日時: 2024年7月14日(日)18:30~
会場: サントリーホール
曲目:
- ヴェルディ: 歌劇「運命の力」序曲
- マーラー: 交響曲第2番「復活」
ソプラノ: 安藤るり
アルト: 熊田アルベルト彩乃
指揮: 東 貴樹
合唱: 混声合唱団コール・ミレニアム
今年3回目の『復活』。
指揮はいずれも東直樹であった。
過去の自分の記事を読み返すと、かなり好印象をもったオケであることが分かる。
今回もまた好印象、どころか率直に言って、たいへん感動した。
今年聞いた『復活』の中では、今のところ一番である。
前プロのヴェルディ作曲『運命の力』序曲から、オケの上手さと東直樹の賢さ、そしてなによりサントリーホールの音響の素晴らしさが感じられた。
ソルティが取ったのは2階席の一番前列、中央やや左寄りの席。
パートごとの楽器の音色がしっかりと独立して、玄妙な響きを持って、耳に届いた。
これは期待がもてる。
トイレをしっかり済ませたあとの後半。
第1楽章では、なにより音の粘着性に感嘆した。
この粘り気は、納豆ともトロロとも違う、接着剤やヤマトのりとも違う、スライムとも違う、鳥もちとも違う、松ヤニとも違う、「ねるねるねるね」とも違う。
道路舗装に使うアスファルト?
近くなってきた。
ああ、コールタールだ。
コールタールのような、熱と粘度をもった油状の液体である。
そして、それはとてもユダヤっぽいテイストに満ちていた。
つまり、長い宗教的・民族的受難の歴史だ。
第2楽章は地中海の香り。
ゆったりしたテンポのせいもあって、ここで前プロの『運命の力』序曲との類似を感じた。
メロディアスで、ドラマチックで、華やか。
そう、イタリアオペラの世界。
ロマン派のヴェルディから、ベッリーニやドニゼッティのベルカントに遡り、しまいにはロココのモーツァルトまで聴こえてきた。
続く第3楽章で、心はイングランドに飛んだ。
道化師が観客を挑発するかのような、滑稽ながらどこか意地の悪い主要旋律(ブラックジョーク)のあとから、パグパイプが草原の風に乗り、王室行事のファンファーレが豪華に鳴り響き、ヘンデルが顔を覗かせる。
打って変わって、アジアンテイストの第4楽章。
と言っても、実際のアジア音楽というよりは、『大地の歌』で描かれたアジアである。
なんだか世界旅行しているような気分になった。
もうすぐパリ五輪。
世界各国からさまざまな人種や民族や国民が、エッフェル塔の下に集まる。
第5楽章はまさにオール・オ-バー・ザ・ワールドの人間讃歌、人生肯定。
いつものごとく、合唱が入ってからは滂沱の涙と鼻水であった。
国際色豊かな『復活』。
それはもちろん、作曲家マーラーの無国籍性、ジャンルを越境する柔軟性、過去の偉大な作曲家たちの影響と彼らへのオマージュのためであろうけれど、同時に、青年時代にフランスで勉強した東直樹という指揮者の国際感覚ゆえではなかろうか。
楽章が変わるたびにカラーを変化させる、まるでカメレオンみたいな器用さは、日本人指揮者には珍しい才と思った。
ときに、マーラーの2番と3番の最終楽章の感動の秘密は、よくできた推理小説と同じで、「忘れた頃にやって来る伏線の回収」ってところにあると思う。
心に染み入る印象的な動機(フレーズ)を最初の方で小出しに示しておく。
そのあと、崩壊したソナタ形式ならではの予測を裏切り続ける混沌とした展開、荒々しいモチーフの衝突と混合、終点のなかなか見えない長距離トラックの爆走で、聴く者を引きずり回し、途方に暮れさせ、迷宮に追い込む。(大江健三郎の『万延元年のフットボール』を想起する)
いい加減へとへとになってギブアップしそうな瞬間、不意に懐かしの動機がやって来て、迷宮から一気に引き上げ、愛する者たちが待つ光あふれる天上へと導いてくれる。文字通り、“復活”する。
人間の心理機構を見事に利用した構成の妙(=伏線復活)は、映画で言えば、『ニュー・シネマ・パラダイス』(たくさんのキスシーンの連続)か、『マイ・フレンド・フォーエバー』(棺の中のシューズ)である。
これが泣かないわけがない。
ブルレスケさん、20周年おめでとう!
これからもいい音楽を聴かせてください。