2016年小学館より刊行
2018年文庫化
唐牛とは中国産の闘牛のことである。
愛媛宇和島名物の闘牛大会では、世界中からやって来る並みいる猛牛どもを一突きのもとに打ち倒し、最多優勝回数を誇っている。
――というのは冗談で、60年安保闘争の立役者として名を広めた唐牛健太郎(かろうじけんたろう)のことである。
恥ずかしながら、ソルティはこの男を知らなかった。
安保闘争と聞いて名前の上がる学生闘士と言えば、60年安保ならデモ中に亡くなった樺美智子、70年安保なら全共闘議長でその後予備校の講師となった山本義隆がせいぜい。
とくに、東大安田講堂陥落や連合赤軍あさま山荘事件といった、メディアにたびたび取り上げられヴィジュアル的に映える大事件を有する70年安保に比べれば、60年安保は地味な印象があった。
60年安保の主役が唐牛であり、ブント全学連だったのに対し、70年安保の主役は北小路であり、中核派や革マル派に指導された全共闘だった。こうした変化に伴い、理論的支柱も変わった。60年安保のオピニオンリーダーは清水幾太郎であり、丸山眞男だった。これに対して70年安保の理論的支柱は、俗受けする『都市の論理』などのベストセラー本を書いた羽仁五郎に変わった。
去る6月3日に放映されたNHKドキュメンタリー『映像の世紀 バタフライエフェクト』で60年安保闘争が取り上げられているのを見て、はじめて唐牛健太郎という人物を知った。
唐牛は当時北海道大学の学生で、安保反対に立ち上がった全国の学生を束ねる全学連(全日本学生自治会総連合)の委員長だった。
石原裕次郎ばりの長身のイケメンで、国会前のデモでは警察の装甲車に飛び乗って演説をぶちかまし、その後警官隊にダイブするなど行動力抜群の頼れるリーダーであった。
たしかにカッコいい。
がしかし、ソルティがこの男に興味を抱いたのは、安保闘争当時の唐牛の勇姿を映した白黒のニュース映像を見たからではなく、その10年後にNHKが北海道紋別のトド撃ち名人のドキュメンタリーを制作したときに、たまたま乗組員の一人として登場することになった漁師姿の30代の唐牛のカラー映像を見たからである。
20代で革命の闘士として全国的に名を馳せた英雄が、闘争に敗れて漂流し、30代には最果ての北の海でトドやアザラシを撃っている。
しかも、唐牛は一番下っ端の乗組員で、漁師たちの食事の賄いや甲板の掃除など雑用を引き受けている。
と書くと、都落ちしたかつてのヒーローの零落とか失意の人生とか想像してしまうところだが、船上でインタビューされている唐牛は、姿かたちこそすっかり中年オヤジと化しているが――70年代の30歳は令和現在の50歳くらいの見当だろうか――その表情はあくまで人懐っこく純粋で、自己卑下したところも、世を恨んで拗ねたようなところも、見栄を張って強がっているところも、連合赤軍の残党のように一発逆転を狙って虎視眈々と闘志を燃やしているようなところも、おそらく久しぶりのマスコミの取材に緊張しているところもなく、およそ自然体で、笑顔が可愛い。
「なんか面白いオヤジだなあ~」と思って、この男のことが知りたくなった。
図書館で蔵書検索してみたら、この本がヒットした。
1971年紋別で漁師をやっている唐牛健太郎
佐野眞一の本は、ソフトバンク創業者の孫正義の半生記『あんぽん』を読んだことがある。
毀誉褒貶ある作家で、外連味(けれんみ)たっぷりの文章を書く。
たとえば、妙に偶然や符牒を強調したり、あえてドラマチックな見方をしてみたり。
「一昔前の(昭和時代の)立志伝だなあ~」と、いささか辟易するところもある。
が、自在なフットワークと徹底した取材は大いに称讃すべきで、対象とする人物に対する愛情と尽きせぬ興味が、紙面から伝わってくる。
『あんぽん』同様、面白く読んだ。(しかし、「あんぽん」の次は「あんぽ」って、偶然にしては面白い)
それにしても、唐牛健太郎(1937‐1984)の47年の人生は波乱万丈、そのキャラはあまりにも濃くてユニーク、活力と人たらしの才能は無尽蔵、人脈の広さには端倪すべからざるものがあり、成るべくして全学連のリーダーに成ったのだなあと、納得至極であった。
安保闘争に加わらなかったら、別の分野で大成していたであろうことは間違いない。
運動から身を引いたあとの人生は、まさに「無頼」という言葉がぴったり。
名利は求めず、あるときは居酒屋の親父、あるときは長靴姿の漁師、あるときは背広とネクタイに身を固めたコンピュータのセールスマン、そしてあるときは徳田虎雄の選挙参謀となって買収作戦を指揮・・・・
北はオホーツク海、南は九州、与論島と流れのままに各地に移り住み、親友から奪った2番目の妻とともに四国遍路を巡り、どこに行っても自然と周りに人が集まり酒宴が始まる。
その人脈は一般によく知られる名を上げるだけでも、評論家の吉本隆明、鶴見俊輔、西部邁、経済学者の青木昌彦、大物右翼の黒田清玄、山口組三代目組長の田岡一雄、日本人で初めてヨットでの太平洋横断に成功した堀江謙一、作家の長部日出雄、桐島洋子、ジャーナリストの岩見隆夫、歌手の加藤登紀子、そして医療法人徳州会を立ち上げた徳田虎雄・・・・・錚々たる異色の顔触れである。
安保闘争の敗者という事実を、あるいは富や栄誉や名声や成果という尺度でみた人生の“勝ち負け”を超越したところで、とても面白い人生を、たくさんの友人や素晴らしい伴侶に恵まれて目一杯生き抜いた男であったのは間違いない。
それに比べたら、国家の命令に唯々諾々と従って、唐牛の行く先々に現れて監視を続けていた公安職員の人生の、なんとみじめなことか!
同時代の仲間たちは、挫折して孤独のうちに漂流する唐牛の姿に、映画の中の高倉健を重ねていたらしいが、ソルティはむしろ、寅さんこと渥美清演じる車寅次郎に近い印象を受けた。
そこには、市井の庶民に対する、ブルーカーラーに対する強い共感や誇りがあり、自らは決して“上級国民”やホワイトカラーにはなるまいという強い自負と覚悟を感じた。
「まえがき」ほかで佐野はこう記している。
本書の目的は、60年安保時代に生きた日本人といまの時代に生きる日本人の「落差」を書くことにあったと言っても過言ではない。
60年代の日本及び日本人と現在の日本及び日本人では時代を超えて明らかに世界観のスケールが、つまり人間の器の大きさが全く違ってしまった。
左右のイデオロギーは問わない。60年安保の当時煮えたぎっていた日本民族のエネルギーはどこに消えてしまったのだろう。
上記の「60年安保」を「70年安保」と変えてもよいと思うが、本書を読んで、あるいは前述のNHKドキュメンタリーを観てソルティが思ったのは、まさにこれにほかならない。
日本人のエネルギー、特に若者ならではの既成権力に対する反抗心はどこに行ってしまったのか?
ソルティはいわば「幻の80年安保」世代と言っていい生まれなのであるが、たしかに、権力と闘うという発想や気運は世代的に希薄であった。
社会を見渡しても、社会党や共産党などの野党や新左翼の残党たちの、すでにマンネリ化し日常風景の一つとなった“反体制”仕草が視野の片隅に入るだけで、それはどちらかと言えば、時代遅れでダサいものと映った。
89年のベルリンの壁崩壊や中国天安門事件、その後のソ連消滅につづく世界的な共産主義の衰退は、左翼運動の時代遅れ感を浮き彫りにした。
すなわち、歴史の終わりが宣言された。
70年安保以降の日本及び日本人の政治的傾向には、こうした全世界的な左翼思想の失墜、連合赤軍事件に終わった革命運動に対する反省や嫌悪、巨大な権力機構を打ち倒すことの困難なることを骨の髄まで悟ったこと、日本人のエネルギーが政治運動から経済による世界制覇に向けられたこと、そして、高度経済成長からバブルに至る「豊かさ」の中で一億総中流となった国民が、生活に満足し戦意を喪失したことが、影響しているのではないかと思う。
戦争のない平和な社会で、衣食住足りて、面白い娯楽がたくさんあるのに、なぜ闘う必要がある?
何十万というデモ隊が国会を取り囲んだ60年安保、70年安保でも、体制を引っくり返せなかったというのに・・・!
ソルティが不思議に思うのは、全学連や全共闘の若者たちが将来を棒に振る危険を冒してまでどれほど必死に闘おうが、左翼陣営が連帯を組んで大衆に「反戦・反米・反安保」をどれほど声高く呼びかけようが、結局、日本国民は戦後約65年間、自民党を支持し続けたってことである。
自民党が戦後はじめて野に下ったのは、安保の「あ」の字ももはや人々の口に登らなくなった2009年のことである。
いかなるデモやテロリズムも、選挙による政権交代ほどの威力はない。
60年安保も70年安保も、大多数の国民の意識を変えられなかった、自民党以外の政党に票を投じようという気持ちを抱かせられなかった、そこに一番大きな敗因があると思うのだが、違うのだろうか?
と言って、ソルティは60年安保や70年安保が「壮大なゼロ」、すなわち無駄だったとは全然思わない。
60年安保はA級戦犯上がりの岸信介首相(安倍元首相の祖父である)を退陣させ、それ以上のバックラッシュ(保守反動)を防いだし、70年安保は政治運動のあり方について国民に考えさせるきっかけを作った。
抵抗勢力がなければ、権力は思うがまま振舞うことができる。
大衆が何もしないでお上に任せていたら、中国やロシアや北朝鮮、ひいてはナチスドイツや大日本帝国のような管理主義ファシズム国家になってしまいかねない。
勝算があろうなかろうが、体制批判の声を上げることは大切である。
唐牛は面倒見のよさと人を思いやる人情味の篤さではピカ一だった。これは生前の唐牛を知る関係者が口を揃えて言う言葉である。
唐牛はなぜこれほど多くの人間から慕われたのか。私が推察するところ、それは唐牛に嫉妬心というものがほとんどなかったからではないかと思っている。男の嫉妬心は女の嫉妬心より粘着質で厄介なものだが、唐牛には時に戦争を起こす男の嫉妬心とは無縁だった。とりわけ学生運動という男の集団では、嫉妬心が権力闘争の導火線となる、その嫉妬心がゼロに近く希薄だったことが、唐牛が周囲に爽やかな印象を刻む最大の要因ではなかったか。
NHK『映像の世紀 バタフライエフェクト』で目撃した30代の唐牛健太郎の漁師姿になぜ自分が惹かれたのか。
その答えはここらにあるようだ。
その答えはここらにあるようだ。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損