2015年集英社新書
2019年1月に亡くなった橋本治の全貌は、その作品群があまりに多彩かつユニーク過ぎて、まだ誰にも捕捉されていないようだが、少なくとも、日本の古典に詳しい、かつそのイメージを大きく覆した作家であったことは間違いない。
1987年に『桃尻語訳 枕草子』が世に出たときの衝撃をソルティは覚えているが、難解で高踏的な日本の古典文学が一気に身近で親しみやすいものに感じられ、才知を鼻にかけた嫌味なインテリ女のイメージが強かった清少納言が、キャピキャピしたミーハー女子大生のように可愛らしく生き生きした存在へと変貌した。
それは古典が、“姿勢を正して大昔のことを学ぶ”から“今も通じる変わらぬ日本人の姿に共感する”へと変わった瞬間であった。
その後も、『窯変 源氏物語』や『双調 平家物語』などで、“昔を今につなげる”手腕は遺憾なく発揮された。
橋本の古典文学の幅広い知識と深い人間理解をもとにした鋭く自在な解釈によって、日本人の性意識や性道徳を縦横無尽に綴ったのが本書である。
イザナミ・イザナギの性交による国産みが描かれている『古事記』から始まって、『万葉集』、『枕草子』、『源氏物語』、『小柴垣草紙』、『台記』、『故事談』、『稚児草子』、『葉隠』、『仮名手本忠臣蔵』といった、時代時代の代表的な古典文学が俎上に乗せられ、日本人の性と愛をめぐる実態が暴かれていく。
それは端的に言えば、タイトル通り、「性のタブーのない日本」である。
明治時代になって、行政府が「風紀」というものを問題にして、性表現に規制をかけた。「猥褻」という概念を導入して取り締まったから、我々は「性的なもの≒猥褻」というような考え方を刷り込まれてしまった。だから、「明治以前の日本に性表現のタブーはなかった」と言われると、思う人は「え!?」と思ってしまう。明治時代以前の日本には性表現のタブーはなかったし、性にもほぼタブーはなかった。だから、そういうものを一々数え上げたわけでもありませんが、その昔の日本には「変態性欲」という概念がなかった。日本人には性的タブーがなくて、その代わりにモラルがあった。だから、夫のある女が他の男と肉体関係を持つと、女とその相手の男は「姦通」の罪に問われた。
大塚ひかり著『本当はエロかった昔の日本』(新潮社)や三橋順子著『歴史の中の多様な「性」』(岩波書店)でも、同様の指摘がなされている。
明治維新からの150年あまりで、少なくとも性意識や性道徳においては、原日本人が本来の姿を喪い、国策によってなかば人工的に作り変えられてしまったことは疑いえない。
統一協会的・旧民法的な性道徳を振りかざし、「日本を取り戻そう!」と連呼する保守右翼が、いかに付け刃の伝統讃美者であることか。
それにつけても、宇能鴻一郎著『姫君を喰う話』の原案となった後白河上皇作の絵巻『小柴垣草紙』をなんとしても見たいものだ。
どこかで展示会やってくれないものかしらん。
おすすめ度 :★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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