2012年ちくま新書
副題:マスコミが「あのこと」に触れない理由
ここ数十年のマスメディアにおける三大タブーを暴いた森永卓郎著『書いてはいけない』が、2024年上半期ベストセラーの17位にランクインした。
ビジネス本の中では第3位という快挙である。
――のわりには、TVや新聞など大手メディアが、この本を紹介したり、書評に取り上げたり、著者の森永を取材したりしていない様相が、まさに森永の指摘が正鵠を射ていることを証明しているようで興味深い。
森永はテレビ出演多数の著名人であり、末期ガンと闘う男というニュースバリューもあり、暴いたテーマの一つが最近タブーが解けてマスメディアの猛省が求められたジャニーズ事件というホットな話題であるにも関わらず・・・。
残り二つのタブーは、財務省の財政均衡主義による増税礼讃(ザイム真理教)と1985年8月12日に起きた日航123便墜落事故である。
マスメディアが敢えて取り上げたがらないテーマは他にもたくさんある。
すぐに思いつくだけでも、天皇制、被差別部落、創価学会、原発、自衛隊、憲法9条、靖国参拝、在日米軍基地。ちょっと前までは、安部晋三元首相批判や旧統一教会もそうであった。
昭和の頃はそれでも、田原総一朗司会『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系列)あるいは『噂の真相』のような、タブーとされるテーマを果敢に取り上げる番組や雑誌があって、多くの国民は「そこにタブーがあること」を知り、「それがタブーとなっている理由」について納得しないながらも了解することができた。
それが昨今は事情が違ってきた、と川端は語る。
以前であれば、自主規制や圧力によって報道が封殺されると、メディアの内部でなぜ報道できないのかという経緯、つまりタブーの理由が問題となり、それが外部にも漏れ伝わってきた。ところが、数年前から、「タブーだから」「その話はヤバイから」という一言だけで簡単に報道がストップされるようになり、理由について説明したり、議論したりということがほとんどなくなってしまったのである。最近では、ある事実の報道を「タブーにふれるから」と封じ込めた当事者が、なぜそれがタブーになっているのかを知らないという事態まで起きている。(表題書より引用、以下同)
あたかも、神の祟りを恐れて禁足地に足を踏み入れない古代人か未開人のようで、文化人類学や宗教学における本来の「タブー」に近いものとなっているというのだ。
つまり、思考停止である。
報道できない領域があったとしても、それが何によって引き起こされたのか、理由が明らかになっていれば、将来、その意図を除去して状況を変えることができるかもしれない。あるいは、状況を変えるのは無理でも、どの部分にどういうリスクがあるかが認識できれば、そこを避けながら限界ギリギリの表現まで踏み込むことは可能だ。だが、タブーを生み出した理由が隠されてしまうと、そういった条件闘争や駆け引きすらできなくなり、タブーをそのままオートマティックに受け入れざるをえなくなる。そして、「タブー」という言葉が、目の前で起きている事態と闘わないことのエクスキューズとして、これまで以上に頻繁に使われるようになる。
思考や議論を許さないタブーは、そのまま権力にも暴力装置にもなり得る。
ジャニーズ事件を見れば、そのカラクリは明らかであろう。
現在のメディアはタブーを克服するという以前に、その実態をまったく見ないまま「タブー」という言葉で一くくりにして、恐怖心だけを募らせている。だとしたら、まず、その恐怖の被膜を取り除いて、タブーの実態、つまりそれを生み出した要因や理由を正面から見つめなおすしかないのではないか。
本書は、タブーに覆われつつある現在のメディア状況を憂えた著者が、「タブーの可視化」をはかったものと言うことができる。
川端幹人は1959年生まれ。1982年から2004年までの約20年間、“タブーなき反権力ジャーナリズム”を標榜する『噂の真相』の編集部に在籍し、取材・執筆に当たってきた。2001年には、雅子皇后(当時は東宮妃)の記事を掲載するにあたって、敬称をつけず「雅子」と記したことで右翼団体の不興を買い、襲撃を受け負傷している。
同誌休刊後はフリーのジャーナリスト兼編集者として活動している。
本書では、メディアにおけるタブーを、要因別に「暴力」「権力」「経済」の3類型に分けて、その生成過程を分析している。
取り上げられているのは、次のようなテーマである。
1.「暴力」が怖いからタブーとなっている
皇室(右翼)
1.「暴力」が怖いからタブーとなっている
皇室(右翼)
宗教組織(創価学会、旧統一教会、イスラム教、オウム真理教など)
同和問題(解放同盟による糾弾、エセ同和団体による恐喝)
2.「権力」が怖いからタブーとなっている
2.「権力」が怖いからタブーとなっている
政治権力(小泉純一郎)・・・本書は第2次安倍晋三内閣前の刊行である
検察や警察
財務省(税務署)・・・まさにザイム真理教のことだ
3.「経済」的損失が怖いからタブーとなっている
ジャニーズやバーニングなどの大手芸能プロダクション
ユダヤ(イスラエル問題)・・・いまのアメリカの状況に顕著
原発(大手電力企業)
電通
詳細は本書を読んでもらいたいところであるが、ソルティは読んでいてずっしりと気持ちが落ち込んだ。
タブーの壁があまりに高くて分厚くて、それをこれでもかとばかり突きつけられて、自分のような無力な小市民が束になったところで、到底太刀打ちできないことを痛感させられるからである。
とりわけ、同調圧力が強く、事を荒立てない(陰で処理する)のが美徳とされる日本においては、表立って権力と闘う者は否が応でも孤立させられてしまう。
本来なら社会の木鐸たるべきメディアからして、簡単に権力に屈してしまう現状がある。
日本のメディアは孤立を異常に恐れる一方で、連帯して権力に対峙することをしない。欧米では、報道の自由を侵害されるような問題が起きると、メディアは立場のちがいを超え、連帯して抗議の声を上げ、徹底的に戦うが、日本のメディアはそれができない。むしろ、権力側から切り崩しにあうと、必ず黄犬契約を結ぶメディアが出てくる。
黄犬契約( yellow-dog contract )とは、労働組合不加入または脱退を条件として雇用契約を結ぶことを言うが、ここでは権力に阿って仲間を裏切る行為を指す。
ソルティは以前冗談で、2009年に自民党から民主党への政権交代が起きていなかったら、2011年3月の東日本大震災の際に起きた福島第一原発メルトダウン事故は“原子力村”の圧力によって隠蔽されていただろう――と書いたことがあるけれど、日本のマスメディアのていたらくを思えば、これは冗談でなかったかもしれない。
正義は一体どこにある?
読後しばらく暗澹たる思いに沈んだ。
が、冷静に考えてみると突破口がまったくないわけでもなかった。
というのも、本書が刊行されたのは2012年であって、当時と2024年現在ではずいぶん状況が変わっていることに気づいたからである。
すなわち、
- 無敵と思われたジャニーズタブーが破れた。他の大手芸能プロダクションも最早無茶はできないだろう。
- 無敵と思われた安倍派が崩れた。同時に旧統一教会タブーの呪縛が解けた。
- 森永卓郎や青山透子のようにタブーと闘い続ける個人がいて、それを支援する出版人がいる。
- ネットとくにSNSの威力が増大して、既存の権力機構でさえ、もはや無視できない存在になっている。匿名による内部告発が(良くも悪くも)増えている。
- 戦後長らく議論することさえ許されなかった憲法9条が、今では改憲手前まで来ている。つまり、櫻井よしこのような保守陣営の絶えまぬ努力が功を成している現実がある。(ソルティは個人的には「改憲、ちょっと待った!」の立場であるが、9条タブーを破り世論を変えていった保守陣営の戦略と熱意と粘りは認めざるを得ない。)
- 政権交代による刷新(選挙)、違法企業に対する不買運動など、市民にできることもある。
- 国際的にSDGsが常識となってきているので、日本だけがその潮流を無視することはできない。(ジャニーズ問題が外圧で敗れたことに象徴される)
とにかくギリギリまでタブーに近づくこと、そしてタブーの正体を常にあらわにし続けること。最後にもう一度いうが、タブーの肥大化・増殖を食い止めるためには、まず、そこから始めるしかないのである。
その意味では、巷にあふれる“陰謀論”も、「根も葉もない与太話」と切り捨てる前に、「そこに幾分かの真実が混じっているのかもしれない」と立ち止まって考えることが必要なのかもしれない。
たとえば、2020年の段階で、「旧統一教会が与党自民党内に根を広げて政策に影響を与えている」と言ったら、「なにを陰謀論めいたことを!」と誰も相手にしてくれなかったろう。
実際には、2022年7月の安倍元首相暗殺後に明らかになった通りであり、自民党の憲法改正案の中には、旧統一教会の教義が反映されているとしか思えない箇所すら指摘できる。
思考停止ほど危険なものはない。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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