日時 2024年4月29日(月)14時~
会場 東京芸術劇場 コンサートホール
曲目:
- ブラームス: 大学祝典序曲
- ワーグナー: 歌劇『トリスタンとイゾルデ』より『前奏曲と愛の死』
- ベートーヴェン: 交響曲第9番 イ短調 作品125『合唱付き』
ソプラノ: 和田美菜子
アルト : 成田伊美
テノール: 渡辺正親
バリトン: 小林大祐
指揮: 和田 一樹
和田一樹&豊島区管弦楽団が第9をやると聞けば、万難を排して、いや万障繰り合わせて参加したい。
知ったのは一週間前。慌ててネット予約したら、すでに3階席しか残っていなかった。
芸劇の3階席にはいささか不信感があるのだが、同じ3階席でも前のほうの席でなく、壁際ならいいかもしれない。
3階席の舞台向かって右手の壁際を選んだ。
結果的には、音の反響よろしく、舞台も良く見える上席だった。
指揮者が舞台袖から出て、オケの間をすり抜けて指揮台に達する、いわば“指揮の花道”が丸々望める位置だったので、音合わせが終わっておもむろに登場する和田一樹の表情や足取りをはじめて見ることができた。
これが面白かった。
華々しく軽快なブラームスの祝典序曲、ドラマチックで官能的なワーグナーのオペラ曲、そしてメインの第9。
これから演奏する曲に応じて、和田の表情や足取りや醸し出すオーラが異なっていた。
あたりまえと言えばあたりまえの話。
能役者が鏡の間でこれから演じる役に没入するように、指揮者も舞台袖でこれから立ち向かう曲あるいは作曲家に波動を合わせる、いわばチューニングするのだろう。
本番で指揮者がまとい発散するオーラに感化されて、オケのメンバーたちもまた、楽曲ごとに異なる世界へ旅立つのが容易になるというものだ。
指揮者とはあの世の作曲家の言葉を伝える審神者(シャーマン)みたいなものかもしれない。
毎度のことながら、和田の指揮には驚かされる。
なんといっても、音楽に生命力を漲らせる力が抜群だ。
曲の経路を知り尽くし、どのツボを押せばどのような効果が生まれるか心得ている中国3千年の鍼灸師のようなテクニックに加え、やっぱり、本人のキャラクターが物を言っているように思う。
人生は楽しむものであり、音楽は楽しむもの。
歓喜の人生観の持ち主なのだと思う。
歓喜の人生観の持ち主なのだと思う。
陽キャは強い。
豊島区管弦楽団のうまさも相変わらず。
玄人はだしの安定したテクニックはアマオケ界のレジェンドと言いたい。
洗練の極みのプロオケのコンサートで、「CDを聴いているようでつまらない」と感じることがままあるけれど、豊島区管弦楽団は巧くなっても活力を失っていない。
だから面白い。
だから面白い。
ソロパートでは、それぞれの楽器が個性豊かに響き、「クラシック=古い、お上品」というイメージを打ち破っていた。
どの曲も、どの楽章も良かったけれど、今回はとりわけ第9の第2楽章が衝撃的だった。
テレビゲームのBGMを思わせるような軽快でリズミカルなこの楽章を、客席でリズムを取りながら気持ちよく聞き流していることが多いソルティ。
今回の第2楽章ときたら、リズムをとるような余裕を与えてくれなかった。
とにかく激しかった。
それはまるで夏の嵐。
一陣の突風が吹いたかと思ったら、空一面がかき曇り、稲妻ひらめき、夕立が大地を容赦なく打つ。
次々と天から放たれ、中空を引き裂く銀の矢。
数十キロ四方にとどろき渡る雷鳴。
It rains cats and dogs.
あたかも風神と雷神が睨み合って腕比べしているかのような迫力であった。
(パーカッション、素晴らしかった)
夏の第九もなかなか面白い。