1962年新潮社刊行
1967年文庫化

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カバー装画:牧野伊三夫

 SF思弁小説とでもいった感じの三島文学における異端作。
 自分たちが地球人(=人間)ではなく、他の天体からやって来た宇宙人だと自覚した埼玉県飯能市に住む4人家族のドラマである。
 これが4人そろっての錯覚とか妄想とか精神異常とかであるなら、現代日本社会で生きる人間のストレスや心の闇を抉り出した、あるいは個人を狂気に追いやる社会の不条理を弾劾したといった態の、まさに純文学っぽい話になりそうなのだが、あきれたことに、4人はほんとうにUFO(空飛ぶ円盤)を目撃したのであり、それをきっかけに自らの正体や出自を思い出したのであり、実際に宇宙人であった、という大真面目な設定。
 本書が発表されたときの読者諸氏の戸惑いや驚きが想像される。
 早川書房『SFマガジン』刊行が1960年で、日本SF界の大御所にして礎石たる小松左京のデビューが1962年というから、本作はある意味、日本SF小説史における起爆点と言えるのではなかろうか?
 三島由紀夫のような時代の寵児たる純文学作家がSFをものしたという事実は、日本におけるSF小説の社会的認知度を高めるのに益したのではあるまいか?

 それはともかく、純文学におけるSF設定が奇抜でも画期的でもなくなった現在から見たときに、SFという機構はきわめて三島っぽい、三島文学と相性の良いものなのではないかと思う。
 三島文学の特質である「人工的、観念的、論理的(理屈っぽい)、修辞的」といった要素が、そのままSF小説の特徴と重なるからである。
 小島の漁師を主人公としながらも土着性、肉体性、生活臭を妙に欠いた『潮騒』の虚構性や、人工的な美への憧憬と破壊を描いた『金閣寺』の観念性などは、まさに三島文学の特質を物語っている。
 黄金色に輝く金閣寺と大気を橙色に染めるUFOの光は、なにかとても似通った三島的アイテムといった感じがする。

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 本作で三島が「SF、空飛ぶ円盤、宇宙人」という設定を用いたことについて、奥野健男が解説でこう書いている。

 三島由紀夫は、現実の泥沼をとび超え、いきなり問題の核心をつかむ画期的な方法を、視点を発見したのだ。それが『美しい星』の空飛ぶ円盤であり、宇宙人である。つまり地球の外に、地球を動かす梃子の支点を設定したのだ。宇宙人の目により、地球人類の状況を大局的に観察し得る仕組を得た。人間を地球に住む人類として客観的に眺めることができる。そこから自由に奔放に地球人の運命を論じることができる。問題の核心に一挙にして迫ることができるまことに能率のよい仕掛けである。これはまさにコロンブスの卵と言えよう。

 卓見である。
 ここで奥野が“問題の核心”と言っているのは、「人類の存在の根源を問う」ことであり、それは本書のクライマックスにおいて、核戦争から人類を救おうと平和の大切さを訴える太陽系宇宙人(4人家族の家長)と、人類の絶滅を目論む非太陽系宇宙人(仙台在住の3人組の男)の討論として描かれている。
 人類とは何か?
 その存在意義は?
 その未来は? 

 宇宙的観点、いわば悟りの境地からみたときの人類の姿がいささかの手加減なく指弾される。
 きわめて思弁的な、法廷におけるような議論の応酬を書かんがために、あえて宇宙人設定を用いてSF仕立てにしたというわけである。

 ソルティは同じような仕掛けとして『禁色』を想起した。
 ギリシア風美貌の同性愛者を主人公とし都会のゲイ社会を舞台とした『禁色』が、ホモセクシュアルという外野から通常社会(ヘテロ社会)の欺瞞や滑稽をあぶりだす仕掛けになっていたのと、『美しい星』の結構は相似形である。
 『禁色』において異端の観察者にあったゲイが、『美しい星』では宇宙人になっているのだ。
 宇宙という外野から、地球人類の欺瞞や滑稽や絶望的愚かさを、情け容赦なく――“情け”はまさに人類固有の特質なので――あぶりだす。一方、わずかながらの“美点”も指摘する。
 いわば、三島由紀夫裁判長による人類裁判という趣きである。

ハンマー
 
 大上段にして深遠なテーマの割りには、全般軽いタッチで書かれている。
 作中で、登場人物の一人の口を借りて「三島由紀夫という小説家」を揶揄させるなど、遊び心がうかがえる。
 修辞の素晴らしさは言うまでもない。
 戦後の、いや日本の小説家で、三島由紀夫と並びうる修辞の天才がいるだろうか?
 卓抜な比喩やレトリックに息が止まった。

 所沢をすぎると、すっかり暮色に包まれ、杜かげの水田ばかりが、夜道に落した一枚の手巾(ハンケチ)のように際立った。

 去年の薔薇は丸く、死んだ睾丸のようであった。

 栗田はじっと、向うの椅子にかけて大きな洋菓子を喰べている若い女の尻に注視していた。その尻は、タイトな薄緑いろの格子縞のスカートに包まれて、女自身からはみ出した法外な野心のような姿をしていた。

 暁子はうつむいて自分の財布の中を調べるような、地球人の賤しい自己分析の習慣をきっぱりと捨て、母の前に言い淀むべきことの、一つもないことを改めて確かめた。

 皮肉なことに愛の背理は、待たれているものは必ず来ず、望んだものは必ず得られず、しかも来ないこと得られないことの原因が、正に待つこと望むこと自体にあるという構造を持っているから、二大国の指導者たちが、決して破滅を望んでいないということこそ、危険の最たるものなのだ。(ソルティ注:二大国とはアメリカとソ連である)

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Peter LomasによるPixabayからの画像


 
おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損