1979~1993年講談社mimiおよびmimi Excellent連載
2001年講談社文庫

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 『源氏物語』54帖全編を、『はいからさんが通る』で知られる人気少女漫画家の大和和紀が漫画化したもの。

 『源氏』の漫画化、映画化、TVドラマ化作品はたくさんあるが、①原作にほぼ忠実に、②全編を、③しっかり時代考証しつつ、ヴィジュアル化したものとして、本コミックに勝るものはないと思われる。
 もっともソルティは、1959年よみうりテレビ制作(全61回)のドラマと、1965-66年毎日放送制作(全26回)のドラマは観ていないので、断言はできないのだが。
 フィルムが残っているのなら、観たいものだ。
 とくに毎日放送のものは、『雪之丞変化』、『細雪』、『犬神家の一族』の名匠市川崑が演出し、伊丹十三(光源氏)、小山明子(藤壺)、丘さとみ(葵の上)、富士真奈美(紫の上)、藤村志保(夕顔)、吉村実子(明石の方)、中村玉緒(空蝉)、岸田今日子(六条御息所)、加賀まりこ(女三宮)、山本学(頭中将)、河原崎長一郎(柏木)、田村正和(夕霧)ら錚々たるスター役者が出演、1966年度アメリカ・エミー賞を受賞している。
 DVD化してくれたら、ベストセラーになるだろうに。

 大河ドラマ『光る君へ』放映を機に、全7巻を図書館で借りてイッキ読みし、一日置いて、さらにもう一度イッキ読みという、最近では滅多にないハマり方をした。
 少女漫画で読む『源氏』がこんなに面白いとは!

 ソルティは与謝野晶子訳と谷崎潤一郎訳の『源氏』を読んで、ストーリーは頭に入っていた。
 本年刊行された倉田実著『源氏物語絵巻の世界』(花鳥社)を読んで、絵というヴィジュアル手段で読む『源氏』の奥深さや楽しさも知っていた。
 しかるに、少女漫画以上レディコミ未満の大和『源氏』は、予想を超えるドラマ性と美しさに満ちていた。

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京都・風俗博物館の『源氏物語』再現ジオラマ
紫の上と女房たち

 歴史家や風俗研究者でない一読者にしてみれば、平安時代の貴族たちの生活――建物、調度、衣装、食事、恋愛作法、成人式、結婚、葬儀、娯楽、移動手段等々――は、なかなか想像しがたい。とくに、当時はきびしい階級社会&ジェンダー固定社会であったが、そこを踏まえた人間関係の綾などは、活字だけではどうしても理解の届かないところがある。
 たとえば、それまで御簾や几帳で隔てられながら言葉や文を交わしていた男と女が、どうやって一線を越えて結ばれるかという肝心な場面が、紫式部の文章からは見えてこない。
 そこはやはり、セックスがテーマなので曖昧に婉曲的に扱われている。
 なんと言っても『源氏』は天皇や皇后の愛読する上流文化の粋であったし、紫式部と同時代に生きた読者であれば、あえて説明するまでもないことでもあった。
 『あさきゆめみし』では、光源氏や夕霧や柏木や匂宮や薫の君といった色男たちが、恋情(と性欲)を我慢できず、御簾や妻戸を越えて女人たちの衣や体に触れ、その手に抱き寄せる一連のアクションが、赤裸々に描かれる。
 なるほど、こんなふうであったのか・・・と納得至極であった。

 当時の貴族は一夫多妻が普通であったが、親同士が決めた正妻との結婚はともかくとして、それ以外のほとんどの恋愛のきっかけが、現代から見ればレイプであることには驚くほかない。
 光源氏も頭の中将も匂宮も、令和の通念からすれば「レイプ魔」である。
 中でも、幼女誘拐・淫行・レイプ・義母不倫・人妻略奪の光源氏の犯罪性は凄まじい。後年になって、妻となった女三宮が若僧の柏木に寝取られる羽目に陥るが、その程度じゃバチとは言えない。自業自得もいいところ。 
 恋愛小説の極北である『源氏物語』を、若い人は決して恋愛の教科書にしてはいけないという逆説・・・・(笑)

 また、アクション的には地味な『源氏』における三大スペクタクル――桐壺更衣への人糞攻撃、葵祭における場所取り争い、柏木による女三宮チラ見――が、見事にヴィジュアル化されており、自らの頭の中の想像図を補正することができた。
 活字だけでは理解しづらい事物や慣習や文化が、一発で分かる。ヴィジュアルで『源氏』を読めることの素晴らしさ、意義深さ、歴然たる効果を実感した。
 『ベルサイユのばら』を読んでフランス革命に興味を持ち歴史を学ぶ読者がいるように、『あさきゆめみし』を読んで平安文化や摂関政治に興味を持ち、小説『源氏物語』を手にする読者も少なくはないだろう。
 その意味でも、大和和紀の偉業は文化功労賞ものと思う。

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法会を見物する白衣姿の光源氏と夕霧(手前)

 たくさんの恋愛ドラマを描いてきた女性漫画家の手によることの意義も大きい。
 光源氏や匂宮や薫の君はじめ、好きになったものはなんであれ手に入れることに馴れ切った高貴で身勝手な男たち。
 かれらに目を付けられ、執拗に口説かれ、凌辱され、愛され、はたまた敬遠され、恐れられ、飽きられる女たちの心情が、とてもリアルにこまやかに表現されている。
 中でも最高の造型は、“物の怪姫”六条御息所であろう。
 出産の迫った源氏の正妻・葵の上を憑り殺す場面など、まことに鬼気迫るものがあり、日本の少女漫画家たちが積み上げてきた高い表現技術を証明してあまりない。
 末摘花の純粋さと不器用さも捨てがたい魅力を放っている。(このキャラ、『はいからさん』に出てきた牢名主のオサダを彷彿とさせる)

 すでに十分指摘されているだろうが、惜しむらくは、登場人物の見分けがつきにくい。
 とくに女人たちは、誰が誰だか分かりにくい。
 源氏に愛されたキャラで言えば、桐壺更衣、藤壺の宮、紫の上、葵の上、明石の上、夕顔、空蝉、玉鬘あたりは、ほとんど同じ顔に見える。
 少女漫画の美女の顔は作者によってほぼ規格化されていて、複数の美女が登場する場合の描き分けは髪型や服装スタイルで違いを作るのが常套手段である。  
 なので、髪型も衣装も同じ貴族女性の場合、ほとんど同一人物のようになってしまう。
 桐壺更衣、藤壺の宮、紫の上の三者は瓜二つ(三つ)という設定なので、互いに似ているのも仕方ないが、もうちょっと女性の“美しさ”のヴァリエーションが表現できていたら・・・・と思わざるを得なかった。
 一方、意地悪な弘徽殿の女御、ぽっちゃり系の花散里、普賢菩薩の乗り物(象)にたとえられた末摘花、脆弱な自我をもつガーリーな女三宮、それに好色な姥桜・源の内侍は、くっきりキャラ立ちし、他の女人たちと区別化されている。

 本作を読むと、『源氏物語』というのは、つまるところ、「女の幸せとはなにか?」を問い続けた作品だということがよく分かる。
 当時女にとって最高の幸福とされた天皇の后(藤壺の宮)を筆頭とし、天下の二枚目にして最高権力者たる光源氏の妻や愛人たち(紫の上、女三宮、明石の上、花散里、末摘花、朧月夜、六条御息所)、源氏のような理想の美男子ではないけれど武骨で誠実な髭黒大将に嫁いだ玉鬘、夕霧との間にたくさんの子を産み子育てに追われる雲井の雁、光源氏や薫からの求婚を拒み続けた朝顔の斎院や宇治の大君、二人の貴公子の間で引き裂かれ出家した浮舟・・・・。
 どんな高い地位にあろうとも、どんなに裕福であっても、はたからみてどんなに幸せそうに見えようが、庇護者(=男)の如何によって左右されるものである限り、女の人生は“夢の中の浮橋”のように頼りないものである。
 それは、まさに現在放映中の『光る君へ』でも繰り返し描き出されているモチーフである。
 いつぞやは、夫と子供を捨てて宮仕えでの自己実現を企図する清少納言のセリフが、国営放送で堂々と流れ、ネットには女性たちの賞賛と共感のコメントがあふれた。

 白馬に乗った王子様と結ばれること(=結婚)をハッピーエンドとする少女漫画や童話の時代を捨て去り、夫と子供のために尽くすのが女の意気地という昭和演歌の時代も足蹴にし、世のジェンダー規範もずいぶん変わって、日本の女性たちはようやっと、紫式部と視点を同じくしているのかもしれない。

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おすすめ度 :★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損