2022年毎日新聞出版
昭和のミステリー小説やドラマには、自らの正体を隠すために死んだ人間に成りすます話がよくあった。松本清張の『砂の器』が代表格だ。
あるいは、戸籍が失われたために出自が分からなくなり、それがのちになって悲劇を生む山口百恵主演『赤い運命』のような血縁ドラマも流行った。
戦争や自然災害によって役所や登記所が破壊され、戸籍や住民票など本人を特定できる書類が紛失することがあったからだ。
『砂の器』は米軍による大阪空襲、『赤い運命』は伊勢湾台風が原因だったと記憶する。
複写機もなく、ワープロもパソコンもない、ましてやインターネットによるクラウド機能なんてものもない時代、いったん紙に書かれた書類が失われてしまえば、本人であることを証明できるのは、家族や知人など本人をよく知る周囲の人間たちの記憶しかなかった。
もちろん、DNA鑑定など論外である。
令和の現在、いくら高齢者の孤独死が多いからと言って、旅先や外出先でなく、長年住んだ自宅で亡くなった人間が、どこの誰だかわからない行旅死亡人として扱われるなんてことがあるとは、よもや思わなかった。
本作は、40年間住みなれたアパートで突然死した独居の高齢女性の身元を、二人の新聞記者が割り出す物語、いや、ノンフィクションである。
行旅死亡人病気や行き倒れ、自殺等で亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語。
亡くなった田中千津子さんの身元が分からないのは、彼女が住民票をもっていなかったから。
したがって、自動車免許もパスポートも各種保険証も作ることができず、国民年金も受け取れず、病気になっても医療保険を利用できず(全額負担となる)、介護が必要になっても介護保険が利用できない。
したがって、自動車免許もパスポートも各種保険証も作ることができず、国民年金も受け取れず、病気になっても医療保険を利用できず(全額負担となる)、介護が必要になっても介護保険が利用できない。
長い間一人暮らしで、月に一度大家さんに家賃を払いに行く以外、他人との交流を避けていた。訪ねてくる者もなく、電話は引いていたものの、彼女から誰かに電話をかけた記録は残っていなかった。
数十年前に一時働いていた近所の工場で、右手の指をすべて切断するという大事故にあっていながら、労災保険も申請していなかった。
部屋には、たとえば手紙や住所録といった身元をたどる手掛かりになるようなものは一切なく、何十枚かの古い写真が残されていただけ。
それは過去につきあっていたらしい男(田中竜次)との旅行写真、そして小さな男の子と女の子の写真であった。
それは過去につきあっていたらしい男(田中竜次)との旅行写真、そして小さな男の子と女の子の写真であった。
田中竜次がどこの誰であるかも、二人が結婚していたのかどうかもわからない。
つまり、田中千津子という名前が本名かどうかも不明なのである。
つまり、田中千津子という名前が本名かどうかも不明なのである。
なにより不思議なのは、自室の金庫から3000万円もの大金が見つかったことである。
(あとから判明したことだが、彼女は10歳以上さばを読んでいた。が、これは女性ならば不思議ではあるまい。最近、24歳さばを読んでいた女性が捕まった事件があった)
(あとから判明したことだが、彼女は10歳以上さばを読んでいた。が、これは女性ならば不思議ではあるまい。最近、24歳さばを読んでいた女性が捕まった事件があった)
ミステリーファンにはたまらない謎が謎を呼ぶ設定。
若く元気な共同通信社の記者ペア(武田&伊藤)が、列車と足を使って、わずかな手がかり(「沖宗」姓の印鑑)をもとに女性の正体を探っていく。
それは、令和から平成を抜けて昭和を旅する不思議な感覚。
まさに松本清張ミステリっぽい。
それは、令和から平成を抜けて昭和を旅する不思議な感覚。
まさに松本清張ミステリっぽい。
しかも作り事(フィクション)ではないと来ている。
駅ビルで本書を購入後、駅構内の喫茶店で冒頭数ページを読んだら、瞬く間に引きずり込まれ、帰りの列車内で読みふけり、家に帰って読みふけり、数時間で一気読みしてしまった。
ここ最近読んだ本の中で一番スリリングかつ面白かった。
武田&伊藤の根気ある調査によって田中千津子の身元は判明する。
二人は広島の海辺の町で、女学生時代の彼女を知る人物と邂逅する。
彼女を「千津ちゃん」と呼ぶ人がいた・・・。
彼女を「千津ちゃん」と呼ぶ人がいた・・・。
そのあたりから物語はミステリーとは別次元に移行して、読む者はひとりの人間の人生や運命の不可思議に思いを馳せていくことになる。
いや、そうじゃない。
いや、そうじゃない。
ミステリーというと、我々はどうしても奇抜なトリックとその解明に気が向いてしまいがちだけれど、一番のミステリーは人間なのである。
読んだ後も、田中千津子さんのミステリーは読者の中でこだまして、止むことはない。
読んだ後も、田中千津子さんのミステリーは読者の中でこだまして、止むことはない。
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
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