毎月18日は護国寺の如意輪観音像が一般公開される。
それを知って、蒸し暑い午後に参詣した。
長いこと都心近くに住みながら、訪れるのは初めて。
最近、ソルティは観仏に目覚めたのである。
それが証拠に、先日、仏像鑑賞用に4倍率の双眼鏡を購入した。
いったいに観るほどの価値ある仏像は、お寺のお堂の奥の暗がり、あるいは博物館のガラスケースや囲いの中の、見学者の手の届かないところにいらっしゃる。
お顔立ちや衣装、アクセサリー(宝冠や瓔珞など)や持物(薬壺や金剛杵や宝剣など)をよく見たい者にとっては、もどかしいことこの上ない。
ソルティは山登り用に10倍率の双眼鏡を持っているが、それだと遠くはよく見えても、近くはピントを合わせられない。
倍率は高ければ高いほどいい、というもんじゃないのである。
神齢山悉知院 護国寺
創建 :天和元年(1681年)
創建者:五代将軍徳川綱吉
場所 :東京都文京区大塚5丁目40番1
最寄駅:地下鉄有楽町線・護国寺駅下車1分
目白通りから山門を望む
午後2時の陽射しがまぶしい
山門(仁王門)
真言宗豊山派に属す
山門の背面に立つ広目天
西方の守護神
賢そうである
増長天
南方の守護神
スタイルよく格好いい
境内の木陰でくつろぐ外国人参拝者ら
日本人でも行かないような所に出没する
境内の一角に浅間神社がある
浅間神社と言えば富士山
ミニチュア富士(富士塚)がある
山頂の祠を拝む
祭神は木之花佐久夜毘命(コノハナサクヤヒメ)
水盤が涼しさを演出
徳川綱吉の母・桂昌院の寄進による
不老門
参道を振りかえる
地蔵菩薩
阿弥陀如来
最近の若い女性に人気の“アヒル口”である点に注目
多宝塔
昭和13年4月建立
紫式部ゆかりの石山寺の多宝塔(国宝)を模したもの
本堂(観音堂)
元禄十年(1697)建造
関東大震災も東京大空襲も免れたのは奇跡
堂内は撮影禁止である
靴を脱いで本堂に上がると、結構な広さの外陣に椅子がたくさん並んでいた。
如意輪観音菩薩像
元禄13年、新田正虎の母栄隆院の寄進による
造られた時代は不明
(画像は護国寺パンフレットより)
向って左側
いま、それぞれの素性を確かめてみると、
大隈重信の墓
本堂の裏手にはほかにも、山縣有朋、團伊玖磨、ジョサイア・コンドル、中村天風、梶原一騎、大山倍達など、有名人の墓がたくさんあった。
鐘楼
お寺の前の中華料理店に寄った
五目チャーハンセット(880円)
香ばしい風味で美味しかった
涼しくなった頃にまた訪れたい。
それを知って、蒸し暑い午後に参詣した。
長いこと都心近くに住みながら、訪れるのは初めて。
最近、ソルティは観仏に目覚めたのである。
それが証拠に、先日、仏像鑑賞用に4倍率の双眼鏡を購入した。
いったいに観るほどの価値ある仏像は、お寺のお堂の奥の暗がり、あるいは博物館のガラスケースや囲いの中の、見学者の手の届かないところにいらっしゃる。
お顔立ちや衣装、アクセサリー(宝冠や瓔珞など)や持物(薬壺や金剛杵や宝剣など)をよく見たい者にとっては、もどかしいことこの上ない。
ソルティは山登り用に10倍率の双眼鏡を持っているが、それだと遠くはよく見えても、近くはピントを合わせられない。
倍率は高ければ高いほどいい、というもんじゃないのである。
Vixen ×4の双眼鏡
有楽町ビックカメラで9000円程度
有楽町ビックカメラで9000円程度
神齢山悉知院 護国寺
創建 :天和元年(1681年)
創建者:五代将軍徳川綱吉
場所 :東京都文京区大塚5丁目40番1
最寄駅:地下鉄有楽町線・護国寺駅下車1分
目白通りから山門を望む
午後2時の陽射しがまぶしい
山門(仁王門)
真言宗豊山派に属す
山門の背面に立つ広目天
西方の守護神
賢そうである
増長天
南方の守護神
スタイルよく格好いい
境内の木陰でくつろぐ外国人参拝者ら
日本人でも行かないような所に出没する
境内の一角に浅間神社がある
浅間神社と言えば富士山
ミニチュア富士(富士塚)がある
山頂の祠を拝む
祭神は木之花佐久夜毘命(コノハナサクヤヒメ)
水盤が涼しさを演出
徳川綱吉の母・桂昌院の寄進による
不老門
参道を振りかえる
地蔵菩薩
阿弥陀如来
最近の若い女性に人気の“アヒル口”である点に注目
多宝塔
昭和13年4月建立
紫式部ゆかりの石山寺の多宝塔(国宝)を模したもの
本堂(観音堂)
元禄十年(1697)建造
関東大震災も東京大空襲も免れたのは奇跡
堂内は撮影禁止である
靴を脱いで本堂に上がると、結構な広さの外陣に椅子がたくさん並んでいた。
内陣中央奥の厨子に如意輪観音像。
きらきらしい黄金の王冠と瓔珞(ネックレス)の美しさもさることながら、小豆色の木肌の質感がなんとも艶めかしい。
たおやかに曲げられた右上腕、とくに折り曲げた指の第二関節が頬に触れるか触れないかの微妙な加減は、斑鳩中宮寺の弥勒菩薩像を思い起こさせる。
その眠りは宇宙の創造を夢見ているかのよう。
実に美しい。
如意輪観音菩薩像
元禄13年、新田正虎の母栄隆院の寄進による
造られた時代は不明
(画像は護国寺パンフレットより)
如意輪観音の左右の仏壇には、三十三の像が所狭しと並んでいる。
内陣向って右側向って左側
いま、それぞれの素性を確かめてみると、
- 仏(2)・・・仏、辟支仏(びゃくしぶつ)
- 天部(6)・・・梵王、帝釈天、大自在天、自在天、毘沙門天、執金剛神(仁王)
- 八部衆(8)・・・天、龍、夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、摩睺羅伽(まごらが)、緊那羅(きんなら)
- 出家修行者(3)・・・比丘、比丘尼、声聞
- 在家信者(9)・・・小王、居士、居士婦女、長者、長者婦女、優婆夷(うばい)、優婆塞(うばそく)、童男、童女
- その他(5)・・・婆羅門(ばらもん)、婆羅門婦女、宰官、宰官婦女、天大将軍
どういう謂れかと思ったら、観音様の「三十三応現身像」、すなわち観音菩薩が衆生を救済する際に、相手の機根に応じて様々な姿で現れることを表しているのであった。
『法華経』の中にある教えらしい。
知らなかった。
ということは、中央にまします如意輪観音が変身したお姿が、左右の像たちなのだ。
如意輪観音がキューティー・ハニーに見えてきた。
ハニー・フラッシュ!
ハニー・フラッシュ!
堂内には他にも、ガリガリに痩せて骨と皮ばかりになった苦行釈迦像、修験道の開祖・役小角(えんのおずの)像、撫で仏で知られる賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)像、不動明王像、桂昌院が使用した駕籠、三猿(見ざる言わざる聞かざる)彫刻、天井を舞う天女、龍に乗った観音菩薩の絵など、珍しくて面白いものがたくさんあった。
双眼鏡を持参したのは大正解。
手にとるように近いところで、仏像の表情や文化財の細工がつぶさに見られて、時を忘れる楽しさだった。
と、リンが鳴った。
若いお坊様たちが入ってきた。
勤行が始まるらしい。
他の参拝者とともに椅子に座って、般若心経や知っている真言を唱えた。
じっとしていても汗の流れる暑さだったが、読経するうちに、心は涼やかになった。
大隈重信の墓
本堂の裏手にはほかにも、山縣有朋、團伊玖磨、ジョサイア・コンドル、中村天風、梶原一騎、大山倍達など、有名人の墓がたくさんあった。
鐘楼
お寺の前の中華料理店に寄った
五目チャーハンセット(880円)
香ばしい風味で美味しかった
涼しくなった頃にまた訪れたい。