2024年河出書房新社
長野県と富山県の境をなす飛騨山脈の中に野口五郎岳(2924m)という山がある。
はじめてこの名を地図上で見つけた時は冗談かと思った。
野口五郎も偉くなったもんだなあと思った。
いまの若い人は知らないだろうが、野口五郎は70~80年代のスーパーアイドル歌手だった。
西城秀樹、郷ひろみとともに「新御三家」の一人として、世の多くの女性たちの人気を集めた。
『私鉄沿線』、『甘い生活』、『針葉樹』、『季節風』、『コーラスライン』など名曲も少なくない。
ひょっとしたら、野口五郎の出身地にある山だから、記念にその名を冠したのかなあと思った。
が、これは逆であった。
ちびっ子のど自慢大会の常連だった佐藤靖少年は、歌手デビューするにあたって、「雄々しく逞しい歌手になるように」という願いを込めて、この山から芸名をもらったのである。
やはり同じ飛騨山脈中にある黒部五郎(2840m)とどっちにするか迷ったというから、芸名を考えた人はかなりの登山マニアだったのだろう。
ちなみに、野口五郎は岐阜県出身である。
野口五郎岳の名の由来は、「野口」集落にある「ゴロ」。
ゴロとは「大きな岩がゴロゴロしているところ」の意で、場所によっては「ゴウラ、ゴウロ、ゴラ」とも呼ばれる。
箱根温泉の有名な強羅(ごうら)はまさにその一例である。
土地の名前の由来を知るのは面白い。
由来を探るのはさらに面白い。
とくに、大昔から継承されている地名は由来が文献に記されていないため、想像や推理で探るほかない。
「野口」や「強羅」のように地形や土地の特徴から推測したり、名前の音(オン)から大和言葉以外の起源(たとえばアイヌ語や朝鮮語)を想定したり、その土地に伝わってきた古い風習や代表的な生産物に起源を求めたり、いろいろなアプローチがある。
本書はまさに、文献には見つからない、日本の古い地名の由来を探っている。
著者の筒井功は、民間の民俗研究家。
机上の文献調査ももちろん怠りないが、自ら車を運転しての現地調査いわゆるフィールドワークに重点を置いているところが、この人の面目躍如である。
まさに文字通り、“在野”の研究家。
それゆえ、この著者の書く物は民俗研究レポートであると同時に、日本の辺境をめぐる旅行エッセイみたいなニュアンスを帯びる。
出かけた先の役所や図書館などで地域資料を調べ、現地の古老をつかまえては古い記憶を引っ張り出す。
そこからオリジナルな仮説を組み立てていく。
「足で稼ぐ」探偵を主人公とする推理小説を読むような魅力がある。
本書で取り上げられている地名、及びその由来についての著者の仮説を一部紹介する。
- クサカ(日下)=クサ(日陰)+カ(処)→日の当たらないところ
- ツルマキ(鶴巻、鶴牧、弦巻など)=弦巻(弓に弦を巻く円形の器具)→円形の土地
- イチのつく地名(市、市場、一ノ瀬など)=イチ(巫女などの宗教者)が住んでいたところ (もちろん「市(マーケット)」や「一番」の意によるところも多い)
- ツマのつく地名(川妻、上妻、下妻など)=「そば、へり」の意→川べりにある土地
- アオやイヤのつく地名(青山、青木、伊谷、弥谷など)=葬地だったところ
- サイノカワラ(賽の河原)=サエ(境)+ノ+ゴウラ(石原)→石がゴロゴロしている境界の地
香川県にある71番弥谷寺(いやだにでら)である。
382mの山の中腹にあり、570段の急な石段を登りきったところにある本堂からは、素晴らしい眺望が得られた。
弘法大師空海が子供の頃に勉強をした岩窟があることでも有名で、人気スポットになってもおかしくない場所であった。
が、なんとも言いようのない空気の澱みを感じた。
訪れたのは一日の巡礼の最後で足が棒のようになっていたので、境内で景色を見ながらゆっくり休憩するつもりだった。
が、岩窟の中にある納経所で御朱印をもらったら、一刻も早く山を下りなくちゃという気になった。
霊感のないソルティには珍しいことであった。
本書によれば、この山は地元では「死者の行く山と考えられており、葬送儀礼の一環として弥谷参りが行われた」そうである。
同地の例では、葬式の翌日か死後三日目または七日目に、血縁の濃いものが偶数でまずサンマイ(埋め墓)へ行き、「弥谷へ参るぞ」と声をかけて一人が死者を背負う格好をして、数キロから十数キロを歩いて弥谷寺へ参る。境内の水場で戒名を書いた経木に水をかけて供養し、遺髪と野位牌をお墓谷の洞穴へ、着物を寺に納めて、最後は山門下の茶店で会食してあとを振り向かずに帰る。(吉川弘文館『日本民俗大辞典』より抜粋、筆者は小嶋博巳)
弥谷(イヤ+タニ)はまさに葬地だったのである。
地名の由来を事前に知っていたら、怖くて写真を撮れなかったろう。