1924年博文館
2011年河出文庫
震災後の浅草の風景
日本一高いビルヂングだった凌雲閣(浅草十二階)
1923年9月1日に起きた関東大震災の見聞録、今でいうルポルタージュである。
田山花袋(1872-1930)は当時51歳、家族と共に渋谷区代々木に住んでいた。
花袋の家は瓦が落ち、壁が一部毀れはしたが、崩壊は免れた。家族も無事だった。
被害は下町、現在の地名で言う台東区、墨田区、江東区、荒川区、文京区、足立区、葛飾区、江戸川区あたりが顕著だったのである。
花袋は近辺が落ち着いた数日後、歩いて被災状況を見に行った。
ここに書かれているのは、その一月半後より書き始められ、翌年春に刊行された記録である。
河出書房新社で文庫化された2011年8月は、もちろん、東日本大震災のあった5か月後である。
ソルティは田山花袋を読んだことがなかった。
本書中に、震災で失われた江戸の面影、とくに料理屋や芸者置屋が並ぶ隅田川沿いの情緒を懐かしむ記述があるので、耽美派の酔狂人であった永井荷風(1879-1959)と取り違えていた。
田山花袋は、『蒲団』、『田舎教師』を代表作とする自然主義派の作家である。
なので、本書の記述も写実的にして簡潔平明であり、読みやすい。
それでいて、現代のルポルタージュ作家が書くような淡々と客観的な事実のみを綴る無味乾燥な記録とは一線を画し、文学者ならではの視点と描写が見られる。
たとえば、廃墟の中でなおさら美しい自然――地平線を囲む秩父や丹沢の青々した連山、澄み切った秋空、不忍池の蓮など――の描写は、人間の営みとは無縁に存在する自然の泰然自若を浮き上がらせ、逆に人間の営みのはかなさや卑小さをかえりみさせる。
あの緑葉は一層緑に、あの紅白は一層紅白に、人間にはそうした艱難が不意に、避くべからずに起ったとは夢にも知らないように、或るものは高く、或るものは低く、ある者は開き、あるものはつぼみつつ、一面にそこに見わたされていたではなかったか。それは仔細に見れば、その岸に近いところの葉は焦げ、花は焼けていたであろうけれども、またその大きな半燃えの板片なども、その池の中には沢山に沢山に落ちていたであろうけれども、しかもその咲き揃った花の美しさは、何とも言えない印象を私に与えるのに十分であった。それにその日は空が透徹るように青く晴れて、それがその緑葉の中の紅白と互いに相映発した。
本書を読んで、「なるほど、そうであったか」と思ったことをいくつか。
まず、明治大正になっても東京に残っていた江戸時代の風景が、この震災によって完膚なきまで失われたこと。
当時の人々にとって、江戸との断絶を意識したのは、明治維新の文明開化や大正モダニズムやたびたびの戦争より、むしろ関東大震災のほうが大きかったのではなかったか?
日常親しんでいた風景が一変するということは、生活者の意識に少なからぬ影響を及ぼすはずだ。
次に、いまの新宿や渋谷の隆盛のきっかけになったのが、まさにこの震災であったということ。
大正時代までは東京の文化的中心、つまり日本の文化的中心は、浅草や上野や銀座であった。
新宿や渋谷や池袋は、一部の住宅地をのぞけば牧草が広がる田園地帯であった。
1912年発表の童謡『春の小川』の舞台が、作詞の高野辰之が住んでいた、まさに渋谷区代々木の風景であったという話はよく知られている。
震災によって下町が灰燼に帰したため、沢山の人や店が山の手に流動し、後の発展の礎となったのである。
震災あっての渋谷交差点なのだ。
実に9割近くが火事、つまり人災による被害で亡くなったのである。
すこし前にNHK制作ドキュメンタリー『映像の世紀』で関東大震災をテーマにした回があった。
震災直後の下町の場景をカメラマンが撮ったフィルムを最新技術で修復着色し、そこに鮮明に写し出された人々の様子を分析していた。
多くの人々は離れた場所で起きている火災を高みの見物としゃれこんで、談笑し飲み食いしていた。
自分のところまでは火の手は来るまいと思っていたのだ。
だが、火災は一ヵ所だけで起きていたのではなかった。
下町の何十か所で同時に起き、折からの強風に煽られて、見る間に燃え広がっていった。
文字通り“対岸の火事”とのんきに構えていた人々は、気がついたら四方八方、火の壁に阻まれ、逃げ場を失っていたのである。
とりわけ、3万5千人が焼け死んだとされる本所の被服廠跡地(現・都立横綱町公園)の惨状は言語を絶するもので、日露戦争に行って沢山の死体を見てきた花袋ですら、積み上げられた黒焦げの髑髏の山を「見るに忍びなかった」とそそくさと通り過ぎている。
火事と津波は決して侮ってはいけない。
ここでもまた、朝鮮人虐殺に関する記載がたびたび出て来る。
田山花袋も目撃していた。
9月3日の夕のことだ。
夕方に突然に私達の周囲で起こったことがわかった。それは、もう日がくれかけて、人の顔もはっきりとは見えない頃であったが、俄かに裏の方でけたたましい声がして、「××人? 叩き殺せ?」とか何とか言って、バラバラ大勢が追っかけて行くような気勢(けはい)を耳にした。慌てて私も出て行って見たが、丁度その時向こうの角でその××人を捉えたとかで、顔から頭から血のだらだら滴っている真っ蒼な顔をした若い一人の男を皆なして興奮してつれて行くのにぴったり出会した。私はいやな気がした。いずれあの若い男は殺されるのだろうと思った。気の毒だとも思った。
現場にいて目撃した人間が「あった」と書き残していることを、その時生まれていなかった人間が「なかった」と強弁するおかしさ。
虐殺否定論をまくし立てる者らが利用できる最大の武器が、関東大震災を経験した人間が現在ひとりも存在しないという点にあるのは明らかである。
来年2025年は戦後80年にあたるが、歴史の生き証人がいなくなることは、事実をゆがめたい人間たちにとって、非常に都合の良いことなのである。
一方、上のように記している花袋であるが、当時中央公論社の社員であった木佐木勝(きさき まさる)の証言によると、「花袋宅に原稿依頼に行った際、本人から、自宅の庭に逃げ込んできた朝鮮人を引きずり出して殴った話を聞いた」という。(出典:筑摩書房発行、西崎雅夫編『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』)
朝鮮人を殴った話が事実だとすると、花袋も本書を出版するにあたって、自分に都合の良い嘘を一つついたことになろう。
関東大震災は明日にもやって来るやもしれない。
100年前より、巨大化・機械化(IT化)・密集化・複雑化した大都市でいったい何が起こるか、どの程度の被害が生じるか、想像もつかない。
ただ、現実問題として、それが起こる確率は、日本が戦争に巻き込まれる確率よりよっぽど高いのである。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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