1964年日活
98分

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 石原裕次郎主演の犯罪アクションロマン。
 1962年にヒットした裕次郎の同名の歌をモチーフに制作されたもので、映画の中では裕次郎がギターを弾きながらこの曲を歌っている。
 なので、いつ赤いハンカチが出てくるんだろう?――と思っていると肩すかしを食らう。
 赤いハンカチも木綿のハンカチーフも真っ赤なスカーフも小道具としては出てこない。

 元刑事を演じる裕次郎、親友で同僚だった二谷英明、二人の間を揺れ動く浅丘ルリ子、三者ががっちり組み、そこにベテラン刑事役の金子信雄が執拗に絡む。

 役者レベルで言えば、金子信雄の圧勝である。
 ちょっと陰険な感じのする有能な古狸といったキャラクターを見事に作り上げている。
 声だけ聞くと、アルフレッド・ヒッチコックやTVドラマ版『名探偵ポワロ』のエルキュール・ポアロ(演・デヴィッド・スーシェ)の吹き替えをした熊倉一雄そっくり。

 二谷英明はまずまず。
 もっと上手く演じられる役者だと思うのだが、主役の裕次郎を引き立てるため、力を抑えたのかもしれない。
 吉永小百合主演『青い山脈』を見れば、そういった引きの演技、受けの演技、分をわきまえた演技ができる人だと分かる。

 裕次郎は下手糞だが、これはこれでよい。
 大スター石原裕次郎は裕次郎以外のものになれないし、なってはいけない。
 当時の観客は裕次郎その人を見に来たのであって、裕次郎が演じる凡庸な市井の誰かを見たいわけではなかった。
 吉永小百合や高倉健がそうであるように、「なにをやっても裕次郎」で正解。
 少なくとも日活にいた間は・・・。
 演技はともかく、歌のうまさに驚く。
 裕次郎(演じる元刑事)が、北国の飯場(はんば)でギターの弾き語りをするシーンがある。
 それまで酒を飲んで騒いでいた土方たちは、裕次郎が歌い出すとしんと静まり返って、神妙な顔で歌を聴く。
 スターにここぞとばかりスポットを当てる観客へのサービスショットに違いないのだが、この流れが不自然を感じさせないのだ。
 それは裕次郎の歌の力がはんぱないからで、実際にこの人が目の前で歌い出したら、周りは黙って聞くほかないだろうと納得してしまう。
 そこには人生に疲れた心に浸透する不思議な響きがある。
 
 問題は浅丘ルリ子である。
 汗だくになって工場で働く貧乏長屋の娘から、高価なミンクのコートをまとう優雅な奥様に変貌する浅丘。
 ほっそりしたスタイル、ビスクドールのような整った顔立ち、ファッショナブルな恰好が良く似合う。
 舛田監督は浅丘をこの上なく美しく魅せることに成功している。
 裕次郎と二谷が命を懸けて奪い合うのも無理もないと思う美女ぶりだ。

 しかし、本作を観ている間ソルティの脳裏に浮かぶは、「ルリ子の無駄遣い」という言葉であった。
 後年になって示したように、浅丘は役者として素晴らしいものをもっている。
 三島由紀夫原作『愛の渇き』の悦子や『男はつらいよ』のリリー、蜷川幸雄と組んだ豪奢な舞台の数々、極めつきは天願大介監督『デンデラ』の素顔で勝負した老婆。
 いまだに日活アイドルイメージから抜けられないままでいる吉永小百合と比べると、浅丘ルリ子の役者根性やキャラクター創造にかける気概はすばらしい。
 それが日活時代は、泥臭い男世界に清涼剤として添えられた、よく言えば泥中の蓮、悪く言えばトイレのサワデーみたいな、演じ甲斐のないつまらない役ばかり。
 いわば刺身のツマ。
 もったいないことこの上なかった。

 たとえば、若尾文子における増村保造、岡田茉莉子における吉田喜重、岩下志麻における篠田正浩、原節子における小津安二郎。
 役者としての可能性を最大限引き出してくれる演出家と若い時分に出会えることは、女優にとって最高の幸福であろう。




 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損