2023年角川新書

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 副題は「幸福と自由が実る老い方」
 
 1980年来日このかた、日本中にテーラワーダ仏教を広めてこられたスマナサーラ長老も、来年で80歳になられる。
 たまに講演会や瞑想会でお姿を見かけるが、相変わらずの説法の冴えに引きくらべ、体力の衰えは隠しようもなく、「しんどそうだなあ」と思うことも度々。
 強気な性格や眼力の鋭さ、しっかりした鷹揚な足取りに見過ごされがちだが、元来、体質的に頑健なほうではなかったのかもしれない。
 老いを実感されている様子が言葉のはしばしにのぼり、そのたびに、「誰にでも平等に老いと死はやってくる」というあたりまえの事実を思う。
 本書の良さは、長老が自らの老いの現実と向き合ったところから生まれた老年論であるところにある。
 執筆時62歳のキケロの老年論とは違う。

 雑踏の新宿駅で気を失って倒れたことや、歩くスピードが遅くなったこと、物忘れが増えたことなど、自らの老いを観察して、ありのままに受け入れている様子が、読み手に伝わってくる。
 同じ高齢の読者には、共感しやすい部分であろう。

 老年論と言えば、五木寛之のよく言っていた林住期が思い浮かぶ。
 もとは古代インドの思想で、人生を「学生期、家住期、林住期、遊行期」の4段階に分けた3番目。
 五木の言葉を借りれば、

世のしがらみや人生の些事に煩わされることなく、読書をしたり、いろいろものを考えたり、瞑想をしたり、自由闊達に生きがいを探すことが許される人生の黄金期。

 五木は50歳から75歳くらいまでを林住期と言っている。
 考えてみれば、必要最低限しか仕事を入れず、人との交遊も控えて、読書や映画・音楽鑑賞や仏道修行(瞑想)や旅行やブログ執筆に時間を割いている現在のソルティは、まさに「林住期的生き方」をしている。
 別に意図してこうなったわけではないが、そうか、いまが人生の黄金期だったのか!

 スマナサーラ長老は、人生を3つのステージに分けて語られている。
  1. いろいろなことを学び、大人になるまで(生まれてから30代半ばまで)
  2. 働き盛りの時期(30代半ばから65歳くらいまで)
  3. 退職し社会の鎖を解いて「人間」になる(65歳以降)
 人生3部作の第1部と第2部では、いろいろ「取る」ことをしてきました。
 勉強して学歴をつける、就職する、結婚する、子どもを持つ・・・・こうして、自分の周りに、たくさんのものを取ってきました。
 もちろん、その「取る作戦」には失敗もあったでしょう。
 進学や就職がうまくいかないこともあったろうし、離婚した人も、望んでいたけれど子どもができなかった人もいるでしょう。
 それはそれでいいのです。みんな、だいたい失敗のほうが多くて、失敗7割で成功3割ならいいほう。人生とはそういうものです。
 このように、たくさんの失敗を重ねながらも「取る」をやって来たあなたは、最後のステージである第3部ではなにをすべきなのでしょうか。
 一番大事なのは、これまでとは違う生き方をすること。すなわち、これまで取ってきたものから「離れる」ということです。

 本書では、どのようにして「取る」人生から「離れる」人生へと移行するか、「離れる」人生を幸福に生きるにはどういった観点や工夫が必要か、第3ステージにおいて我々が目指すべきものはなにかといったことが、平易な親しみやすい言葉で説かれている。
 当然、長老の立場としては仏教的生き方のすすめが要点なのであるが、本書はあまた刊行されている長老の他の本とくらべると、仏教の専門用語(たとえば諸行無常、諸法無我、ヴィパサーナ瞑想といった)がほとんどなく、話題もごく一般的かつ庶民的で、日本の高齢者の現状に即した、“仏教徒でなくても受け入れやすい”語りとなっている。
 仏教ならではと言えるのは、せいぜい慈悲のすすめくらいだろうか。
 そういう意味では、宗教に忌避感ある高齢者(たとえば80代後半のソルティの両親)にも自信をもってすすめられる本である。




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損