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日時 6月20日(木)19:00~
会場 成城学園前 アトリエ第Q藝術
演目
柳亭すわ郎(前座): 『たらちね』
柳亭小燕枝: 『親子酒』、『宿屋の仇討』

 寄席に行くのは6年ぶり。
 コロナ前、四国遍路に行く前の2018年9月のすがも巣ごもり寄席が最後であった。
 あの頃は二枚目もとい二ツ目であった柳亭市弥が目当てで寄席に行くようになり、おかげで落語の面白さに目覚めたのであった。
 
 久しぶりに寄席に行ってみようかと思い、ネットで調べてみると、市弥はすでに存在せず。
 といって廃業したのではない。
 2022年8月に真打昇進して、八代目柳亭小燕枝(りゅうてい こえんし)になっていた。
 遅ればせながら、おめでとう!

 真打市弥(自分の中ではまだイチヤ君だ)の実力のほどをこの目で確認しようと思い、新宿から小田急線に飛び乗った。

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小田急線・成城学園前駅

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アトリエ第Q芸術

 前座の柳亭すわ郎(swallow 燕のもじりか)は30代後半と見受ける。
 市弥の弟子になって半年たらずとのこと。
 『たらちね』は覚えたばかりのようであった。
 夫が当人の名前と勘違いした、「寿限無寿限無」ばりに長い新妻の口上、

自らことの姓名は、父はもと京都の産にして姓は安藤、名は慶三あざなを五光。母は千代女と申せしが、わが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴の夢を見てはらめるが故に、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしがそれは幼名、成長の後これを改め清女と申しはべるなりい~

を、よどみなく節回しよく言いのけたのは立派。
 二ツ目を目指して頑張ってほしい。

 6年ぶりに見る市弥は、あたりまえだが老けていた。
 世田谷区出身でミッション系の玉川大学卒という経歴と、色白で清潔感ある柔和なイケメンぶりから、“いいとこのお坊ちゃん”イメージが強かった市弥であったが、40歳という年齢に達した為のみならず、この6年間「いろいろあった」のだろうと思わせる変容であった。
 外部から見える事実だけとっても、結婚して父親になっているし、コロナ禍の「寄席が出来ない」試練があった。
 いろいろと苦労もあったことだろう。
 そう思わせるに十分な意義ある老けぶりであった。
 それがもろ高座に反映されるところが、舞台商売の面白いところである。

 オッサン化した容姿はともかく、芸の上ではまず声や口調に変化を感じた。
 声が太く低くなり、時にだみ声混じりになった。
 人を面罵する場面での迫力が増した。
 年齢による声帯の変化や酒の影響もあろうが、実生活において父親となり守るべきものを持ったことによる意識の変化が、声や口調に表れているように感じた。
 もはや“お坊ちゃん”とはいえない風格。

 それに伴い演技力が増した。
 もともと与太郎のような天然ボケキャラや、ちょっと蓮っ葉で色っぽい長屋のおかみのようなキャラを演じるのが上手い人ではあった。
 そこに加えて、年輩の頑固親父キャラがリアリティ持って演じられるようになっていた。
 『親子酒』の酒飲み親父であるとか、『宿屋の仇討』の隣室の侍であるとか、一つの生きたキャラとして成立している。
 それが成立しているがゆえに、噺全体がまるで一人芝居のような見世物になっている。
 とくに『宿屋の仇討』は、落語というより、一人の役者が数役を演じ分けるアングラ演劇を見ているようであった。
 そして、少なくとも5人(宿の主人、侍、3人の若い衆)が登場し、各々のセリフが飛びかい入り混じるせわしない噺にあって、だれのセリフか分からない瞬間が一度もなかった。
 顔の表情もまたバリエーションが増えた。
 子供をあやすうちに身につけたものだろうか?
 顔の筋肉と目の表情を巧みに操って、登場人物の刻々移り変わる感情を、生き生きと滑稽な風味をもって、客席に伝えるのに成功していた。
 たしかに腕を上げた。

 一方で、6年前と変わらないものがあった。
 噺が佳境に入って、演者が役に没入する時、あるいは役が演者に降りてくる時、演者から立ちのぼり周囲に放射されるオーラである。
 市弥の高座をはじめて観た時、ソルティがなにより心を奪われたのはこのオーラであった。
 決してイケメンだからではない(←嘘)
 その後しばらく市弥の高座を追ったが、このオーラは出る時と出ない時があった。
 人間だから、体調が悪い時もあれば、精神的に不安定な時もある。
 あるいは、気力体力ともに充実し、心が純粋な若いうちだけの特権かもしれなかった。
 「40歳の今、どうかな?」と思って臨んだ今回、やはりオーラは健在であった。

 柳亭小燕枝、また追ってみようかな~。

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