1975年オーストラリア
1986年日本公開
116分

 ソルティが映画青年だった20代の頃、もっとも好きでよく通った映画館はシネ・ヴィヴァン六本木であった。
 アマンドのある六本木交差点から麻布方面に5分ほど歩いた左手の六本木WAVEというビルの地下にあった。
 80年代のことである。
 映画館は99年に閉館し、WAVEの跡地は六本木ヒルズの一部になった。

 シネ・ヴィヴァン六本木は、いわゆるミニシアターと呼ばれる、単館上映を旨とした少人数収容の映画館で、芸術の香り高い“オシャレ”なヨーロッパ映画を中心に上映していた。
 ダニエル・シュミット、エリック・ロメール、ヴィム・ヴェンダース、ビクトル・エリセ、候孝賢(ホウ・シャオシェン)などの主要作品は、ここで観たと記憶している。
 つまりは、映画評論家の蓮實重彥が監修していた季刊誌『リュミエール』でよく取り上げられていた映画作家たちである。
 ソルティは蓮實重彥によって映画開眼したのであった。

 時代はバブル絶頂期。
 ディスコのお立ち台では、毎夜、ボディコン娘たちが扇子をひらめかせて踊り狂っていた。
 芝浦の『ジュリアナ東京』と並んで盛名をとどろかせた『マハラジャ六本木』を尻目に、WAVEの密やかな暗闇にひとり吸い込まれ、ホットコーヒーとスクリーンを友とする。
 暗い青春だなあ~。

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 『ピクニックatハンギング・ロック』もシネ・ヴィヴァンで観たような気がするのだが、はて、どうだったろう?
 西欧でなくオーストラリアの映画であるし、監督のピーター・ウィアーは上記『リュミエール』系の作家ではないので、違うかもしれない。
 ただ、この作品のもつ西洋名画と見まがうほどの格調の高さと美しさ、映像と脚本とサウンドと役者の演技とが一体となった比類なき完成度、観る者の心に深く鮮やかに刻まれて生涯消えることのない余韻――こうしたものが本作をして、ソルティの青春の宝箱たる「シネ・ヴィヴァンの記憶」に仲間入りさせるのである。

 ピーター・ウィアー監督は、日本では、ハリソン・フォード主演『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)でブレイクした。
 それによって過去作も注目を浴びることになり、1975年発表の『ピクニックatハンギング・ロック』が、本国より11年遅れて日本初公開となったのである。
 その後も、ロビン・ウィリアムズ主演『いまを生きる』やジェフ・ブリッジズ主演『フィアレス』、ジム・キャリー主演『トゥルーマン・ショー』などの傑作を連発した。
 ソルティの最も好きな映画監督の一人である。

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 実に38年ぶりに、早稲田松竹の大スクリーンと迫力ある音響のもと本作を鑑賞し、初めて観た時とまったく変わらぬ感動に打ち震えた。
 ちっとも古くなっていない。
 記憶のままの、いや記憶以上の美しさと完成度に、早稲田松竹の暗闇がシネ・ヴィヴァン六本木のそれに変容した。
 時間が巻き戻った。
 あの夜の感動は嘘や錯覚ではなかった。
 記憶の美化ではなかった。
 38年の歳月を経てシニア料金対象となったいま、ちょっとやそっとのことでは感動するまい、20代の自分の甘っちょろい感受性と稚い審美眼にあきれかえるが落ちだろうと思っていたものが、まったくそんなことはなかった。
 ただただ映画史における奇跡の顕現を確認するばかり。
 
 原作はジョーン・リンジーの同名小説。
 1900年、オーストラリアのビクトリア州にある全寮制女子学校の生徒たちが、近くのハンギング・ロックという古代遺跡にピクニックに出かけた。
 美しく穏やかな午後の日射しに教師も生徒も微睡むなか、岩山に上った3人の女子学生と1人の女教師が行方不明となる。
 警察や町の人々がいくら探しても4人は見つからない。
 一週間たって、1人の生徒が岩山の奥で、手足傷だらけで発見される。
 彼女は失踪時の記憶を失っていた。

 ただこれだけの話である。
 結局、最後まで残り3名の行方は分からず、謎は解明されないまま、ジ・エンド。
 ミステリー小説なら欲求不満に陥りそうな中途半端な結末であるのだが、これが映画になると、謎が謎であることすら美しい。
 ボッティチェリの描いたヴィーナスにも似た美少女が、なんの痕跡も残さずに失踪する。
 何があったのかは、観る者ひとりひとりの想像にまかせられる。
 
 岩山から転落したのか?
 悪い奴らに誘拐されたのか?
 磁場の影響で方向感覚を失い、深い森に入ってしまったのか?
 UFOにさらわれたのか?
 異次元に踏み込んでしまったのか?
 『ハーメルンの笛吹』の失踪した子供たちのように、どこか遠い地で生きているのか?

 スクリーンに永遠にとどめられた少女の謎めいた美しさは、観る者が年老いるほどに、輝きと切なさを増す。
 と同時に、作品とはじめて出会った瞬間に、数十年の時を超えて、スリップさせる。
 シートに座ったままの格好で――。 
 それはまさに映画というミステリーの比喩そのものなのである。

ヴィーナスの誕生




おすすめ度 :★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損