九品仏と言えば『枕草子』を思い出す。
女房勤めしていた清少納言が“推し”である中宮定子から、「私はお前をどれくらい愛したものか? 一番でなくてもよいかね?」と問われたときに、「九品蓮台に入っていれば一番下であってもかまいません」と答え、定子に「それは良くない。一番の人に一番に愛されようと努めるのがよい」とたしなめられたエピソードである。
九品蓮台(くほんれんだい)というのは、極楽には9つの階位があって、亡くなった人はもとからの性質や生前の行いや阿弥陀仏への信仰の深さによって、往生した後に座る場所が異なる、という『観無量寿経』の中にある教えである。
清少納言は、「極楽であるのなら、一番下でも文句は言いません」、つまり、「中宮様に目をかけていただけるのであれば、一番なんて贅沢は言いません」と言ったのである。
9つの階位は上から順に次のようになる。
- 上品上生(じょうぼん・じょうしょう)
- 上品中生(じょうぼん・ちゅうしょう)
- 上品下生(じょうぼん・げしょう)
- 中品上生(ちゅうぼん・じょうしょう)
- 中品中生(ちゅうぼん・ちゅうしょう)
- 中品下生(ちゅうぼん・げしょう)
- 下品上生(げぼん・じょうしょう)
- 下品中生(げぼん・ちゅうしょう)
- 下品下生(げぼん・げしょう)
上品は大乗仏教を信仰する人、中品は小乗仏教を信仰する人、下品は多くの悪をなした人という見解もある。
要は、阿弥陀仏はどんな人でも漏れなく救ってくれるのであり、浄土宗祖師の法然が言ったように、「一遍でも南無阿弥陀仏を唱えたら極楽往生しない者はいない」のである。
ちなみに、「上品」「下品」という言葉の由来はここから来ている。 9つの階位を象徴する9つの阿弥陀仏をまつる風習は、末法の世に入った平安時代末期から流行ったようだが、現存するのは京都木津川にある浄瑠璃寺と世田谷にあるこの浄真寺のみである。
ソルティは浄瑠璃寺には2011年の秋に行った。
昨年、9体のうち1体が展示された東京国立博物館主催『京都南山城の仏像展』にも足を運んだ。
が、浄真寺には行ってなかった。
暑さもやや和らいだ晴天の午後に、双眼鏡を携えて、のんびり拝観した。
東急大井町線・九品仏駅下車徒歩2分
小学生の下校と重なった
生意気そうなガキ賢そうなお子様たち
樹木の立ち並ぶ立派な参道に驚いた
総門
総門入ってすぐ左手にある閻魔堂
閻魔大王
賽銭箱にお金を入れるとお告げが下る
「人は自分でも気づかぬうちに罪を犯す。貪り・怒り・無知に惑わされないよう気を引き締めよ」と言われた。
地蔵菩薩
立派な山門(仁王門)
山門をくぐると清らかな気が満ちる
緑あふれる静かな境内
都会の一角とは思えない
水場もある
8月上旬に咲く鷺草(サギソウ)が見物という
サギソウ
枯山水の庭が一見、禅寺っぽい
浄土宗である
都の天然記念物指定のイチョウ(樹齢300年)
紅葉時には壮麗であろう
本堂(龍護殿)
本尊・釈迦如来坐像
寄木造、漆箔、玉眼、高さ295cm
珂硯上人作と伝わる
いかめしい顔をしておられる
髪の毛が青いのは、大乗経典で説かれているお釈迦様の特徴(32相80種好)に従っている
横顔が高貴で美しい
浄土宗開祖・法然上人
ひょうきんな顔立ちである
五劫思惟像
「どうしたら愚かな衆生を救うことができるのだろう?」
五劫という長い時間ひたすら思惟していた法蔵菩薩の髪が伸びてしまった
チコちゃんに似ている?
「ぼーっと生きてんじゃないわよ!」
文殊菩薩の姿絵
エロチックな風情が漂う
浄真寺開山、珂硯上人(1618ー1694)
弟子の珂憶上人とともに九体の阿弥陀仏像と釈迦如来像を造り、浄真寺を創建した
本堂から庭を眺める
近所にこういうお寺があって、好きな時に静かに過ごせるのはうらやましい
本堂から阿弥陀堂(上品堂)を臨む
こちらが此岸(穢土)、あちらが彼岸(極楽浄土)
この間に橋をかけて菩薩のお面をかぶった人々が渡る「二十五菩薩来迎会」という伝統行事が3年ごとに行われる
俗に「お面かぶり」という
横に3つ並ぶ阿弥陀堂
手前より中品堂、上品堂、下品堂
上品堂
阿弥陀仏は弥陀定印という手の組み方をしている
眼を閉じて瞑想している
上品上生
親指と人さし指で輪を作っている
上品中生
親指と中指で輪を作っている
上品下生
親指と薬指で輪を作っている
中品堂
阿弥陀仏は両手を胸の前に立てる説法印を結んでいる
半眼で内と外の両方を静かに見守っている
中品上生
親指と人さし指で輪を作っている
中品中生
親指と中指で輪を作っている
中品下生
親指と薬指で輪を作っている
下品堂
阿弥陀仏は右手を胸の前にかざし、左手を膝の上に置く来迎印を結んでいる
半眼よりやや開いて、衆生を憐れんでいるかのよう
下品上生
親指と人さし指で輪を作っている
下品中生
親指と中指で輪を作っている
下品下生
親指と薬指で輪を作っている(はず)
現在修復中である
境内の周囲は墓地
歴代上人の御廟もある
珂硯上人の御廟
都の天然記念物指定のカヤの木(樹齢800年)
2時間ほど滞在した
木陰多く、涼しい風が吹き抜け、気持ちいい拝観だった
お寺の前にある古本屋で文庫を購入
店主は眼鏡の上から鋭い目をのぞかせるお爺さん
――と思ったらイケメン青年だった
帰りは自由が丘駅まで歩くことにした(約15分)
大井町線の線路沿いを行く
東急東横線・自由が丘駅
最後に来たのは1980年代
風景が変わっているかどうか分からないほど記憶がなかった
まあ、中品から上品になったのかな?(東横線沿いは下品はない)
東急大井町線・九品仏駅下車徒歩2分
小学生の下校と重なった
樹木の立ち並ぶ立派な参道に驚いた
総門
創建 延宝6年(1678年)
開基 珂硯上人(かせきしょうにん)
宗派 浄土宗
場所 東京都世田谷区奥沢7-41-3
拝観無料
拝観無料
総門入ってすぐ左手にある閻魔堂
閻魔大王
賽銭箱にお金を入れるとお告げが下る
「人は自分でも気づかぬうちに罪を犯す。貪り・怒り・無知に惑わされないよう気を引き締めよ」と言われた。
地蔵菩薩
立派な山門(仁王門)
山門をくぐると清らかな気が満ちる
緑あふれる静かな境内
都会の一角とは思えない
水場もある
8月上旬に咲く鷺草(サギソウ)が見物という
サギソウ
枯山水の庭が一見、禅寺っぽい
浄土宗である
都の天然記念物指定のイチョウ(樹齢300年)
紅葉時には壮麗であろう
本堂(龍護殿)
本尊・釈迦如来坐像
寄木造、漆箔、玉眼、高さ295cm
珂硯上人作と伝わる
いかめしい顔をしておられる
髪の毛が青いのは、大乗経典で説かれているお釈迦様の特徴(32相80種好)に従っている
横顔が高貴で美しい
浄土宗開祖・法然上人
ひょうきんな顔立ちである
五劫思惟像
「どうしたら愚かな衆生を救うことができるのだろう?」
五劫という長い時間ひたすら思惟していた法蔵菩薩の髪が伸びてしまった
チコちゃんに似ている?
「ぼーっと生きてんじゃないわよ!」
文殊菩薩の姿絵
エロチックな風情が漂う
浄真寺開山、珂硯上人(1618ー1694)
弟子の珂憶上人とともに九体の阿弥陀仏像と釈迦如来像を造り、浄真寺を創建した
本堂から庭を眺める
近所にこういうお寺があって、好きな時に静かに過ごせるのはうらやましい
本堂から阿弥陀堂(上品堂)を臨む
こちらが此岸(穢土)、あちらが彼岸(極楽浄土)
この間に橋をかけて菩薩のお面をかぶった人々が渡る「二十五菩薩来迎会」という伝統行事が3年ごとに行われる
俗に「お面かぶり」という
横に3つ並ぶ阿弥陀堂
手前より中品堂、上品堂、下品堂
上品堂
阿弥陀仏は弥陀定印という手の組み方をしている
眼を閉じて瞑想している
上品上生
親指と人さし指で輪を作っている
上品中生
親指と中指で輪を作っている
上品下生
親指と薬指で輪を作っている
中品堂
阿弥陀仏は両手を胸の前に立てる説法印を結んでいる
半眼で内と外の両方を静かに見守っている
中品上生
親指と人さし指で輪を作っている
中品中生
親指と中指で輪を作っている
中品下生
親指と薬指で輪を作っている
下品堂
阿弥陀仏は右手を胸の前にかざし、左手を膝の上に置く来迎印を結んでいる
半眼よりやや開いて、衆生を憐れんでいるかのよう
下品上生
親指と人さし指で輪を作っている
下品中生
親指と中指で輪を作っている
下品下生
親指と薬指で輪を作っている(はず)
現在修復中である
境内の周囲は墓地
歴代上人の御廟もある
珂硯上人の御廟
都の天然記念物指定のカヤの木(樹齢800年)
2時間ほど滞在した
木陰多く、涼しい風が吹き抜け、気持ちいい拝観だった
お寺の前にある古本屋で文庫を購入
店主は眼鏡の上から鋭い目をのぞかせるお爺さん
――と思ったらイケメン青年だった
帰りは自由が丘駅まで歩くことにした(約15分)
大井町線の線路沿いを行く
東急東横線・自由が丘駅
最後に来たのは1980年代
風景が変わっているかどうか分からないほど記憶がなかった
まあ、中品から上品になったのかな?(東横線沿いは下品はない)