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 今年3月中旬、京都栂尾にある神護寺に行った。
 唐で密教の奥義を究めた空海が、京に戻って最初に滞在したのがこの寺であり、最澄を筆頭とする当時の日本の高僧たちに密教を伝えんと活動を始めたのもここである。
 いわば、真言密教誕生の地。
 そうした歴史・宗教的価値のみならず、栂尾は京都でも屈指の紅葉の名所であり、仏教美術の宝庫でもある。
 神護寺には、日本彫刻史上の最高傑作と評される薬師如来立像や日本最古の五大虚空蔵菩薩坐像、空海が筆を入れたと伝えられる我が国最初の巨大な両界曼荼羅、歴史の教科書でお馴染みの源頼朝の等身大肖像画などがある。
 むろん、すべて国宝。

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神護寺境内

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毘沙門堂と五大堂

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大師堂

 ソルティが訪れたときは、本堂にある薬師如来像は拝むことができたが、五大虚空蔵菩薩像には会えなかった。
 ご開帳の期間が限られている準秘仏なのだ。
 ご開帳に合わせて京都に来るのはなかなか難しいなあと思っていたら、本堂に貼ってあったポスターで、7月から東京国立博物館(以下トーハク)にて神護寺展が開催されるのを知った。
 薬師如来像が上野に来るのは間違いないが、五大虚空蔵菩薩像については情報がなかった。
 その後、時々トーハクのホームページを開いて最新情報を追っていたら・・・
 やったー‼
 五大虚空菩薩像も上野に来る!
 念じれば通ず。 

 トーハクの優秀なキュレーターの素晴らしい演出と照明設計のもと、薬師如来をもっと近くからもっとじっくり鑑賞したい、五大虚空蔵菩薩を穴の開くまで見つめたい。
 音声ガイダンス付きのチケットを買って、この日が来るのを楽しみにしていた。

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東京国立博物館・平成館
平日の午後、人は多かったが、ゆっくり鑑賞できた

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入口には神護寺貫主の谷内弘照氏による題字

 板に彫られた弘法大師像に迎えられて展示はスタート。
 金色に輝く五鈷鈴や五鈷杵などの密教法具、空海直筆のお経やライバル最澄の名が書かれた勧請歴名、神護寺とゆかりの深い文覚上人、源頼朝、後白河法皇の肖像画や書状など、神護寺の由緒正しさと歴史の深さを感じさせるものがずらり。

 文覚と言えば市川猿之助である。
 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、調子がよくて胡散臭い文覚を見事に演じ、芸達者なところを見せていたが、その後の親子心中事件は周知のとおり。
 おかげで文覚のイメージがずいぶん悪くなった。
 しかし、文覚は鎌倉時代初期に荒れ果てていた神護寺の惨状を見て一念発起し、後白河法皇や源頼朝に援助を求め、散逸していた寺宝を取り戻すなど、神護寺復興のために奔走したのであった。
 本展のおかげで、文覚のイメージが向上した。

 ソルティ的には、本展の目玉は二つ。
 一つ目が両界曼荼羅。
 密教の世界観を図像化したもので、悟りへの道を表す金剛界曼荼羅と仏の慈悲を表す胎蔵界曼荼羅の二面から成る。
 これを最初に日本に紹介し、日本で制作したのが空海であり、神護寺なのである。

 舞台の緞帳のごとく垂れ下がった4メートル四方の巨大な布に、金銀で緻密に象られた大小無数の仏たちが、万華鏡の幾何学性をもって居並ぶさまは壮観である。
 前期展示では、空海が実際に関わったと伝えられる平安初期の曼荼羅のうち、胎蔵界が展示されていた。
 最近修復作業を終えたばかりと聞くが、残念ながら全面ほぼ煤けたように真っ黒で、よく目を凝らさないと仏たちの姿が見えてこない。(映像コーナーで細部を観ることができる)
 むしろ、讃嘆すべきは同じ展示室に飾られていた江戸時代の原寸大の摸本。
 光格天皇(1771-1840)の発願によって製作されたもので、金剛界と胎蔵界の両面が並んでいた。
 見た瞬間言葉を失うほどの燦燦たるオーラを放っていて、多くの観客の足を引き止めていた。
 さらに別の部屋には、やはり江戸時代の高橋逸斎という画家によって描かれた両界曼荼羅がある。
 これは京都知恩院所蔵とあった。
 細密画の極北と言っていい神業に驚嘆した。
 双眼鏡、必携!

 二つ目の目玉はもちろん仏像。
 展示されているのは最後の部屋で、ここまでで目も足もずいぶん疲れていた。
 が、五大虚空蔵菩薩が目に入った瞬間、疲れが吹っ飛んだ。

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 五大(五体)はそれぞれ、次の名称、方位、色を表す。左から、
  金剛虚空蔵(東、黄色)
  業用虚空蔵(北、黒紫色)
  法界虚空蔵(中央、白色)
  蓮華虚空蔵(西、赤色)
  宝光虚空蔵(南、青色)

 丈高90センチほどの五体のヒノキの仏像たちが、目線の高さで、それぞれの表す方位のとおりに円陣を組んでいる。
 鑑賞者はその周囲をぐるぐると巡りながら、たっぷりと鑑賞し拝むことができる。
 トーハクのキュレーターの手腕が光る。
 ひとつひとつ異なる仏たちのお顔立ちの言わんかたない素晴らしさ。
 慈悲と智慧と神秘との結合である。
 ソルティの心眼には、中央に座す“赤ちゃん”法界虚空蔵を、父親(業用)、母親(蓮華)、兄貴(金剛)、姉貴(宝光)が護っているという、うるわしき5人家族のイメージが浮かんだ。
 ソルティの“推し”は法界虚空蔵。

 お次は、神護寺の楼門に立つ二天王像(持国天・増長天)。
 ここだけ撮影自由で嬉しかった。

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左から増長天、持国天

 最後の大部屋に足を踏み入れるや、圧倒的迫力で空間を支配し、近寄りがたい眼光をもって鑑賞者の胸を射抜く者あり。
 神護寺本尊の薬師如来像。
 日光・月光菩薩を左右に従え、重々しく貫禄たっぷりのお姿はまさに本展の主役。
 像高170.6センチ、1200年の時で燻されたカヤの枯淡の風合いと、丸みを帯びた体や衣装のラインが美しい。
 金堂の厨子から解き放たれ、その大きさが実感される。

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 この仏像の特徴は何と言ってもその厳めしいお顔立ち。
 悟りを達成した如来らしからぬ、厳しさと苛立ちが窺われる。
 まるで実在した人物をモデルにしたかのような写実性、人間っぽさ。(横顔はとくに個性的)
 神護寺金堂のしんとした暗がりで見上げた時は、心の底を見透かされ、これまで犯した数々の過ちを諫められたような気がした。
 が、今回は違った。
 まったく怒っていない。
 むしろ、楽しんでいる。
 酷暑の中、おのれを観にトーハクにやって来た“物好き”な見物人たちを、半ば可笑しがって、半ば喜んでいるように見受けられた。
 なんという違いだろう!
 お寺の中での拝観と、博物館での鑑賞との差によるものなのか?
 光線や見る角度の違いか?
 仏像を観賞用に寺から運び出すときは魂抜きをすると聞いたことがあるが、そのせいなのか?
 それとも、ソルティがこの像に会うのが2度目だからなのか?
 理由は分からないが、間違いなくこれもまた、如来らしい表情だったのだと気づかされた。

 薬師如来三像の背後には、薬師如来を守護する十二神将がずらりと立ち並んでいた。
 甲冑を着けた武将姿の十二神は、それぞれ個性的な表情やポーズ、持物などで彫り分けられ、十二という数にちなんで、頭の上に十二支それぞれの動物を乗っけている。
 宮毘羅大将(くびらたいしょう)は子(ねずみ)、跋折羅大将(ばざらたいしょう)は丑(うし)というように。
 厳めしい武将と可愛い動物のミスマッチがなんとも楽しい。
 ここの演出も素晴らしく、強い光線を像の下から当て、像たちの巨大な、踊るような影が背後の壁に投射され、目覚ましい効果を生んでいた。
 キュレーター、GOOD JOB !

 音声ガイドには歌手のさだまさしが出演していた。
 奈良を舞台にした『まほろば』や万葉集を題材にした『防人の歌』など、ダスキンと古典文学に詳しい人とは知っていたが、神社仏閣や仏像にも造詣の深い人なのだった。

 この夏一番のスペクタクル。
 会期中にもう一度訪れたい。

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源頼朝の肖像

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神護寺のある高雄山中
ここから土で作ったかわらけを投げる風習がある