1946年11月大阪新聞社東京出版局発行
2020年冨山房インターナショナル

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 図書館のドキュメンタリー文学コーナーで、タイトルに惹かれて手にとった。
 太平洋戦争中フィリピンに派遣され、地獄の戦場を生き抜き、生還した男の体験談である。
 著者名を見て、「あれ? なんとなく見たことあるような・・・」と思ってプロフィールを確認したら、まさに知っている人であった。
 と言って、親戚とか知り合いとか言うのではない。
 宮澤縦一(1908-2000)は音楽評論家とくにオペラ研究家として有名で、『名作オペラ』、『私がみたオペラ名歌手名場面』など多くのオペラ関係の本を書いている。
 オペラの魅力を知ったばかりの20代の頃、ソルティは宮澤の著書を通して多くのことを学び、また楽しませてもらったのであった。
 いわば、オペラという絢爛豪華な美の世界の案内人だった。
 その宮澤が、よもやこんな苛烈な体験をもっていたとは・・・・!

 一方は、着飾った紳士淑女が集い、華麗な歌声と管弦楽が響く豪華なオペラホール。
 一方は、飢餓と疲労と熱帯病で痩せこけた蛆だらけの兵士が、爆音と断末魔の呻きの中をさまよい歩く戦場。
 天国と地獄。
 相反する二つの世界が、宮澤の中で拮抗しつつ共存していたことを今初めて知った。

 ハンサムでダンディな俳優として人気を集めた宝田明(1934-2022)が、実は満州からの引き揚げ組であり、子供の頃ソ連兵の銃弾を受けて重傷を負ったことが、『沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』(太田隆文監督)の中で語られていた。
 一見、華やかに見える人間の中にも、他人には簡単に言えないような過去や癒やしがたい心の傷があるものなのだ。
 「傷魂」というタイトルはまさにそのことを示している。
 
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普天間飛行場近くの嘉数高台にある沖縄戦の弾痕

 終戦の前年(1944年5月)、赤紙をもらった宮澤は37歳。
 ほかの新兵とともに目黒で訓練を受け、北九州の門司から輸送船でフィリピンに向かう。
 途中、魚雷爆撃を受け、船は炎上。
 すんでのところ救出され、台湾漂着。武装を整えたあと、マニラからミンダナオ島へ。
 もはや敗戦は必至。 
 米軍の激しい空襲から逃れるため山中を逃げ惑う中、足を負傷し、動けなくなる。
 手榴弾による自決を試みるも、うまくいかず。
 1945年7月に米軍に発見され、収容所へ連れていかれる。
 
 経緯だけをざっと記すと上のようになる。
 それぞれの場面で実際に宮澤が体験したことの凄まじさには言葉を失う。
 終戦一年後に発行されていることからわかるように、記憶生々しいうちに書いたものなので、描写は具体的で非常にリアル。
 塚本晋也監督『野火』そのものの世界。

 赤紙一枚で駆り出され、生き地獄の戦地に連れていかれ、さんざん苦闘したあげく、傷ついたり、栄養失調やマラリヤ、赤痢、破傷風などのために動けなくなり、置き去りにされて野たれ死にしていった数多の兵隊達に、いったい何の罪があるのでしょう。
 
 こうした日本の下級兵たちの体験記を読むたびに感じるのは、敵であるはずの米軍以上に残酷なのは、味方であるはずの日本軍である――という“不都合な真実”だ。
 太平洋戦争(日中戦争含む)では、米軍による攻撃で亡くなった日本兵よりも、日本軍による無謀きわまりない戦略で亡くなった日本兵の方が多かった。
 とくに終戦間近になると、それは際立った。
 武器も装備も、十分な水や食料の補給の当てもない中での召集と戦地派遣。
 意味も目的もない何百キロの行軍で命を落とした若者のどれほどいたことか。
 
 宮澤もまた、米軍と闘う機会などついに訪れないまま、無駄に召集され、無駄に前線に送られ、無駄に飢餓地獄に落とされ、無駄に命を危険にさらしただけであった。
 あたかも死ぬためだけに派遣されたかのよう・・・。
 大方の日本人の真の敵は、アメリカでなく大日本帝国だったのだ。
 (あえて言えば、そのことに気づくのが遅すぎたことが大衆の罪である)
 
 ソルティが高齢者介護施設で働いていた10年前、戦時を生きた90代の女性たちが口々に言っていたのを思い出す。
 「日本はアメリカさんに負けて良かった」
 「もし勝っていたら、北朝鮮みたいなおかしな国になっていた」

 大日本帝国はアジア諸国を植民地支配から解放せんと闘った――いわゆる大東亜共栄圏構想をいまだに信じている人がいるけれど、正味のところ、アメリカこそが日本国民を今の北朝鮮のような独裁主義ファシズムから解放してくれたのである。
 残念ながら、それが歴史の真実だ。
 
 米軍の捕虜となった宮澤は、自分がいつ殺されるのか戦々恐々としていた。
 担架で連れていかれた先には赤十字の旗がひらめいていた。

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3282700によるPixabayからの画像



おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損