2014年日本
126分

紙の月

 『桐島、部活やめるってよ』が良かったので、吉田監督の他の作品を借りてみた。
 角田光代による同名小説を原作とするサスペンス犯罪ドラマである。

 夫と二人暮らしの梅澤梨花(演:宮沢りえ)は、銀行の契約社員として顧客回りを担当していた。夫(演:田辺誠一)との関係に物足りなさを感じていた梨花は、ふとしたことから、年下の大学生光太(池松壮亮)との不倫にはまってしまう。ある日、光太が借金を抱えていることを知った梨花は、顧客の金に手をつけて、光太にそっくり渡してしまう。それをきっかけに梨花の欲望は堰を切ったようにあふれ、次から次へと横領を重ね、光太との贅沢な遊びにつぎ込むようになる。上司の隅より子(演:小林聡美)は梨花の行動に不審の目を光らせていた。

 会社や顧客の金を横領し惚れた相手に貢いでいたのが発覚して大騒ぎ――というバブルの頃によくあった事件をなぞっている。
 ソルティは恋愛がらみの横領事件と言うと、既婚男のために1億3千万円を1日で横領しその後マニラに逃れた三和銀行の伊藤M子事件(1981年)と、数年かけて14億円以上を横領しその大半をチリ人女性アニータに渡していた青森県住宅供給公社の千田Y司事件(2001年発覚)を想起する。
 今となっては景気の良かった日本を思うばかりである。
 本作の設定も、バブル破綻の影響がまだ現れていない1994年となっている。

 ソルティは原作を読んでいない。
 なので映画からだけの印象であるが、梨花が顧客の金を横領した動機について、「好きな男に貢ぐため」という三面記事が好みそうなベタなものとは、ちょっと違ったニュアンスで描かれているのを感じた。
 表面的に見れば、年下の光太の関心をつなぎとめるため、なりふり構わずやってしまったようにとれる。愛のために盲目になった愚かな女性というふうに。
 しかるに、ソルティがこの梨花という主人公を見てどうにも連想せざるを得なかったのは、やはりバブル崩壊直後に発生し世間を騒がせた東電OL殺人事件であった。

東電OL殺人事件とは、1997年(平成9年)3月9日未明に、東京電力の管理職であった女性が、東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件。被疑者としてネパール人の男性が犯人として逮捕・有罪判決を受け、横浜刑務所に収監されたものの、のちに冤罪と認定され無罪判決を得た。(ウィキペディア『東電OL殺人事件』より抜粋)

 この事件が世間を騒がせた一番の要因は、有名大学卒で一流企業で働いていたエリートOL(当時39歳)が、夜な夜な渋谷のラブホテル街に出没し、不特定の男相手に安い金額で売春していたという事実が発覚したからであった。
 昼間は大企業の社員、夜は娼婦という、「ヤヌスの鏡」のような二面性が衝撃的だったのである。
 彼女は、好きな男のためでもなく、生活のためでもなく、貯蓄を増やすためでもなく、だれかに恐喝されてでもなく、自らの意志で街頭に立っていた。
 マスコミは、真犯人探しよりはむしろ、彼女が売春していた動機をめぐって色めき立った。
 事件を題材とした書籍やドラマがたくさん作られたのは、これがある種の“時代の証言”すなわち、バブルという華やかな時代に空虚な心を抱えて生きた一つの女性像としてとらえられたからであろう。(中森明菜の『DESIRE』はそうした女性の心象を唄った当時のヒット曲である)
 ちなみに、動機をめぐって飛び交ったさまざまな説の中で、ソルティがもっとも納得いったのは「父の娘」説である。

渋谷

 本作の梨花の場合も、犯罪に手を染めることになった真の動機は、好きな男に貢ぐためでもなく、生活のためでもなく、だれかに唆されたからでもない。
 ラスト間際の、小林聡美演じる“お堅い”(おそらくはオールドミスの)上司との対話シーンで暗示されるように、梨花は、日本銀行券(紙幣)が実質ただの紙でしかないように、光太との恋愛も、バブリーで贅沢な生活も、「本物ではない」ことは分かっていた。分かっていたけれど、そうした“幻想”に飛び込むことで満たしたい(あるいは忘れたい)何かを抱えていたのである。

 その心の闇の背景を示唆すべく、キリスト教系の教育を受けた少女時代の梨花の体験が描かれる。海外の貧しい人たちを助ける募金活動に際し、父親の財布から盗み取ったお金を寄付する梨花の姿が。
 このエピソードが後年の「貧しい学生を助けるために他人の金を横領する」の伏線となっているわけだが、残念なことに、「少女時代に犯した過ちを大人になってから繰り返しました」というだけの重複に終わってしまい、梨花の心の闇の由来を暗示するものにはなっていない。
 ここはたとえば、少女時代の親との満たされない関係を描くなど、もうひと工夫ほしかった。(原作そのままなのかもしれないが)
 さすれば、作品に奥行きが生まれたであろう。

 梨花を演じる宮沢りえがその冴え冴えとした美貌もあって圧倒的存在感。難しい役どころを天才的勘でつかんでいる。
 劣らず素晴らしいのが、上司を演じる小林聡美。大林宜彦監督『転校生』や三谷幸喜脚本『やっぱり猫が好き』の頃から巧い役者と注目していたが、こういう複雑な内面を持った大人の女性を演じられる女優になったのだと感嘆した。
 梨花の年下の同僚で上司と不倫中の「いまどき」OL恵子を、元AKBの大島優子が演じている。自らはつゆとも知らず、梨花を悪の道に引き込む狂言回し的役柄である。見事なバランス感覚で画面におさまっている。
 ほかにも、恵子の不倫相手である近藤芳正、梨花の顧客を演じる石橋蓮司と中原ひとみ、梨花の年下の恋人に扮する池松壮亮など、いい役者が揃っており、見ごたえは十分。
 吉田監督は、大人の鑑賞に値する作品が撮れる人である。




おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損