのだという。
そういった意味で、本書は一種の世代論ということもできるし、「近頃の若者は・・・」と嘆く、相も変らぬ年配者の繰り言と取ることもできよう。
著者らはZ世代に特有に見られ、大学キャンパスの混乱のもととなっている“誤ったものの見方、考え方”を、3つの〈大いなるエセ真理〉と定義している。
- 困難な経験は人を弱くする
- 常に自分の感情を信じよ
- 人生は善人と悪人の闘いである
Z世代でない年配の人間からすれば、自分が身につけてきたのと全く逆の価値観であることは言うを俟たない。
つまり、常識的には、
- 困難な経験は人を強くする。「艱難、汝を玉にす」
- 感情に振り回されるな。理性を働かせよ。
- ひとりの人間の中には善もあれば悪もある。世の中にはグレーゾーンがあるのが当たり前。
もし、人が〈大いなるエセ真理〉を信じると、どういうことが起こり得るか。
困難だと思うことをなるべく避けるように行動し、自らの感情を正当化し、自分に不快な感情を与えた人や環境に怒りを覚え、そのような人間を悪人と思い、否定し敵視する。
結果的に、打たれ弱く、傷つきやすく、常に自他のメンタルに振り回され、「白か黒か」で人や物事を判断したがる、被害者意識の強い人間が出来上がる。
冒頭に挙げたような昨今の大学キャンパスで見られる憂うべき状況は、Z世代に多く見られるこのようなメンタリティ、および〈大いなるエセ真理〉を否定するどころか、むしろ肯定し助長するような対応をとる大学当局のいびつな姿勢に端を発していると、著者らは指摘する。
Z世代に対する著者らの分析がはたしてどこまで正当なのか、現在、甥っ子と姪っ子をのぞいてZ世代の人と接点をもたないソルティには、何とも言えない。
傷つきやすい、やさしい子が増えたなあ(とくに男の子)という印象は持っているが。
同じZ世代でも、日本とアメリカではまたいろんな条件が異なるから、同一視できないかもしれない。
実際、本書で取り上げられているアメリカの大学でのコールアウト・カルチャーの実態は、日本の大学では考えられないほど凄まじいものである。
いったん招請が決まった外部講師による講演会が、演者の思想や発言が気に入らない一部の学生の反対によりキャンセルされるのは日常茶飯事。
講演中に(日本の)右翼の街宣車さながらの騒音を立てて講演妨害を行ったり、聴きに来た学生が会場に入れないよう暴力で阻止したり、抗議グループの暴動に巻き込まれ死者が出たケースもある。
かと思えば、教員がメーリングリストや学術誌に投稿した文章の言葉尻をとらえ、ポリコレの名のもと教員を糾弾し辞職や解雇に追い込んだり、「責任をとらせるために」学長や大学幹部を一室に隔離したり。
著者らは「魔女狩り」にたとえているが、むしろソルティが連想したのは、我が国で学生運動はなやかなりし時代(70年安保前後)にキャンパスを跋扈した革マル派や中核派といった新左翼であった。
そう、現在の日本とアメリカの学生の一番の違いは、政治意識の高低と、動機や手段が何であれ、声を上げて闘う意志の多寡にあろう。
著者らは、〈大いなるエセ真理〉がZ世代に広まった理由として、次の6つを挙げている。
- 政治の二極化(共和党と民主党の対立の激化)
- うつや不安症を抱える学生の増加(とりわけ女子に顕著)
- 過保護な子育て(子供に世界は危険なものと刷り込む)
- 自由遊びの時間が減少(アメリカでもお受験は過酷化)
- 企業化した大学の官僚主義(学生をお客様扱いする)
- 社会正義をもとめる情熱の高まり(ブッラク・ライヴズ・マターや#me too 運動)
肝心のネットやスマホの影響については、サンディエゴ州立大学の社会心理学者ジーン・トゥエンジの研究成果を援用し、電子デバイスの使用頻度が高いほど心の健康が悪化することを述べている。
〈トゥエンジは〉うつ病やその他自殺と関連する行動(自殺を考える、自殺を計画する、実際に自殺を試みるなど)と有意な相関関係があるのは、〈生徒たちが日常的に行っている活動のうち〉2つの行動だけであることを突き止めた。電子デバイスの使用(スマートフォン、タブレット、コンピューターなど)とテレビを見ることだ。一方で、うつ病と逆相関の関係にある行動(つまり、その行動に費やす1週間当たりの時間が多いほど、うつ病率が低くなる)は5つあり、スポーツやその他の運動をする、礼拝に出席する、本や紙媒体を読む、対面で他人と交流する、宿題をする、だった。(文中〈 〉内はソルティ補足)
ITの進歩が人類に大きなパラダイム転換をもたらす可能性大であることは、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス』で指摘している。
なんらかの形で人類の意識のありよう、行動様式を大きく変えたとしても、不思議ではあるまい。(ユヴァルは人類が「ホモ・サピエンス」から「ホモ・デウス」に進化?すると予言している)
Z世代と先行世代の断絶は、ジェネレーション・ギャップなんて軽い言葉で片付けられるものではないのかもしれない。
今後、Z世代が社会の中心層となっていくにしたがい、それは明らかになってくるのであろう。
そのとき、かつて“新人類”と言われたソルティは“廃人類”に分別される(泣)
本書の原題 The Coddling of the American Mind「アメリカ精神の甘やかし」が示唆しているように、著者らは、家庭にあっては親が子供を、大学においてはスタッフが学生を、coddling(甘やかし過ぎている)ところに問題ありと言いたいようだ。
最後に、事態改善のための対策を提案しているが、これと言って目新しいものはない。
「かわいい子には旅をさせよ」
「大学は真理追求の場、自由な表現と議論の場という原点に立ち返れ!」
「誤った思考パターンから脱却するために認知行動療法を実践しよう」
要するに、安全でないと感じるものすべてを取り除くまたは回避するのではなく挑戦を求める、常に自分のとっさの感情を信じるのではなく認知の歪みから脱却する、味方か敵かという安易な倫理観で相手を最悪だと決め込むのではなく他者に寛大な眼差しを向け、微妙な差異をすすんで受け入れよということだ。
アメリカで起きていることは、時間差で日本でも起こる。
いや、IT時代のいまは「ほぼ同時に」起こる。
上記1~6の理由は日本のZ世代にもすっかり当てはまる。
日本でも、ポリコレ案件やSNSを中心とするキャンセル・カルチャー(またはネットいじめ)が日常風景になりつつある。
が、日本の大学キャンパスにおいて、本書で描かれているような常軌を逸した混乱は聞かない。
アメリカの大学とは別のかたちで――外に発散するのではなく内に籠もるかたちで――起きているのではなかろうか。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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