日時: 2024年10月12日(土)18:00~
会場: 横浜みなとみらいホール 大ホール
曲目:
● 外山雄三: 管弦楽のためのラプソディ
● G.マーラー: 交響曲第3番ニ短調
メゾ・ソプラノ: 金子 美香
指揮: 海老原 光
女声合唱: 東京シティ・フィル・コーア
児童合唱: 江東少年少女合唱団
みなとみらいホールは初めて。
みなとみらい駅から構内通路が直結しているので、建物の外観はまったく分からなかった。が、中はたいへん立派だった。
舞台の後ろにも座席があるアリーナ型で、池袋の東京芸術劇場と妍を競うような巨大パイプオルガンがある。
加えて、音響の素晴らしいこと!
音が立体的に響き、身体が音と相対しているというより、音の中に埋もれているような感覚があった。
海老原光の指揮は初めて聴いたが、一曲目から、ロマンスグレーのモテ系ルックスとダイナミックな指揮ぶりとで、オケを自在に操る技量の高さとカリスマ性はうかがえた。さすが光る君。
昨年亡くなった外山雄三作曲による『管弦楽のためのラプソディ』は、日本人なら誰でも心浮き立つ楽しい曲。
『あんたがた、どこさ』から始まって、『ソーラン節』、『炭坑節』、『串本節』、『信濃追分』、『八木節』と、なじみ深い日本各地の民謡が和洋折衷アレンジでリレーされる。
使用される楽器も、鐘や拍子木や和太鼓やチャンチキなど日本人のDNAに感応するものが、西洋楽器に加わって異彩を放っている。
客席の、そしてオケメンバーの緊張をほぐし、心を一つにし、会場を温め、盛り上げ、後半を期待させる。
前プロとしてこれ以上にないベストチョイス。
マーラーの第3番をナマで聴くのは、3回目。
回を重ねるごとに、その深い魅力に”耳“が開かれる。
今回は第1楽章が圧巻であった。
第1楽章は、6つある楽章の中で一番演奏時間が長く(30~40分)、構成が複雑で、転調が激しく、取っ付きにくい。
他の楽章――美しいメロディが甘美な境地に誘う第2楽章、大自然の清新な息吹を運んでくる第3楽章、メゾ・ソプラノの清澄にして厳かな響きが耳朶を震わす第4楽章、天使たちの高らかな讃美歌が心地よい第5楽章、そして聴く者をして忘我の陶酔に浸らせる第6楽章――と比べると、第1楽章は実になじみ難い。
破綻している精神の表現とすら思えるほどに。
破綻している精神の表現とすら思えるほどに。
それが今回はとても面白く、豊かに、フレッシュに、感じられた。
あたかも山歩きしているがごとく。
ソルティのハイカー歴も20年以上になるが、若くて体力・脚力に自信があった40代の頃は、少しでも早く山頂に到達すること、一つでも多くのピーク(頂き)を制覇することが目的であった。
それこそ、「ファイトォ、一発!」のノリだった。
50歳を過ぎた頃からそれが変化し、周囲の風景や自然の音を味わいながら、無理せず、ゆっくり歩くことに比重が移った。
目的は山頂でなく、山頂に至るプロセスそのものとなった。
針葉樹の道、広葉樹の道、岩づたいのスリリングな鎖り場、清冽な沢登り、風わたる草原、お花畑、せせらぎ、マイナスイオンたっぷりの滝、のどの渇きを癒す湧き水、蚊柱、蜘蛛の巣、つきまとってくるアブ、目の前を横切る蛇や鹿、鶯やコジュケイや郭公の声、山頂からの絶景、名も知らぬ小さな花、不気味な風体のマムシ草、摩滅して正体の分からぬ石仏や碑文、朽ちかけた鳥居や道しるべ、すれ違うハイカーとの挨拶・・・・。
いつのまにか、趣味は「山登り」でなく、「山歩き」になった。
今回の第1楽章もまた、山歩きの楽しみを彷彿させるものだったのである。
山道をひとつ曲がるたびに現れる風物との出会いと発見に心奪われるように、次から次へと現れる予想のつかない曲調の展開にワクワクした。
前2回に聴いたときは気づかなかった発見がたくさんあった。
海老原のゆっくりしたテンポがそれを扶けた。
マーラーの音楽がそもそもそうした性質をもつ、つまり、「山登り愛好者」でなく「山歩き愛好者」向けの音楽なんだと思う。
構成の完成度とかテーマの統一性とか小難しいことをあれこれ考えるのは止めて、目の前に次々差し出される音楽を、サーカスを見物している子供のように目を丸くして無心に楽しむのがよい。
第3番の第1楽章は、中でもとりわけバラエティに富んだ、ソルティの愛する高尾山のごときなのである。
高尾山の山頂広場
個人的には、第1楽章の濃密度にくらべると、後半に行くほど味が薄くなるような感じを持った。
トゥッティ(総奏)では気づかれないが、ソロ(独奏)になると、オケメンバーの技量差がどうしても露わになる。
この曲は、ソロが流れの重要な転換点を請け負うポイントが多々あるので、ソロの重責が非常に大きい。
そこはごまかしが効かないので、アマオケには試練な曲とあらためて思った。
そのなかで、コンマス(鈴木悠大)のヴァイオリンは突き抜けて見事だった。
全般に素晴らしい演奏で、ソルティのあちこちのチャクラは蠢いたり、ツッと射抜かれたり、光の雲に包まれたり、最初から最後まで忙しかった。
第6楽章こそは、死ぬときに聴きたい音楽とあらためて思った。
ブラーヴィ!!
ブラーヴィ!!